第16話 「そきら荘の夢現《ゆめうつつ》」



「は・じ・め・る・ゼェーーー!」


一番西の部屋からライブダイブのシャウトが起こり除霊開始のゴングとなった。


ライブダイブも気を使ってか、すぐにドアを閉め、くぐもった音が廊下に流れてくるだけになった。意外と防音が聞いてる建物だった。


 続けて、その隣の部屋でにせ家族和尚の一団が狭い室内で家族団らんを開始する。


 その隣、アスマー和尚がASMR音声朗読のしっとりとした声を流し始める。


 最後の一番東の部屋で、ナロウはなろう小説の朗読を開始する。


 4人の和尚の同時除霊が開始された!




 ライブダイブの「騒音異化系」


にせ家族の「一家団欒・逆占拠系」


アスマーの「ASMR・生(性)喚起系」


ナロウの「寄り添い・朗読系」


 4つの同時多発除霊がそきら荘一階を除霊占拠する。


 無人の事故物件アパートが一気に騒がしくなる。音量的には西から東へとグラデーションがあるが、それぞれが個性的に近所迷惑。


迷惑知らずのバンドマン、


一家団欒という圧力、


なぜかセクシーな声が出てくる部屋、


頭のおかしいなろう朗読。


すべての部屋が事故物件から迷惑物件へと姿を変える。


「これはラクショーだぜ」


ライブダイブが楽観的になるのも仕方がない。4人もの和尚がこの建物内にいるのだ。その除霊力は凄まじく、誰かがミスったとしてもフォローが効くという安心感がある。ライブダイブも気兼ねなく音楽に没頭できた。


霊なんて簡単に追い出せそうだった。




ナロウが選んだ小説は「漫画家が創作に青春をかける系」作品。漫画を描くという行為を見事に文字に書き起こしている作品だ。創作という行為に夢中になり、自分の壁を突破していく快感を読者に与えてくれる。


