第10話 悪役貴族、魔物に包囲される

 足音?

 俺は瞬時に意識を警戒モードに切り替えると、手振りだけでサディアに立ち上がるように合図した。


 この階層に足音を鳴らすような魔物はいない。

 かといって、ロレインとジーク以外の生徒が第三階層まで下りてくるとも思えない。

 当然、ロレインとジークなら行動をともにしているはずだ。左右の通路から同時に足音が聞こえてくるはずがない。


 ――なら、一体誰の足音なんだ?

 たまたま他の冒険者がこの階層に下りてきたのだろうか。いや、入り口が学生でごった返している様子を見て、今日わざわざこの時間に迷宮ダンジョンに入る物好きは多くないはずだ。

 第一、こんな最上層の階層に用がある冒険者などいないし、やはり左右の通路から同時に足音が鳴る理由にはならない。


 そして――ふと、俺は『ミズガルズ・サーガ』のシナリオを思い出した。


 ロレインに婚約破棄を突きつけられたゼオンは、汚名返上のために無謀な迷宮探索を試みて第三階層まで下り、本来第十階層あたりを生息圏にしているはずのゴブリンの群れに取り囲まれる。

 ゴブリンというと雑魚モンスターのような印象を持たれるかもしれないが、人型で武器を操る魔物など、迷宮では普通に脅威だ。

 それが群れで襲いかかってくるとなれば、迷宮初心者にとっては絶望的な状況だった。


 当然、クズのゼオンはサディアを囮にして逃げ出した。逃げた先でジークとロレインに出くわし、不審に思ったジーク達がゴブリンの群れを見つけ、サディアを救出する。

 このことが原因でゼオンの評判は地に落ち、学院中からより一層蔑みの視線を向けられることになる。

 だがゼオンは反省することもなく、ジークへの逆恨みを募らせ、どんどん道を踏み外していく――というシナリオだった。


 ……いや、ゼオンクズすぎるだろ。

 思わずツッコミを入れたくなるが、そんな場合ではない。何より――焦っていたとはいえ、そんな重要な初期イベントを忘れていた自分に腹が立った。

 俺はサディアの耳元に口を寄せると、小声で話しかける。


「たぶん、足音の主はゴブリンだ」

「ゴブリン? 第十階層の魔物が、どうしてこんなところに?」

「それはわからない。が、俺なりの確証はある」

「……そうですか」


 サディアは深くは聞かずに、一旦俺の仮説に乗っかってくれたようだ。


「ゴブリンなら必ず群れで行動する。この狭い部屋で囲まれたら死ぬほど厄介だ」

「打って出るつもりですか?」

「いや、左右の通路をうまく使う。あの通路なら二人同時に襲いかかれるほどの横幅はない。遠距離から魔法で一体ずつ倒していけば、安全に対処できると思う」


 サディアは瞬時に作戦を理解すると、右の通路を指差した。そちらからの敵を担当する、ということだろう。

 俺はうなずいて応じると、火弾の指輪をつけてから、残りの魔道具を革袋ごとサディアに渡した。

 長剣がある俺と違って、サディアは接近されたら対抗できる手段がない。接近された時にも瞬時に対応できるように、魔道具を多く持っておくにこしたことはないはずだ。


 サディアが意外そうに俺の顔を見るが、構わず俺は左の通路の壁際に移動した。

 足音がゆっくりと近づいてくるのを聞きながら、壁越しに通路の向こうをのぞき見る。


 案の定、迫ってきているのはゴブリンだった。

 一三〇センチ程度の矮躯わいくだが、角と牙を持ち、緑色の肌をした獰猛な魔物だ。

 列をなしているため数はわからないが、各々手には棍棒やナイフを握っているようだ。


 俺は連中の進行方向に飛び出すと同時に、あらかじめ準備しておいた魔法を発動する。

 風と火の複合初級魔法、風火弾エリアル・ファイア・バレットだ。

 魔法威力アップのペンダントのおかげで、胴体ほどの大きさの火球が凄まじい勢いで射出され、群れの先頭の数体を吹き飛ばす。


