第12話 「大きな荷物と小さな荷物」


 その日の仕事は順調だったが、何をしていても心は忙しなかった。


家にあの人形がいる。


何をしでかすかわからない。


そういうことが頭の中で常にちらつき、考えることは呪い人形のことばかりだった。


「ペットを飼うとこういう気持ちになるのだろうか」


家の中を我が物顔で歩き、家財を傷つけて回る猫と、いのりのビジュアルが一致した。


当然、帰宅の足も早くなる。一分早く帰れれば、一分家財の被害も減るのだから。


帰り道、雑貨屋に並んでいた小さな兎のぬいぐるみを見つけた。いのりの前にいた環境では、彼女は大量の人形に囲まれていた。今のナロウの部屋には、そういった物は一切ない。ナロウはぬいぐるみを手土産代わりに買い、急ぎ帰った。




帰宅した部屋のベッドの上に、いのりは静かに座っていた。おしとやかに、大人しく、優美な座り姿。


彼女の回りには投げ捨てられ飛ばされた雑貨や枕、靴に靴下、パンツと、泥棒にあったから呪われたかの、どちらかのようなひどい荒れ様であった。


彼女の前に無言で正座をするナロウ。


「あの~、いのりさん、この有り様は」


彼女はうっすらと目を開けて、


「さぁ・・・・」


しらばっくれた。


「どうみてもお前じゃないか!」


「わたしをこんなところに置き去りにして、よく言うわね!」


「しかたないだろ!仕事なんだから!」


外から聞いたらカップルの痴話喧嘩にしか聞こえないが、内部で起こっているのは紛れもない心霊現象だった。




膝の上にいのりを乗せて、ブラシで髪をとかす。彼女の持つタブレットのスワイプを、彼女の命じるままに行う。


これがいのりのご機嫌をとるために命じられた事だった。


「300年も生きてて、なろう小説が面白いのか?」


「面白いに決まってるじゃない。そもそも私にお話を聞かせてくれるような人がいなかったのよ。女の子が所有者だったら、もしかしたら読んでくれたかもしれないけど、いい歳した男ばかりだもの。御本を読み聞かせるような変人は、あなたが初めてよ」


最初にいのりに読み聞かせをしたのは、除霊のためのなろう朗読だ。あれはお祓いであって、読み聞かせではなかったのだが。


結果、彼女の読書欲を刺激した最初の男となってしまったのだ。


「あ、そうだ・・・コレ」


ナロウは彼女に買ってきたウサギのぬいぐるみを渡した。


「なにこれ?」


「ほら、前の家はお人形がいっぱいあっただろ?そんなの買えないから、コレ」


「これ、この小さなウサギで我慢しろと」


「いらないならいいけど・・・」


いのりは小さな手でウサギのぬいぐるみをぷうぷう押して顔を変形させて遊んだ後、読書を再開した。片手にもったぬいぐるみを時おりぷうぷう押しながら。




ナロウはまた仕事に出かけた。


出会ったばかりのぐちゃぐちゃだった二人の生活は徐々に分離し、安定しつつあった。しかしナロウは出かけている最中も常に頭の一部でいのりの事を考えていた。無事でやっているか、部屋は無事なのか。ちょっとずつでもいのりの生活環境を良くしたいが、相手は人形だ。何かがいるというものでもない。お土産におやつを買っていっても食べられないのだから。


「あ!これは…」




「なに、これ?」


「リュックだよリュック」


ナロウが買ってきたのは大きなリュックだが、変わったところといえばリュックの表に球形のプラスチックのドームがはめ込まれていて、中が見える仕組みになっているのだ。


「ほら、いのりがここに入って、このドームから外が見えるんだよ」


たしかにこのサイズなら人形が座って入れるし余裕もある。ドームから外も見ることができる。いのりはタグを見た。


「ペット用リュック…これ、ペット用じゃない!」


「いいだろ、ぴったりサイズなんだから。これならいのりをどこへでも連れていける。家の中だけじゃつまらないだろ!」


ナロウなりの優しさの現れだった。今まで部屋に閉じ込められ、移動は引っ越しの箱に詰め込まれていたいのりに、自由に外を見てもらいたい。そんな愚かしくも優しさからでた行為だった。


いのりはため息をついた。彼の親切を踏みにじるのも、300歳生きた人形としても大人げない。黙ってリュックの中に収まった。


蓋を閉めると、プラのドームからちょうどいのりの顔が見えた。大喜びのナロウ。だがドームの中のいのりの顔は全く浮かない。今日ばかりはナロウの子供っぽさに付き合ってあげる、大人の女の顔だった。




