#7
行きに見た砂まみれの街並みは、時間が止まったように変わる事なく存在し続ける。
バイクのスピードを上げるたび、彼女が砂と溶けて消え去ってしまうのが怖くて、臆病な僕は何度も後ろにいる筈の姉の姿を確認してしまう。
「大丈夫だよ、居なくならないから」
ふふふっ……と雑音の合間から聞こえる見透かしたようなその声にカッと熱くなった僕は、「煩い」と反発する。
「それにしても……知らないうちに雫が大きくなっててちょっとビックリしたなぁ」
白くて細い腕を僕の腰に巻き付ける彼女は感慨深そうに呟くと、嬉しそうに笑って体を寄せる。薄手のシャツから伝わるヘルメットの無機質な硬さと彼女の柔らかい感触が僕を責め立て、驚きのあまりバイクのハンドルが静かにブレた。
「あんまり揶揄うなよ」
「揶揄ってないよ、本気だって」
猫が喉を鳴らすみたいな甘ったるい声が内耳を擽り、理性が壊れそうなほどの衝撃で思わずブレーキを掛ける。
「僕も男なんですが?」
片足を地面についた僕が振り返ると、いつの頃か追い抜いた身長差のせいで上目遣いになった姉がゆっくりと顔を寄せてゆく。彼女が被るヘルメットと僕の頭がぶつかる程の距離に吐息が混じり、彼女の潤んだ瞳が輝く。
「あのさ……」
揺らぐ陽炎と砂の蜃気楼に溶けた彼女の言葉は、都会のど真ん中で静謐な時間に響き渡る。
「何?」
「いや、何でもない……」
うじうじと口篭らせた姉は分かりやすく誤魔化すと、「もうすぐ着くかな?」と僕を催促する。気分屋の彼女に振り回されっぱなしの僕は額に滲む汗を服の袖で拭うと、通り過ぎた熱波が古傷を隠す長い前髪を翻す。
まるで付き合いたての学生みたいな会話を重ねながら砂埃を散らしてバイクを飛ばすと、あっという間に僕が一人で住んでいるアパートに着く。バイクが止まるなりヘルメットを外した姉は、見たことないほどの無邪気さでシートに座ったまま僕に手を伸ばした。
「何?」
「降ろして」
「なんで?」
「いいじゃん、病人なんだから」
まるで子供に戻ったように駄々を捏ねる彼女に新鮮さを感じながらも、僕は戸惑いを隠し切れない。ひとまず彼女の伸びた手をそっと包んで支え、紳士のエスコートを思い浮かべながら砂の広がる大地へとお招きしてみせる。姉の爪先が土に触れ、体重がバイクから砂漠へと比重を変えると、地面からググッ……と鈍い音が響く。
「本当に砂だらけなんだね」
「……まぁね」
「全部、人だったんだよね」
「そう……だね」
何処からともなくやってきた砂粒は昨日まで笑っていた誰かの何かで、姉や僕の末路と言っても過言では無いのだろう。複雑な気持ちで繋いだままの彼女の手を握った僕は、虚な瞳で地面を眺める姉の顔を覗く。
「室内ならこうやって踏まれたりしないよ……家、入ろっか」
静かに頷いた彼女を連れてエレベーターに向かうと、靡いた黒髪が景色に溶けて砂に舞う。
「あ」
目算十センチ弱。それは僕が守り切れなかった彼女の一部。病院からファントムみたいに攫ってきた彼女の毛先から爪先まで、右手の親指から左手の小指まで……その全てを独り占めしたい僕は、独占し損ねたその毛先が誰かの目に触れるのが惜しくて仕方なかった。
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