第9話 悪役貴族、迷宮に潜る (2)

 ロレイン達が通った形跡をたどりながら、慎重に第三階層を進んでいく。


 第三階層に下りたところで、出てくる魔物はスライムと吸血コウモリがほとんどだ。

 厄介なのは、毒を持った緑色のスライム――毒スライムくらいのものだが、これも接近戦を避けて遠距離から魔法で倒せば、大して危険のない相手だった。


「……にしてもあいつら、まだ下に行くつもりなのか?」


 思わず愚痴が声に出る。

 魔物の死骸が残ったルートを考慮すると、ロレインとジークはまっすぐに第四階層の階段を目指して進んでいる。

 迷宮初心者が第四階層まで一気に下りるなんて馬鹿げているし、第四階層からはより強い魔物が出現する。


 やはり、ロレインは冷静さを欠いているとしか思えなかった。

 一刻も早く二人に追いつき、無謀な探索をやめるように説得したいところなのだが……別の問題が俺を苦しめ始めていた。


「はぁ……はぁっ……くそっ……」


 それは、疲労だった。

 そこそこの距離を歩いたのと、度重なる戦闘、更に警戒しながら迷宮を進む心労も加わって、俺はすでに息切れする程度には疲れ始めていた。

 疲労状態で迷宮を進むなんて自殺行為はやめたほうがいいのだが、ジークとロレインがこれ以上奥に行く前に止めておきたい。

 連中が魔物に時間を使っている間に追いつかなければ、どんどん距離が離されてしまう。だから、ここは無理を押してでも前進すべきだ。


 そう思っていたのだが――


「……あ、あの……ゼオン様」


 後ろから呼び止められ、俺は小部屋の真ん中で足を止めた。


 振り返ると、サディアも俺と同じように肩で息をし、顔に疲労を浮かべていた。

 持ち慣れない長弓に加えて、魔法薬ポーションの入ったリュックまで背負って戦闘しながら歩いてきたのだ。彼女が疲れていないはずがなかった。


 ――何をやってるんだ、俺は!


 冷静さを欠いていたのは、俺も同じだ。

 ジークとロレイン――原作通りなら世界を救う鍵となる人物――が危険かもしれないという懸念に気を取られて、自分がパーティを率いていることを完全に忘れていた。

 今、俺が最優先すべきなのは自分のパーティの安全だ。こんな疲労状態で魔物と戦ったら、最上層のザコ相手でも命を落としかねない。


 俺は一瞬で頭が冷えていくのを自覚しながら、彼女の背からリュックを取り上げた。


「気づくのが遅くなってすまなかった! 君のほうがしんどいに決まっていたのに……」

「……いえ。私のせいで申し訳ありません」


 言いながら、サディアは倒れ込むように座ると小部屋の壁にもたれかかった。

 俺もリュックを地面に下ろすと、彼女の隣の壁に背を預けながら、部屋の左右の通路を警戒する。

 長剣の柄に手を置き気を張る必要はあったが、壁にもたれている分だいぶ体は楽だった。


「謝らないでくれ。あいつらが心配だからって、無茶をしすぎた。どう考えても俺が悪い」

「……婚約者の身を案じるのは、当然のことです」

「婚約者? ……あー、ロレインのことか。そういや言ってなかったな。俺とロレインの婚約は正式に破棄されたらしいぞ」


 実際に正式な文書が送られてきたわけではないが、ロレインがこの手のことで嘘をつくとは思えない。婚約破棄は間違いなく決定事項のはずだ。

 俺の答えに、サディアは一層表情を暗くした。


「……重ね重ね申し訳ありません。ゼオン様の傷をえぐるようなことを言ってしまって」

「それも気にしないでくれ。元から親に決められた婚約だったし、ロレインには最初から嫌われてたしな」


 俺の実家ユークラッド伯爵家はロレインの実家グズルーン公爵家の軍事力が欲しく、グズルーン公爵家はうちの実家の資金力を欲していた。婚約はその布石のようなものだった。


 ロレインは初めて会った瞬間から、俺にいい印象を抱いていないようだった。

 金だけを頼みにした成金伯爵家の、魔法の才能が欠片もない嫡男なんて、代々王立魔法騎士団の重鎮を務めるグズルーン家の人間からしたら、何の魅力もない男だったに違いない。

 強さを尊ぶグズルーン公爵は、俺の魔法の才能のなさにも一応我慢していたようだが……俺が平民のジークに負けたと知ったからには、家名を汚す婚約を履行することはないだろう。


「というか、すまない。君までこんな面倒事に巻き込む必要はなかったな。第二階層に下りる前に、君を地上に返しておくべきだった」

「それは無理です。命の危険がある場所に主人を放り出したまま、自分だけ安全地帯にいるなんて、『隷呪の首輪これ』が許してくれません」

「……それもそうか」


 なら第二階層に下りる前に、生徒達の中から有志を募っておくのが正解だったか。

 いや、それも無理だ。第二階層に下りる時点では、ロレイン達がここまでハイペースで迷宮を進んでいくとは想像もしていなかった。

 第一、俺が呼びかけたところで応じてくれる生徒がいたとも思えない。


 俺の心配が、ただの杞憂であってくれればいいのだが……


 思案を巡らせながら休憩を取り、ようやく息切れが収まってきた頃。

 小部屋を貫く左右の通路の両方から、足音が響いてきた。

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