#3

 砂漠の発生から十日も過ぎれば、お勉強のよくできる学者達はその不可解な現象を『砂煙病』と名付けた。


 砂煙病は人間によく似て狡猾で陰湿な病気と定義され、数少ない情報の中で理解できるのは人間だけが砂化することぐらいである。


 最初は夜の街を徘徊していた不特定多数の男女や怖いもの見たさで足繁く砂場に通った若者、発生源近くの近隣住民は翌々日ぐらいから体を砕き、砂煙病を調査していた警察や自衛隊は随分と少なくなった。


 そそくさと都会を捨てて逃げ出す人々やこの不可解な状況を見ても尚、僕は美術館の絵画を眺めるような感覚で都会の砂粒を眺めては溜息を溢す。


 きっと……きっと僕は、この現象に怖いという感覚が薄いのだ。心の片隅でボンヤリとした不安を抱えつつ、ただひたすら生き存えさせられる世の中の渦に呑まれ、抜け出すことの出来ないソレは足を掬う蟻地獄。そうやって精神を擦り減らしてきた僕は、感情の隙間で身分や男女を問わず訳も分からぬまま元の大地に戻れることを心のどこがで望んでいるのかも知れない。


 そんな綺麗事を並べる僕は、自分と現実を隔てるようにしっかりと締め切っている窓から外を見る。音もなく木々を優しく揺らす風に乗った砂が色を帯びて大げさに巻き上がると、僕の愛車──スーパーカブを飲み込んで何処かへ遊びにゆく。


 大学へ通う為に、とバイク好きの叔父さんが進学祝いとしてくれた愛車は、基本無頓着な僕にもってこいの頑丈さと安定感が持ち味らしい。それも変な気を回して二人乗りができるタンデムシートやらを選んでいる辺り、叔父さんは色んな意味で遊び心に溢れている。


 ──後ろに乗せたい人なんて、僕の生涯にはたった一人しかいないのに。


 灼熱の都会の空調に頼り切った一室で、物思いを広大なビル群の砂漠に溶かした僕は、大病院勤めの愛しい姉を思い出す。


 万年虐められっ子の僕にとって、唯一味方してくれる彼女はスーパーヒーローで純潔のナイチンゲールだった。共働きの両親と違って、僕がピンチになると一目散に駆けつけてくれる姉をどんな形でも支え続けると勝手に誓った僕は、彼女がどれほど前向きで頑張り屋なのかをよく知っている。


 何でも抱え込んでしまう長女特有の悪癖持ちではあるが、面倒見が良くて気配りのできる心優しい姉は、偏屈で冷めた僕の姉であることを差し引いても尊大で敬慕できる──僕の永遠に叶わない初恋の相手。


 この前電話した時だって、普段からの忙しさに加えて奇病の搬送が多い大病院で疲れているはずなのに、彼女は穏やかな声色で僕を心配してくれた。姉が本当に心配すべきなのは、過労で今にも倒れそうな自分に他ならないのに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る