いのりは朗読を聞きながらも、周囲を警戒している。呪いの人形である彼女は、人間よりもビビットに霊の動きを感じているようだ。


バキン、と空間が鳴り響くラップ音がした。


4つの部屋の住人たちが一瞬とまってしまうような大きなラップ音だった。


彼らのいる部屋には一つづつ作業デスクがある。白い備え付けのそのデスクに、黒い人影が現れた。テーブルに向かい、テーブルにかじりつくように座っている、黒だけの影。


全身がノイズで服も肉もない。黒のノイズが全身にうごめき、朧げな人体を作り出している。それが机に縛り付けられたように座って、なにかの作業を狂ったようにしていた。


ライブダイブはその影を前にし、ギターが止まる。


にせ家族は黒い影を中心に団らんが静止しし、


アスマーはその黒い背中を見上げて、声がかれる。


ナロウは、恐れを振り切り大声で朗読を続けた。


彼の声を壁越しに聞いたアスマーも除霊を再開し、それを聞いた家族が団らんを継続、家族の生活音に気づいたライブダイブは、恐怖を断ち切るロックを信じて奏でた。


 4人の連鎖が除霊をつなげた。一人では出来ないことが、4人なら出来たのだ。


ナロウは漫画創作の喜びと勝利の物語を、


アスマーは生と創造者を褒め称える言葉を、


にせ家族は家族一丸となった応援を、


ライブダイブはただ騒がしく


賑やかに賑々しく、再び陰を打ち払う陽の空間が生まれる。


部屋に巣食っていた影は乱れ始める。


霊が打ち祓われる。


亡霊が除されていく。


4人の除霊はシンクロし、このアパートに漂う暗い空気を弾き飛ばす。


4人の除霊は、今ひとつに…


「あぶない!」


いのりの叫びが聞こえた時、


アパートは二つに折れた。




西側の部屋は東側に向かって傾き、床は斜めのすべり台となった。


逆に東側は西側に大きく傾き、ナロウとアスマーは床を転がった。


「なんだ!地震か?」


地震のような連続した揺れではない。明確に一度だけ建物が真ん中で折れたという感じだった。


全員、斜めになった床で除霊を中断した。


壁からも床からも裂けるような音をなりだした。


廊下側の壁にいくつもの大きなヒビが入り、廊下側に向けて吸い取られるように砕けた。


4つの部屋の廊下側が同時に崩壊した。


部屋の中にいた4組の和尚たちは、そこから砕けた廊下を見るはずだったのに、そこから見えているのは…


「宇宙?」


アスマー和尚の眼の前には真っ暗な空間が広がっていた。さきほどまであった廊下は消え去り、ちいさく砕けた破片となって闇の中を回転している。


さらに覗き込むと、廊下すべてが消え去り、破片が浮かぶ宇宙となっている。その中心、廊下があった場所の中心には、巨大な黒い球が浮いていた。


「なんだアレは…」


ライブダイブも驚いている。心霊事故物件程度で起こる現象ではない。


アパートの部屋がさらに砕かれる。部屋の破片が中央の黒い球に引き寄せられ吸い寄せられている。


「ブラックホールだ…」


それはそうとしか言えなかった。4つの部屋もそこにいた霊も吸い込んでいる巨大な黒い球は、地上にあるはずもない天体現象でしか説明できない存在だった。


壊れた壁越しにお互いを見やる和尚達。限度を超えた心霊現象の発現に声も出なかった。


バギギ


さらに部屋は砕かれ半分になる。そこにいる和尚達も宙に浮かび黒い球に吸い込まれる。


「ああああ!」


全員が恐怖の声を上げるが、体はその場に留まった。


ナロウの前には両腕を広げて気張っている いのりの姿があった。


彼女がポルターガイストの力で全員の位置を固定していた。しかし彼女の力があの黒い球よりも勝っているようには見えない。固定するだけで精一杯のようだ。


「だから、逃げなさいって言ったじゃない…」


彼女の言葉には怒りの成分はなく、寂しさが漂っていた。彼女自身、あの球の力には勝てないことを悟っていた。彼女には薄っすらと見えていたのだ、このアパートの本当の正体が。




和尚である彼らは、このアパートに巣食っていた強大な霊球を見ることによって、初めてその声も聞けるようになった。


球から流れてくる轟音は、すべて人間の恨みの声だった。


「成功を求めてこのアパートに来たのに、成功しなかった」


「成功者の中に入れば、自分も成功できると思った」


「なぜ自分は成功せず、他のやつだけが成功するのか」


怨嗟怨嗟怨嗟。


蓄積され続けた怨嗟につぐ怨嗟。


「このアパートは、溜め続けていたんだ」


ナロウにもようやく見えた。成功者の名に惹かれてきた人間がこのアパートに集い、成功することなく去っていく。何人も何十人も。


何十年も。


このアパートは、効率的に怨嗟を集める装置として機能しすぎてしまったのだ。


その呪いが塊となっていた。


圧倒的怨嗟の質量はついに臨界し、アパート自体を両断し吸い込もうとしていた。


「この呪いの球が住人を自決に追い込んだんだ…」


心霊事故物件などという生易しい場所ではなかった、ここは心霊呪詛物件だ。


しかしどうする?


今はいのりの力に守られているが、このままでは4組ともあの呪いに吸い込まれるのは確実だった。


呪呪呪。


呪いの音が迫ってくる。彼らを引き込もうと重力の腕を伸ばしてくる。


すでにこの場は詰んでいた。重力に勝てる除霊などない。




ナロウ和尚は寄り添い系だった。


霊に寄り添い、その心情を知り、その心を解きほぐす除霊を行う和尚だった。


彼の目には見えた。巨大な黒い球にしか見えない呪いの中に、自らの呪いに回転を強いられている多くの人達の姿がいることを。


呪いは、呪いの重力は人を決して逃さない。呪いの球の中にとどめて、永遠の回転を強いる。




絶対の呪いの力を前にして人に為すすべなどない。


だが彼らは和尚、霊に立ち向かうすべと意思を持つ者たち!


ナロウは朗読を開始した。


それは古典「コミックロード」の一説。


第一章6節、将来大漫画家になる男が、人生最初に描いた漫画を友だちが読むシーンだった。


「へぇ、キミ、漫画を描くのかい?どれ、僕に読ませてはくれないか?」


ナロウの朗読は普段の声ではなく腹からの朗読。それは呪いの重力音に負けぬ、意思のこもった声だった。


それは遠いライブダイブの元にも届いた。


彼は即興でその朗読のBGMを深く静かにシンクロさせた。


コミックロードは全員が読んできている。そのシーンも全員知っている。


にせ家族は演劇者らしく、空を舞ってそのシーンを演じ始める。


アスマーは出番がないと思われたが、ナロウの朗読のタイミングに合わせ、登場人物のセリフを重ね読みした。彼女の声は、ナロウよりもはるかに少年の声に近く、深い心理描写をプラスさせた。


宙空にうかぶ和尚の一団は、即興でひとつの舞台を作り出した。


朗読、即興音楽、即興演技、即興アテレコ。


即興でありながら、彼らは一つのものを、必死に


創作した。




黒い球の中、呪いの回転運動の向こう。何十という人の影がいて、彼らは回転する球の中で手足を張り、静止してこちらを見ていた。


朗読即興劇を鑑賞していた。


その真っ暗な穴だけの目で観劇している。


その目には「作っている人への羨望の輝き」が残っていた。その輝きは穴からこぼれ涙のように流れた。


ナロウは朗読を続けながら、心で叫んだ。


「創作を呪いに変えるな!」


「創造する力で自分を呪うな!」


このアパートに集まったのは創造する喜びであったはずだった、それなのにそれは妬みと嫉妬と絶望に変わってしまった。創造の喜びが巨大であればあるほど、マイナスの力も巨大であった。


