第14話 「振り向くな少女よ」


 霊の一舐めで背中の皮膚が総毛立つ。身を守ってくれる僧侶の袈裟は、やすいコスプレ衣装のようにバラバラになる。自分の弱さが剥き身になり、恥もなく外聞もなく現場から逃げ出す。だがもう現場から闇が溢れ出ている。除霊に失敗した。霊は事故物件から溢れ出し、ナロウを追いかけてくる。地面が沈み、駆け出す足は土台を失った。背中から落下していく、やっぱり助からない…。




目を開けるとベッドの上、無表情な顔の人形が寄り添っていた。


「ずいぶん、嫌な夢を見たようね」


いのりの声は、その無表情な人形の顔と違い、人間味のある心配そうな声だった。


「ああ、ちょっとね…」


夢は薄れゆくが恐怖の体験だけは体に残していく。添い寝をする小さな彼女の手が頬に触れ、髪をさする。


誰かに慰めを与えてもらうことが、これほど癒しになるとは、人と寝床を共にしたことがないナロウには新鮮で温かい体験だった。たとえそれが小さな呪いの人形であっても。




「困ったわねぇ・・・」


打ち合わせに来たナロウに対して、不動産屋の女の言葉は当てつけのように演技臭かった。


「あ~困った、困った」


これはゲームのNPC戦法だ。こちらから尋ねなければ話が進まないってやつだ。そして聞いた以上、引き受けなければいけない類の…。


いつもの打ち合わせの喫茶店のいつもの不動産屋。出会った瞬間から厄介事を押し付けようという気配がムンムンしていた。




女曰く「和尚の中で心霊後遺症になやんでいる子がいる」だそうだ。


心霊後遺症とは和尚がお祓いの後、現場から「お土産」を持ち帰ってしまうことを称した業界内スラングで、実際の病名ではない。


彼女に起こった症例は


「闇夜に人影が浮かんで見える」


「家にいても霊を感じる」


といった症状で、不動産屋としてもサポートをする必要があるが、いつもどおりに人手が足りないのだ。


「彼女?」


ナロウが気になったのはそこだ。


不動産屋が手渡した書類には和尚の個人情報が載っていた。


見た名前と見た顔。


入海いるみのみか


 ASMR和尚こと、アスマー和尚だった。






入海が和尚の仕事を始めたきっかけは食べるのに困ったからだ。求人広告に映る袈裟姿の若い男女の笑顔と共に「あなたにもできる、あなたの個性が輝く」という宣伝文句が目に入った。そこに提示されていた時給は他とは桁違いだった。


そして求人では語られていなかった危険も桁違いだった。


 夜の闇への恐怖が増した。それだけではなく無人の場所でも、人混みの中でも視線を感じるようになってしまった。除霊した霊の怨念が体に残っている、それを感じてしまうのだ。


この心霊後遺症のいやなところは、実際の恐怖体験よりも不安の積み増しだ。何をしていても恐怖の予感を感じ、つねに不安が背中に押しかかる。実際の恐怖ではなく積み重なった不安が生活を重苦しい物へ変えてしまう。


そうはいっても不安で飯が食えるわけではない。不安を片隅に追いやって暮らすしかない。


自宅のPCと録音機材。安物だがバイノーラルマイクもある。これで自作のASMR音源を作りネットのチャンネルにアップする。


声優への道を諦め、第二の仕事として始めたネット配信者だったが、そちらが収益化する前、和尚の仕事での稼ぎが増えた


とはいえ、配信の方も地道に続けている。モノになるまでは継続が必要だってのは。入海だって良く分かっている。


録音体制を整えたが、声を出す気にならなかった。体内にある不安の渦巻きが、浮かれた声を出せなくしている。失望しつつマイクをオフにする。


1Kのマンションのドアに、人の気配を感じた。気のせいだと思うが、不安が幻像を作り出す。ドアの向こうに幻の質量が生まれ、玄関を歪ませていく。角部屋ゆえに窓は2つあり、ここは一階だ。裸足で逃げることも考え始めた時、ドアベルが鳴った。


インターホンから聞こえたのは、呑気な男の声だった。


「不動産屋の方から来ましたーナロウですー」




「ああ!すみません!片付いてなくて!」


ナロウを部屋に上げたはいいが、部屋の片付けは今も続行中だった。荷物をまとめながら床に落ちていたタオルを蹴飛ばした。


(女の人でもこうなるのかー)


そういう新鮮な感動をナロウは味わっていた。


「不動産屋さんが、人をよこしてくれるって言ってたけど、まさかセンパイだとは…」


入海は照れ笑いをしている。それなりに明るい顔をしてくれたことに、ナロウは安堵した。


「うん、今日、急に行けって言われたんだ。様子を見てこいって」


「いやーー、様子っすか」


今日の入海はフードを被っていない。ピンクのボブヘアーにラフなシャツとパンツ姿。現場で会う彼女とは違い、警戒心という鎧を脱ぎ去った状態だった。


「そんな悪くないっちゃー悪くないって感じっすかね」


心霊障害が医師による診断が不可能であるため、和尚同士が相手の状況を観察するしかない。


この場合はナロウが彼女の異変に気付けるかどうかだが、女性経験のない彼には荷が重いミッションであった。シャツ姿の大きな胸元から視線を外すので精一杯だった。


「センパイ、すごい大荷物ですね」


そんな苦戦を知ってか知らずか、入海は彼に接近し、その背後のリュックを覗き見る。


「あ!」


慌てたナロウだが彼の反射神経は悪い。入海にバッグの中身を見られてしまった。


「え・・・?、お人形?」


この男、人形をリュックに入れて背負ってきた? 