翌日、仕事に出かける準備をしているナロウを見たいのりは、そそくさと例のバッグを持ち出して、その中に収まった。


「なにしてるの・・・いのりさん」


「なにってお出かけでしょ」


主人の散歩の気配を察知した飼い犬のような行動力だった。


「いや、これから仕事だから」


「おーでーかーけー!おでーかーけー!」


大暴れだ。


「いや、これは天気の良い日曜とか、そういう日の用で、仕事にきみを連れてくためのもんじゃないんだってば!」


「おーーでーーかーーけーーーーー!!」






「あら、ずいぶん大きなリュックね、仕事道具?」


喫茶店で待っていた不動産屋はそう尋ねた。ドームにカバーをかけられたリュックを、ナロウは大事そうにゆっくりと降ろした。


ここにくる道中はなろうの人生の中でもかなりの苦行であった。カバーを下げても取っ払ういのりとの戦い。


背中に少女人形の顔が見えるリュックでの移動。


「おかーさん、あのひと、お人形背負ってる―」


と背後から聞こえる無邪気な子供の声。


今までにない苦難の連続だった。


さらに仕事場に、一番持ってきてはいけない物を持ってきてしまった。


「呪いの元凶」


そのものを隠し持っているのだ。自分で考えてもバカのやる事としか思えない。


ナロウは注文したコーヒーを震えながら飲んでいた。


「おう、ナロウ和尚、久しぶりだなー」


「ライブダイブ和尚!もう、良いのですか?」


先日、霊の反撃にあい病院送りになっていたライブダイブ和尚が遅れてやって来た。


「ハッ、そんないつまでも寝てらねーよ」


ギターケースを担いだバンドマンとしか見えないが、れっきとしたフリーランス和尚だ。


「ちょっと疲れが溜まってて、クラっときただけだよ。今日からまた激しくやってやるぜ」


数少ない同業の知り合いで、調子が良く勝手に喋ってくれるライブダイブ和尚のことを、ナロウは好んでいる。年下ではあるのだが、仕事の歴はライブダイブのほうが長いので先輩扱いもしている。


「ライブダイブさんは、病み上がりですから調子を確かめつつ、無理はしないように」


「当たり前よ!」


喫茶店にふさわしくない大きな音量で返事した。


「あなたは大丈夫と思っていても、そうでない場合もあります。心霊によってできた傷は、外部からは診断不能です。そして自分自身からも見えないものなのです」


不動産屋の女は神妙に言った。不動産屋という職業上、彼女も多くの和尚を手配してきた。その中で生き残ったものだけを和尚として取り立ててきた、ということは、それ以外の失格者「霊に敗北して戦えなくなった人々」を数多く見てきたのだ。だから、その助言には重みがあった。


「分かってるって!でも俺は大丈夫、俺は大丈夫!」


空元気のライブダイブ和尚を見て、不動産屋はため息を付き、ナロウとライブダイブの二人に言った。


「今日の仕事は二人にやってもらいます。メインはライブダイブ和尚。ナロウ和尚はそのサポートです」


「おい、俺のこの健康を信用できないのか?」


いきなりのことにライブダイブは反発をする。ソロライブを基本としている彼にとって、この座組はライブダイブの能力を信用していないと言っているに等しかった。


「病院上がりの和尚に対して行っている通常ルーティンです。信用してないか?と問われればイエスです」


「なにっ!」


「全員、信用していないのです。だから全員にサポートを付けて確認をします。これがもっともコストを掛けずにもっとも安全に”信用”を獲得するプロセスです。それを、拒否しますか?」


不動産屋の女の目は真剣だった。


それは正規雇用された女の目だった。


フリーランスで社会責任の半分しか行っていない、という引け目のある和尚達は、その目には勝てなかった。


「ちっ」


悪態をついて納得するしかない。


ライブダイブの態度は社会人的ではなかったが、その程度に目くじらを立てる女ではなかった。


「では、ナロウ和尚。突然ですが今日はサポート業をお願いします」


ナロウの仕事内容が突然変わった。もっとも、事故物件は逃げ隠れしないので、多少除霊スケジュールが伸びたところで問題はない。


「いいんですけど・・・」


ナロウとしても、普段は上に立てていたライブダイブの監督役となり、彼の病み上がりのチェックをする仕事というのは気が引けた。彼の数少ない友好的関係が崩れそうな気配があったからだ。


「霊障を受けて復帰した和尚というのは危険なのです。恐怖というのは骨身にしみこみます。それに気づかずに除霊を行うと、たいてい事故にあい、そのままリタイヤ、あるいは・・・」


不動産屋の声は隣のテーブルでひがんでいるライブダイブにも聞こえるくらいの大きさだった。


「ですので、危険だと思ったらあなたが除霊を変わるか、二人共に脱出しください」


その言葉も気に触ったのか、隣から舌打ちが聞こえた。


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