第17話 「人形と旅する男」」
少女人形を背にした男の旅はあてどないものだった。
彼はただひたすらに人形が見たいと言った物のために移動し続けた。
海。
空。
花。
長い時代、部屋の中で飾られ続けた人形の欲求はシンプルで幼かった。男は少女の足となり、どこへでも出向いていった。
「滝、滝ねぇ。シンプルに滝って言われても、ナイアガラからチョロチョロの滝まで色々あるからなぁ」
「水量は多いのに越したことはないわ。ついでに回りが緑いっぱいで、かっこいいの」
今回の目的地はいのりのご要望に合わせて、T県の山奥にある旅館ということに決まった。
最小限の手荷物といのりの入ったリュックだけの旅なので、旅館に入る前に滝を見物しに行った。
滝の光景は見事なものだった。切り立った岩場から流れ落ちる水量も見応えのある量、これはにいのりも大満足。遠出したかいがあり、緑の量もバランスも見事、隠れた名勝と言われるだけはあった。
良く考えてみればナロウ自身、映像以外で滝の本物をみたのは初めてだった。
この旅はいのりに世界を見せるものであったが、実際にはナロウ自身も初めての物ばかりだった。何を見ても彼は彼女と同じ様に感心し感動していた。行きのワクワクも帰りの語らいも、ふたりとも同じレベルで感じ合うことができた。
都会でネットと仕事だけのナロウの人生は、囚われの人形とたいした差がなかったのだ。
ひとしきり滝を眺め、その冷気に当たり続けたナロウたちは、そばの旅館に向かって歩いた。まだ日は高く日差しは暑いほど、先程まで滝の飛沫を浴び続け冷えた体を温め直してくれた。
旅館までの道のり、舗装された山道を進んでいると、道の向こうからふたつの白い物が立っていた。陽炎に揺れるその姿を見た時、ナロウは真昼の幽霊を思った。それくらい白かったのだ。
向かいから歩いてきたのは二人の人間、当然霊などではないが、それに近いものだった。
白装束の神主と巫女が、平然と道を歩いている。境内ならともかく、普通にはありえない並びだった。
さらに近づくとその顔立ちも見えてきた。
美しく若い男女だった。
神主は20代ソコソコの色白な男性。烏帽子をかぶった短い髪で目付きが鋭い。
巫女も同じ様に色白の美人であるが、こちらはさらに目元が細い。色素の薄さが髪色にまで到達し、日に照らされた部分が銀色に見えるほどだ。
二人の姿は似通っていて、なんらかの血の繋がりを感じさせた。
しかし、神主といえば「本物の宗教家」である。「偽物」「上っ面」「コスプレ野郎」である在野のエクソシスト「和尚」という仕事をしているナロウからしたら、目を合わせたい人種ではない。怯えながら目をそらしてしまうのは仕方がないことであった。
さらに言えば、若く美しい二人だ。引け目はさらに強大になり、目線を遠くの稜線に向けるしかなかった。
無関係な他人として、同種の仕事を扱うことがある同業、などと思われないために、そそくさと歩くナロウ。
神主と巫女の二人と、人形をリュックに背負った男は狭い道を通り過ぎた。
二人が背後に消えて幾分ホッとするナロウ。さすがに怯え過ぎではあるが、背中にはいのりがいる。もしかしたら、そういう気配を感じる人種がいるかも知れない。気をつけるに越したことはない。
「ちょっと」
声をかけられ露骨にビビるナロウ。振り向くと、神主の男、巫女の女、揃ってナロウの方に振り返っていた。
声をかけてきたのは女の方だった。
「なにか?」
『元手無しで素人でもできる除霊のお仕事』という謳い文句すらある和尚の仕事、それを生業としているナロウは本職を前にして、職質を受けたオタクの様に怯えた顔を見せた。
「妹よ、なによ?」
隣りにいた神主の男は妹が止めた理由を分かっていなかった。そしてやはり兄妹であるようだ。
「この方から、不思議な気を感じましたのよ、兄様」
「なに?妹よ。今日からそういう商売初めたの?いいと思うよ、素人騙して金とるの」
兄と呼ばれた若い神主は、思いっきり俗な事を口にしている。
それを聞いてため息を付く巫女。