たとえ職業がオカルトである和尚さんであったとしても、人形を背負って街中を歩く人間はその対象外であった。「キモッ」と呼ばれることは避けられないシチュエーションだった…。


「これは僕の新しい除霊スタイルさ!ほんらい呪物的取り扱いを受ける、いわゆる敵方とされる人形をあえて手元に置くことで、和尚に対する霊の攻撃を避けるデコイにするんだ。霊にとっては人形というのは仲間、友達みたいなものだろ?それがそばにあることで霊の攻撃は避けやすくなる。そーだろ?さらにぼくはこれに機械的なフレームをいれて稼働できるようにした、それは新しい除霊のソリューション。より効率的、安全な除霊のための新たなメソッドとして僕は提案したいんだ、世界にね!」


スラスラと言葉が出てくる。


すべて世迷い言だ。


戯言以下だったのだが、


「す、すごい」


入海は騙せた。


「え、これ見ていいですか?」


確認する前からリュックは開けられていた。興味津々過ぎる。


「うわ~~なんかこれすっごい、すっごいですねー」


小型の少女人形だが女性が持つとそれなりに大きい。それにクラシックな作りなので少し重い。


入海は美術品のように丁寧に扱い、雑なことはしない。お嬢様のように持ち上げて、お嬢様のようにベッドの上に座らせた。


「お洋服もすごいし、なによりこのお顔、すっごい美人さん…」


さすが女の子、というべきか、ナロウよりもはるかに審美眼がある。


いのりは人形の真似を続けてくれていて、手足はブラブラで、首も座っていない。


その首がグリンとうごき、ナロウの方を見る。どう見てもお怒りの表情だった。


この後、家でお小言を食らうと予想でき、ナロウの顔は暗くなった。


「あの、これ動くんですか?」


ナロウは自分が言った適当な言葉の中で稼働を口にしていた。つい先日もライブダイブに対してこの人形が動くところを見せてしまっているので、その設定で通すしかなかった。


「動かせます、YO!」


ナロウは指先で方向を示す。いのりさんへの合図なのだが、ふてくされた顔の人形は脱力したまま動かないふりを続けた。


「YO! YO! YO!」


指でピッピッピと合図を送るが、まるで反応なし。ご機嫌が斜めっているのは良く分かった。


「フ、電池を…入れ忘れたようだ」


「そんなんですかー残念~」


「いや、そうじゃなかった、これが目的じゃなくて、君の様子を見に来たんだった」


ナロウは急角度に話を変えて人形の件を誤魔化した。


「え、あたしですか?いや~~、まあちょっと不調っていうか…」


「心霊後遺症って聞いたけど?」


「はい、そのお化けに憑かれたかな~って雰囲気あって」


除霊した現場から霊を持ち帰ることがあるのか?


これは和尚たちの間でもたびたび話題に上がることであるが、結論は出ていない。憑く派、憑かない派と、気のせいじゃね派で常に論争になる。和尚同士での除霊のしあいという民間療法的な解決法もあるのだが、そうなった場合、ナロウの朗読除霊はクソの役にも立たない。単なるなろう小説の読み聞かせにしかならないのだ。


心霊障害にしろ、心霊後遺症にしろ外見に変化がないため、他者からの診断は難しい。様子をうかがうしかなかった。


「けっこうすごい部屋だね」


あらためて入海の部屋を見回すナロウ、彼の言う通りしっかりとしたデスクにデスクトップPCのセットと、特殊なマイクが並んでいる。アマチュアながら録音環境が整っているのはナロウにも分かった。


「あ、イヤ!これはっすね~~。恥ずかしいの見られた~」


恥ずかしながらも少しだけ自慢げでもあった。彼女はアスマー和尚、ASMR除霊の使い手だ。マイクなどもそれなりの品を用意しているのは当然だった。


「これって…配信用?」


「ハイ…そうっす…」


しかしナロウが少し突っ込んだ質問をすると狼狽える。ASMR実況や動画はなかなか人に説明できる趣味ではなかった。


「私が声優目指してたって話、したっすかね」


入海はちょっとだけ自分の話をした。


夢と憧れだけで入った声優の学校。そこで楽しくやっていたが、卒業後、現実を思い知る。


自分よりも上手い人がいるのは当然として、


自分よりも可愛い子、自分よりも要領がいい子、自分よりも愛想がいい子…


卒業して自分も羽ばたいていくというイメージだったのに、現実は違った。社会とは荒いザルで人をすくい上げる。それにしがみつかなければあっという間に落ちていく。生き残るのは、


