第11話 悪役貴族、強敵と遭遇する (1)

「今の悲鳴は……?」

「間違いない。ロレインの声だ」


 悲鳴に驚くサディアに、俺は一片の迷いもなく答えた。

 子供の頃から何度となく聞いてきた声だ。俺が聞き間違えるはずもない。


「あいつが毒スライムごときに悲鳴を上げるとは思えない。もしかしたら、あいつらもゴブリンに襲われてるのかもしれないな」

「その割りには、随分と悠長ですね」


 ……まぁ、あいつらがゴブリンの群れ相手に勝てることくらい、原作で知ってるからな。

 とはいえ、悲鳴を上げるくらい切羽詰まってはいるのだろう。さっさと助太刀して地上に連れ帰るとするか。


「リュックは俺が持つ。君は魔道具の方を頼む」

「ですが」

「そっちのほうが早く着く」


 問答無用でリュックを背負うと、俺は長剣を抜いて周囲を警戒しながら悲鳴したほうへ走る。少し経ってから、サディアが追ってくる足音が聞こえてきた。

 ゴブリンの死骸の側を通り抜け、長い通路を駆け抜ける。進むにつれて、通路の先の部屋からは激しい打撃音と爆発音が響いてくる。


「これは……っ!?」


 通路を抜けた先に広がっていた光景は、俺の想像を遥かに超えていた。


 五十メートル四方の開けた空間の中で、ジークとロレインは巨躯の魔物と対峙していた。

 体躯は二メートル半はあるだろうか。分厚い筋肉に覆われた丸太のような四肢に、鋭い牙と角。

 手には魔物の骨で作られたと思しき、無骨で禍々まがまがしい棍棒が握られている。


 ゴブリンロード。

『ミズガルズ・サーガ』では中盤以降に出てくる魔物であり、この迷宮の中層あたりに生息する魔物だ。


 どうしてこんなやつが、第三階層なんかに……?


 あまりの事態に呆然とする俺をよそに、ジークは必死にゴブリンロードの攻撃を引き付けていた。

 左腕は骨折しているのか、だらんと力なく垂れている。ジークの光魔法なら骨折くらい治せるはずだが、治癒に時間をかけている余力もないようだ。

 ジークは右腕だけで長剣を構えながら、まともに敵の打撃を受け止めることもできず、ひたすら回避に専念している。


 ロレインは地面に設置系の爆発魔法を仕込み、ジークが逃げ回りながら敵を設置魔法の位置に誘導し、爆破魔法で少しずつ相手の脚を削って機動力を落とそうとしている。

 だが――ゴブリンロードの脚には傷はなく、設置魔法はダメージになっていないように見えた。


 当然だ。さすがのジーク達でも、迷宮探索初日からゴブリンロードと戦って、勝てるわけがない。

 俺達が加勢したとして、一体何の役に立つ――?


「早くお逃げなさいっ!」


 呆然としている俺を我に返らせたのは、ロレインの声だった。

 彼女はフロア中を駆け回って設置魔法を仕掛けながら、俺に向けて声を張り上げる。


「あなた達が加勢しても無駄です! わたくし達がこいつを足止めしている間に、他の生徒達に危険を知らせなさいっ!」


 その言葉に、俺は顔が羞恥で熱くなるのを感じた。


 俺は今、何を考えていた?

 加勢しても無駄だから、自分達だけでも逃げようとしたのか? ロレイン達の、この気高い決意を目の当たりにした上で?