「兄様、私には兄様と違って霊感、というのがございますのよ。兄様がそういうことをおっしゃいますと、私の価値が下がりますわ」
「妹よ、事あるごとに霊感があるとか無いとかいうの、止めない?兄として傷つくし。俺達の商売に関係なくない?」
「関係ありますわよ、お祓いにしろ除霊にしろ、霊感がなくて、どうやって仕事の成否を測るというのですか?」
「フィーリング?」
小競り合いを開始した兄妹を置いて、逃げ帰ろうとするナロウ。
その背中のリュックを掴まれた。
「ちょっと待ってね。妹が用事あるみたいだから」
ナロウよりも線が細い男であったが、力は強かった。というよりもナロウの身体能力が平均より二段低いのであった。
「申し訳ございません、そのリュックからすこし、おかしな匂いがいたしますの。拝見してよろしいかしら」
兄にも妹にも遠慮というのはなかった。
なるほどと、ナロウは思った。たしかにこの巫女、鼻が効くようだ。いのりの存在を感知できている。だがそれゆえに厄介だった、見せるわけにはいかない。
「悪いね、おじさん。妹が欲してるものは、兄として与えてやりたい。たとえおじさんの不興を買ってもね・・・」
兄と妹が迫ってくる。この妹相手に、ただの人形ですとやり過ごすことは難しいと思った。
突風が吹き、神主が被っていた烏帽子が飛ばされた。宙を舞い、道路の斜面を転がっていく。
「おいおい、マジかよ」
兄は遠ざかっていく職業的に重要な帽子を追いかけ始める。妹もそちらを見やっていたが、ふと振り返ると、リュックの男は姿を消していた。
慣れない全力疾走をしたナロウは息も絶え絶えだった。二人の姿が見えなくなってようやく息をついた。
「やったな?」
リュックの中の呪い人形に語りかける。先程の突風が自然現象でないと気づいていた。
「こんなところで厄介事はごめんよ。あの妹、霊感持ちだわ」
呪いの人形がこう言っているのだ。あの巫女はプロの巫女と呼んでいいだろう。
「兄は?」
「ボンクラね」
兄の方の格付けも済んだ。
巫女たちを巻いたナロウは旅館に着いた。滝基準で選んだため、恐ろしく山奥の旅館なのが心配だったが、古い歴史を感じさせる立派な木造建築が見事な、一流の旅館だった。
やや薄暗い玄関の奥に受付があり、和装の女性が立っていた。こういった場に馴染みのないナロウは緊張しながら宿帳に名前や住所を書く。
(職業欄…って書かないと不味いかな)
「和尚」と素直に書いてしまった。
旅館内は照明が抑えられ薄暗いが、周囲の木々の反射光が窓から入り、気持ち良い光と闇のコントラストが作られていた。
斜面に建てられた建築物らしく、短い階段や廊下が入り組んでいる複雑な作りで、館内案内を見てもその多層な構造は理解できなかった。
受付から女中に案内されて廊下を進むと、水音が聞こえだした。どうやらこの旅館は、先程見た滝の側に建っているらしく、部屋によっては滝の流れ落ちる所が見られるそうだ。
部屋に案内され、施設の説明と食事の時間等を教えられる。温泉もあるそうだ。
女中が去り、ナロウはようやく落ち着いた。静かな和室。縁側に向かって座る。窓枠いっぱいに木々の緑と空の水色だけが広がっていた。建築物も電柱もない。街のあらゆるノイズも聞こえてこない。ただ木々の擦れる音だけが耳に届く。リュックがひとりでに開き、人形のいのりが姿を表す。彼女にとっても長旅だった。
一人でに歩く人形は、ナロウの横にちょこんと座って無言だった。彼女のガラスの目も水色と緑色に染まっている。
「しずかね」
いのりがそう言って頭をナロウの横っ腹に乗せる。彼女が言う通り、本当に静かだった。
宿の食事は普段のナロウの生活水準からすれば、豪華絢爛というべきものだったが、楽しめなかった。いのりが食事が出来ないからだ。すでにナロウにとっていのりが出来ないことは楽しみではなくなっていた。彼はそそくさと食事を済まし、いのりを温泉に誘った。
この旅館にいくつもある温泉の一つは、非常に小さいながらも時間制で貸し切りにできる。その予約をすでに入れていたのだ。