「自分よりも”ちょっと”ができる子」だけだった。


でもすぐ分かった、「自分よりちょっとできる子」の「ちょっと」ってちょっとじゃなかった、ちょっとではない大きな差があったことに卒業してから気がついた。


それは「私がちょっとやればすぐに追いつく」という思い上がりの裏返しだったのだ。


できる子は最初からできる子で、自分は「ちょっとも」できない子だった。


それからは、ただ空虚にやってきた。ASMRだって「私程度にもできる」と思って始めたことだった。


そして、食うに困って和尚になった。仏門に下ってはいないが、清掃業の片割れみたいな仕事に就いた。


「最初は、その程度だったんです。自分の声で霊が祓えた時はうれしかったけど、それが何って感じで…」


入海の告白、それはナロウも良く聞いた話だった。ナロウを含めて和尚になろうなんて連中は、その殆どが何かのドロップアウト組だ。和尚に落ちてきたと言っていい。


「でもそれでも、あの日…ナロウセンパイが見せてくれたあの日だけは違った。私の前にアニメみたいなヒーローが、現実に現れてくれた」


それはナロウが入海のサポートに入った日のことだ。彼女の折れそうになった心を、ナロウは支えてあげた事がある。




空気が変わったことに気付けないほどナロウも鈍感ではなかった。告白は告白でも、種類がいつの間にか変わっていてるではないか。語っている入海の目も声も、すこし湿ったものに変わっていた。


「あれ?」


後輩の容態を見に行くという公的な要請だったので、気安く女性の部屋に入ったはいいが、なぜか今、女性の方からにじり寄られるという異常事態におちいっていた。


「あの日…私、和尚になって良かったって思えたんです」


さらに寄ってくる入海、ナロウは後ずさるがベッドがその後退を阻んだ。


「センパイ…」


距離が近い。避けようがなく近い。




「う…あ…ウワァァァァァ!」


女性に言い寄られて悲鳴を上げる。


男としてかなり終わっているナロウの行動には理由があった。


彼が驚き指差すので入海もそちらを見ると、


窓にぼんやりと浮かぶ白い顔。


紛れもない心霊現象がそこにあった。


「ひいいいい!」


同時に悲鳴を上げる男女。恐怖に駆られ、抱きつきながらベッドに這い上がった。


呆れ顔の人形は、その指をすいっと動かした。ポルターガイスト現象で窓が勝手に開いた。


「ひいいい!」


窓の外にあったものを見た時、男女はさらに大きな悲鳴を上げる。


だって知らないおっさんの顔があったんだもん。






「で、ストーカーだったってこと?」


不動産屋の女は呆れた顔でいった。


入海が数日のあいだ、霊だと感じていた視線は全てストーカーの視線だったのだ。


「まあ、ストーカーの方が霊障よりも一大事だけどね」


不動産屋の言う通り、ストーカーのほうが実際には霊よりやっかいだ。


僅かながらであるが声優として活動した時期がある入海はその根暗な容姿もあり、一部の特殊な癖の人達の注目を引いた。声優引退後に街中で彼女は発見され、ストーキング被害にあっていたということだった。


彼女の家を見張っていた男は、見知らぬ男が彼女の部屋に入るのを見かけて、辛抱たまらずに覗き行為に及び発覚したということだ。


「で、その男はどうなったの?警察行ったの?」


「はい、警察に突き出しましたが、まあそのまえに猫に散々やられたみたいで」


ナロウのリュックからドンという音がしたがナロウは無視した。


窓を開けてストーカーの男を発見した いのりは、一瞬で飛び出して男の顔を掻きむしった。


「礼儀のなっていないクズ男を懲らしめただけよ」


役に立たない主人や被害者である入海に変わって成敗を加えてくれたのだ。


傷だらけの犯人の顔を警察も不思議がっていた。


入海は人形遣いのナロウに感謝し、涙を流さんばかりだった。


「まあ、結果的に丸く収まったみたいね。ストーカーに関しては今後も要注意ってことね」


不動産屋の女も、面倒事をすべてナロウに丸投げできて満足げだった。




「ほ~ら、YO!YO!」


楽しげに指先を動かすいのり、それに合わせるように顔を向けるナロウ。あっち向いてホイの操られ版だ。


この間のストーキング事件の後に作られたいのりの新しい遊びにつきあわされている。


主人と人形。その関係性は逆転し、男は人形の言いなりだった。


「あのーいのりさん、人間の尊厳的にこの遊びはちょっと」


「なに言ってるよ。私にあんなことやっといて、ただで済むと思ってたの?」


「いや~でもこれは!」


「YO!」


いのりが指を横にする。


ナロウは人類の尊厳のために断固として拒否しようとするが、いのりのポルターガイストの力でグググッと横に曲げられる。


「逆らっても無駄よ、御主人様!」


心霊現象は和尚の首を曲げ、人形の言いなりにした。


いのりのご機嫌が直るまで、この遊びはナロウの首の筋がおかしくなるまで続いたという。



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