 ――ふざけるな。ここで逃げ帰ったら、ゼオンの運命は何も変わらない。

 強敵への恐怖で知らぬ間に震えていた体を、強引に押さえつける。体がまともに動ける状態になるのを待つより先に、俺は口を開いた。


「サディア、君は――」

「無理です」


 サディアは素早く言って、自身の首についた『隷呪れいじゅの首輪』を指で示した。

 主人の命の危機を無視する行為は、隷属魔法が許さない。サディアだけ逃がすことはできそうもない。

 不本意だが――やるしかないか。


「すまない、サディア」

「勝算はあるんですか?」

「わからん。でも、やるしかない」


 サディアは感情の乏しい瞳に、微かに呆れの色を浮かべた。

 俺は魔法薬ポーションの入ったリュックをサディアに渡してから、彼女に指示を出す。


「俺がジークの代わりにおとりになる。君はロレインのサポートをしながら、隙を見てジークの回復を補助してやってくれ」


 サディアの返事が聞こえる前に、俺はゴブリンロードに向かって突進する。

 フロアのどこに設置魔法が仕掛けられているかわからないので、初級の付与系風魔法風纏エリアル・エンチャントによって全身に颶風ぐふうをまとい、床の数センチ上空を浮きながら駆ける。

 まとった風に背中を押されながら、俺は飛ぶような速度でゴブリンロードの脚に斬りかかる。

 斬撃は敵のふくらはぎを正確に斬りつけるが、硬い皮膚に弾かれて到底ダメージにはならない。


 だが、それで敵の注意をこちらに向けることができた。

 鬱陶うっとうしい羽虫でも見つけたような顔をして、ゴブリンロードは俺に向かって棍棒を振り回す。

 風纏の機動力でそれをかわすが、振り下ろされた棍棒が爆風のような風を生み、風纏で姿勢制御をしても一瞬ふらついてしまう。

 ――敵の一撃はあまりに重い。まともに打撃を食らったら、その時点で戦闘不能に陥るだろう。


 ジークは戦闘に割り込んできた俺に驚いたようだったが、俺の顔を見てにやりと笑った。

 敵の注意がよそに向いた瞬間を活かして、サディアから渡された魔法薬を飲みながら、光属性の回復魔法で折れた左腕の回復に努める。


 ロレインも俺の乱入に驚いたようだが、設置魔法の準備に忙しく、文句を言う余裕もないようだ。

 サディアは彼女のそばに控えながら、風魔法によってジークには体力回復の魔法薬を、ロレインには魔力回復の魔法薬を運んでいる。


 ジーク達が一息つけているのを確認しながら、俺は風纏状態で大きく地面を蹴り、背後に跳んで一気に敵と距離を取った。

 ゴブリンロードは翻弄されていら立っているようで、そのまま俺に全速力で突っ込んでくる。全速力とはいえど、図体がでかい分、動きはそれほど速くない。

 俺は付与系の初級火魔法火纏ファイア・エンチャントによって、長剣に火の加護を与え、攻撃力を強化する。


 ゴブリンロードが俺の眼前で棍棒を振り上げた瞬間、俺は地面を蹴った。

 風纏のスピードに火纏の火力を乗せて、再度ゴブリンロードの足元をすり抜けながら、ふくらはぎを斬りつける。

 浅い裂傷ができて微かに血が流れるが、やはり敵の足を止めるには至らない。


 傷をつけられて、ゴブリンロードは更に腹を立てたらしい。足を止めた俺に向かって蹴りを放ってくる。

 とっさに両手でガードするが、敵の蹴りは想像していた以上に重かった。

 蹴りを食らった左腕はあっけなく折れ、それでも蹴りの衝撃を押さえきれず、俺の体は壁際まで吹き飛ばされる。

 背中を激しく壁に打ち付け、むせてまともに呼吸できなくなる。反射的に死を覚悟するが、強引に魔法薬を口に突っ込まれて急激に痛みが引いていった。


「……あなた、どうして逃げなかったんですの?」


 俺の口に魔法薬を流し込んでいるのは、ロレインだった。少し申し訳なさそうに見えるのは、この戦闘に巻き込んでしまった罪悪感のせいだろうか。

 見れば、ジークが俺の代わりに再度ゴブリンロードの攻撃を引き付けてくれている。サディアが風纏でジークをサポートしてくれているようで、先程よりも回避はいくらか楽そうに見えた。


 とはいえ……このまま戦っていたら、こっちの魔法薬が切れるのが先だ。

 俺は意を決して、ロレインに告げる。


「あいつの足を止めてくれないか? 試したいことがある」

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