#4


「速報です! ……今に至るまで砂化の経緯が分からなかった砂煙病ですが、大学病院の医師らによって感染方法の報告書が提出されました。……報告によりますと、風を媒体にして砂煙病にて発生した砂埃を深く吸い込む事で肺を冒し、体内に蓄積された砂が内臓と神経の末端から砂化させる『侵食』を行う、というプロセスだそうです」


 静かな室内の雑音として点けられていたテレビが慌ただしくつらつらと難しい単語を並べ、駆け足で僕の耳を右から左に突き抜けてゆく。


 砂化……?


 アナウンサーの言葉に耳を欹てて次々に画面を埋めるテロップを眺める僕は、その中でも際立って脳味噌に突き刺さった『感染』という言葉に嫌な予感を芽吹かせ、慌てて姉の携帯に発信した。


 いつもなら何も感じない筈のコール音が重なるたび、僕の心臓を小さな小さな針が苦しいぐらいに痛め付ける。


 ──どうか……どうか何事もありませんように……。


「もしもし?」


 数コールで彼女の声に切り替わった電話口にホッと胸を撫で下ろした僕は、「ごめん急に掛けて」と焦った自分の声を聞いて自嘲した。


「ううん、大丈夫」

「なら良かった……姉ちゃん、今どこ?」

「……病院だよ」

「そっか」


 少し間の空いた言葉に違和感を覚えつつ、学校での出来事を誇らしげに報告するガキみたいに「あのさ」と声を弾ませた僕は、さっきニュースで見たばかりの内容を頭の中で噛み砕いて言葉として吐き出す。


「今ニュースでさ、砂煙病のことがやってて……なんか、砂煙病って感染するらしいんだよ。だから、だからさ……」


 ──そんなに病院なんてやめて、僕の側に居てくれないかな?


「知ってるよ」


 淡い期待が言葉になる手前で言葉を遮るように被せた彼女は、何処かに険を帯びる淡々とした声で言い放つ。でも僕はその反応の意味を、痛いくらいに知っている。強がりな姉は深く詮索されたくない時、まるでサボテンが自分を守る為に鋭い棘を仕込むように言葉を研ぎ澄ます。


 半袖から覗く昔々左腕に押し付けられた煙草の烙印が焦げるように熱を帯び、僕は自分の予感が戯れでは無い可能性に愕然とする。


「姉ちゃんは、大丈夫なんだよね?」

「……」


 応答はない。

 そして、その反応こそが彼女の痛ましい答えだった。


「病院に居るんだよね?」


 縋り付く声があまりにも子供染みていて、言葉を投げた筈の僕ですら笑えてくるほどに情けない。


「……居るよ」

「父さんと母さんには?」

「言ってない」


 いつも勝気で怖いもの知らずの彼女は震えた声で答えると、今にも泣きそうな「ごめんね」を捻り出した。


「今から、そっち行くから」


 携帯を耳と肩で挟んで荷物を纏める僕が即答で出した決意に驚いたのか、姉は慌てた様子で「駄目っ」と息巻くと大きく咳き込む。


「駄目じゃない」

「……さっき感染るって話したでしょ? ……お願いだから」

「そのお願いは聞けないな」


 僕は人生で初めて姉に逆らった。いつも従順にしていたのは意志が弱いんじゃなくて、しっかり者の彼女に嫌われたくなかったから。姉が砂と消えて二度と会えなくなって仕舞うなら、生きている今を掴むために牙をも剥いてみせる。


 ──何故彼女のようない善人がいとも簡単に蝕まれて、僕みたいなゴミ屑が今だに息をしているのだろう?


 やるせない気持ちで歯を食いしばった僕は、黙り込んでいる携帯のマイクに「じゃあ十分後に」と語りかけて通話を終了する。


 右手にはスーパーカブのキー。

 左手にはヘルメット。


 傷跡を隠す為に愛用している薄手のカーディガンを羽織った僕は、人生で一番素早く家を飛び出し、砂埃を被ったバイクを叩き起こして跨った。

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