 ゴブリンどもが襲撃に驚き、一瞬足を止める。

 そんな彼らの元に、俺は指輪の魔道具に込められた火弾ファイア・バレットの魔法を撃ち込む。

 連続で火弾を浴びせている内、連中も腹を決めたらしく、こちらに向かって全速力で特攻してくる。


 俺は長剣を抜き、連中を迎え撃つ――かのように見せかけて、再度風火弾の魔法をお見舞いしてやる。

 風火弾に自ら突っ込んだゴブリンどもは、体中を焦がしながらその場に倒れ伏した。


「これで六体撃破」


 呟きつつ、通路の向こうを見る。

 視線の先にはまだ、ゴブリンが二体残っていた。体のあちこちに火傷を負っているが、致命傷は避けたらしい。武器を握りながら、じりじりとこちらに間合いを詰めてくる。


 俺が魔道具で火弾を放つと、ゴブリンは即座に体を翻して魔法を回避する。俺は舌打ちしてから、今度こそ本気で長剣を構えた。

 先頭の一体が大きく跳躍し、棍棒を振り上げながら上から襲いかかってくる。

 と同時に、奥にいたもう一体が、得物であるナイフを俺に向かって投げつけてきた。

 俺は反射的にナイフを避けようとして――足を止めた。


 ――後ろの通路にはサディアがいる! 俺がナイフを避けたら、彼女に当たってしまう。


 俺はとっさに、魔道具の火弾で飛来するナイフを撃ち落とした。

 そのせいで一瞬、上空の警戒がおろそかになる。真上から飛来してきたゴブリンが、大上段から棍棒を叩きつけてくる。

 首を捻って頭部への直撃は避けたものの、肩に棍棒が叩きつけられる。鈍い痛みで一瞬意識が飛びかけるが、それを無視して俺は眼前のゴブリンの首を長剣で斬り捨てた。


 残り一体のゴブリンは、俺が手負いと見るやきびすを返して逃げ出そうとする。

 さすがに追いかけるのは無理だ。俺が諦めた瞬間――俺の背後から、凄まじい速度の氷柱矢アイシクル・アローが飛んでいった。

 氷の矢は逃げ出したゴブリンの背中を貫くと、一撃で命を奪ったようだ。ゴブリンはそのままうつ伏せに倒れ、動きを止めた。


「申し訳ありません。助けが遅くなりました」


 長弓型の魔道具を構えたサディアは、涼しい顔で俺の隣に歩み寄ると、俺の肩の状態を確かめる。


「骨にヒビが入っていますが、このくらいなら私の魔法薬ポーションで治癒が可能なはずです」

「それを聞いて安心したよ。ありがとな、サディア」

「いえ。私がケガをさせたようなものですから」

「えっ? な、何のことだ?」

「ナイフ。避けなかったのは、避けたら私に当たると思ったからですよね?」


 魔法薬ポーションを俺に差し出しながら、サディアは俺の目をのぞき込んでくる。

 その綺麗な瞳にすべて見透かされそうな気がして、俺は思わず目を背けた。


「同時攻撃を食らって、とっさに頭が回らなかっただけだよ」

「嘘ですね。わざわざナイフを撃ち落とすより、避けたほうが遥かに楽だったはずです」

「……そこまで見てたのか」

「囲まれてさえいなければ、ゴブリンくらい中級魔法で一掃できますから」


 ……サディアのやつ、そんなに強かったのかよ。

 まぁロレインのやつも中級魔法は普通に使えていたし、彼女と同等のサディアなら使えてもおかしくないか。

 俺は情けない思いで魔法薬を受け取り、やけ酒気分で飲み干した。自分より遥かに格上の相手を心配していたなんて、情けなさ過ぎて恥ずかしくなってくる。

 魔法薬の効果で骨のヒビが治癒され、痛みがなくなると、サディアは俺の肩にそっと手で触れた。


「……本当に、申し訳ありません」

「俺が間抜けだっただけだ。君が気に病む必要はないよ」

「ですが――」


 何かを言いかけるサディアを遮るように。

 ロレインの悲鳴が、通路の向こうからこだました。

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