リュックに入ったいのりを連れて温泉に向かうナロウ。貸し切りの浴場には人はおらず、人形を風呂にいれる奇人を見ても咎める人も当然いない。
温かな温泉に浸かる男と人形、柵に囲まれた小さな温泉に屋根はなく、一面の星空が屋根の代わりをしていた。
湯船に浸かるいのりの肌は、作り物とは思えないなまめかしさ。長い長い髪の毛が湯舟に広がっていた。
「ジロジロ見ないでよ」
いのりは恥ずかしげにそう言うが、混浴でそれは難しかった。
風呂上がりにいのりが着たのは普段の人形用のドレスではなく、旅館に備え付けの子供用の浴衣だった。普段と違う姿で、髪を上に上げたいのりの姿は新鮮で、ナロウは「帰ったらもっといろんな衣装を買おう」と決意させるに十分であった。
旅館の夜は早い、あとはいつものように一緒の寝床で寝るだけなのだが、普段と違う場所と空気があり、ナロウを緊張させた。
初めて寝床を同じにするような緊張…。
翌朝。結局いつも通り普通に寝ただけだった。少し違うのはお互いの体から香る温泉の香りを嗅ぎあったくらいだった。
特に予定もない旅なので、二人とも布団の中で無駄に惰眠を満喫していた。
廊下を走るバタバタとした音が聞こえたと思ったら、その足音はあっという間に十人以上が走り回る騒音へと変わった。
やかましさに負けて起き上がったナロウは、廊下に顔を出す。
するとちょうど通りがかった女中さんが一言、
「騒がしくて申し訳ありません、問題が発生しまして・・・」
女中はその問題とやらが何かを言えない立場のようだった。
「つまりこういうこと、殺人事件が起こったってことよ」
女中に変わってそれをナロウに伝えたのは、巫女姿の女と神主姿の男だった。
あの兄妹が廊下に立って、ナロウを見ていた。用事の途中だった女中は逃げるようにその場を去り、ナロウは必然的に神職の二人と対峙する事となる。
「あんたら、なんでここに?葬式にしては準備が早すぎないか?」
ナロウとしてもこの二人とは仲良くは出来ない。それにまだ布団の中にはいのりが寝ている。寝相のせいで着崩れている彼女の浴衣姿を他人に見せるわけにはいかない。
「残念ながら葬式じゃなく、呼ばれてたのはお祓いなの」
巫女の妹が答えた。
「お祓い?じゃあ、遅かったわけだ、もう事件が起こってるしね」
「なかなか気の利いた事を言えるおっさんだな。たしかに俺達が先にお祓いしてたら事件はおきなかったかもな」
神主の兄は旅館の奥で起こっている騒動を楽しげに眺めていた。
「もっとも、殺人事件というのは旅館側の見立ててで、我々の見立てとは違っています」
「殺人事件じゃないって、じゃあなんですか?」
「自決。遺体は密室状態で発見されました。これは密室自決事件です」
巫女がいろいろと言っているが、結局のところそれは自決した人間が鍵をかけてただけ、ということである。
「じゃあ、事件性なしってことで」
あまり付き合いたくない二人だったので、ナロウはそそくさとふすまを閉じようとしたが、それを兄の方が制止している。
「そういうわけにもいかないのですよ、おしょうさん…」
妹のほうがプリントアウトした紙をナロウに見せた。それはナロウが不動産屋に提出した履歴書だった。
「宿帳か…」
彼が自分で書いた情報だったが、それをなんらかの方法で盗んだのだ。
「あなたには、今回の自決事件に関わる容疑がかかっています」
「たんなる観光客で、プライベートだ。警察でもないんだから遠慮させてもらうよ」
二人を遮断するためにふすまを閉じたいのだが、ピクリともしない。
「うちの妹がさー、これが霊感バリバリの妹なんだけどさー。怪しいって言ってるんだよね」
「なにがです!」
「あなたの、手荷物、特にリュックの中が!」
妹が顔を寄せてくる。その細い目の奥にはヘビのように輝く瞳があった。
「と~~っても興味ぶかいんですけど!」
妹がおでこをこすりつけてくる。
ナロウといのりは、旅行先でとんだ災難に巻き込まれようとしていた。
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