多くの人が自らの才能の無さと不運に絶望しこのアパートを去って、呪いだけがたまり続けた。


「君たちは創造しつくした人生を歩んだ。たとえその道が途中だったとしても、それを祝え!」


ナロウの魂の叫びは、宙を駆け抜けて暗黒の球に衝突する。


球にはわずかな傷がついた。


その傷はあまりにも小さかったが、回転する球にとっては致命傷だった。


傷の名前は「創作者への祝福」


呪いの暗黒球の回転は早すぎた。僅かな傷のせいで球は自壊した。




自壊した球は自らをも吸引し始めた、


恨みも妬みも呪いも、何もかも。


吸収する力が強すぎる。


アパートが粉々に砕かれる。壁も屋根も原型を失い闇に飲まれていく。


いのりの力でも抗しきれない。このままでは全員飲み込まれる。そこで彼女は球の吸引スピードを利用した。力を抵抗するではなく加速に使った。


9人を一纏めにして、球に向かって突撃する。和尚たちはブラックホールをかすめてカーブした。その球の中では霊も呪いも何もかもが一つの白い穴に吸収されているのが、一瞬だけ見えた。


いのりは一団の加速を最大にする。吸引スピードを自分たちの物にし、ほんの一瞬だけ脱出速度に到達した一団は、破壊の宇宙から現実のアパート上空に飛び出した。




「だぁぁぁっああああ!」


和尚全員が空に放り出された。


 落下している彼らの下では、アパートが中央の一点に向かって、風船でできた建物の様に吸い込まれていた。


ほんの僅かな秒数で、アパート全体が一点に収まり、この世から消えた。




墜落寸前に、いのりは全員を一瞬だけ地上すれすれで停止させる。その後で全員が地面に落ちたが尻もち程度の痛みだった。




和尚全員が茫然自失。


誰もがいま体験したことの情報処理が追いつかなかった。


ただ周りを見て、和尚全員がいることを確認すると、


「ハハ」「ハッ」「へへへ」「ハッハッハ」


全員が笑い出した。無事を喜ぶ笑いであったが、同じクレイジーな体験をした同士としての笑いでもあった。


アパートは完全に消滅し、更地になっていた。


その更地で和尚たちは、しばらく笑い続けていた。






「まあ、もともとあそこは更地にする予定だったんだけどね…でも勝手に更地にされると困るのよ、わかる?」


「分かります」


不動産屋の前のナロウの顔には治療の跡が残ってた。さすがにあの大騒ぎだ、無傷というわけにはいかなかった。参加者全員が名誉の負傷をしていた。


「で、この報告書だけど…」


ナロウが書いた渾身の報告書には、アパートの元住人たちの細かな心情描写まで描かれた迫真のものだった。


「なかったということで」


採用されなかった。どの企業においても、まともに相手にされない内容なのは間違いない。「ブラックホール」という単語が出ている段階で終わっている。


「私が違う報告書上げるから、今日のところは、おつかれさま」


仕事の報酬はきっちりと払われ、治療費も加わっていた。ただ多くの和尚が仕事道具をブラックホールに吸い込まれたため、別の保証請求を出しているそうだ。はたしてそれが通るかどうか、ナロウには分からなかった。




新しいリュックの中のいのりに話しかけた。


「ああいうの、ほかにもあるのかな」


「さぁ、どうかしらね。私も知らないけど、ないと考えるのは難しいわね」


動く呪い人形であるいのりという存在もある。この世には不動産屋が考えるよりも不可思議なことが大量にあるだろう。


「しばらくは、普通のお祓いをしなさい。そう何度も助けてあげられないわ」


いのりは殊勝な事を言ってくれた。


まだ彼女に正式な感謝の言葉を言っていなかった。


「いのり、どこか見たいところはあるかい?」


「急にどうしたの?」


「お礼だよ、キミへの。キミが見たいところを言ってよ。僕と一緒に行こう」


リュックから上半身を乗り出すいのり、ナロウの顔の横で外の空気を浴びながら考える。


「そうねぇ、私がみたいところ…いっぱいあるわよ?」


「全部は無理でも、一箇所づつ。一緒に行こう」


今回の仕事の入金もあるし、どこにいこうと男の一人旅だ。余裕はある。


しばらくこの仕事から離れる休暇もほしい。


呪いの人形と一緒に世間を見て回る、いい機会だとナロウは思った。


いのりは思いついた行き先を告げた。


ナロウは家にも戻らず、その足で駅へと向かった。



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