第10話 「愛と呪いの相乗り祈り」



 「男は人形を愛していた」


それは社会的に普通とは言われないが、社会通念は自宅の中で効果を失う。


男は人形しか愛せなかった。


収入の殆どは人形購入の資金に当てられ、彼の生活は人形への愛に捧げられた。


人形は人間の代わりではなかった。


等身大のラブドールはなかった。ひらすらに「人形」愛だった。


そんな生活を続ける中、ついに彼女を見つけた。多くの好事家の手を渡り歩いてきた金髪の少女人形…。


「つまり私ね」


人形は誇らしげに自分を指した。


その値段は、彼の生活の糧だけでは足りず、今後の人生の稼ぎを差し出して、ようやく買える値段だった。彼はためらわずに買った。だが、考えてみてほしい、好事家たちが喉から手が出るほどに求めて手に入れた人形が、買い手の間を「次々と渡り歩いている」ということを。


「つまり、呪いの人形だったというわけ」


人形は誇らしくなく自分を指した。




その人形は愛するにふさわしい物だった。世紀の一品だった。だが、呪われていた。


手にした好事家が次々と死んでいく。遺族はこの人形を気味悪がり、捨てるように売り払った。そうして手から手へ、好事家から好事家へと渡り歩いてここに来たのだ。


「君が…殺したのか?」


「いいえ」


「君が…自死をそそのかした?」


「冗談でしょ、そのたびに私は売り飛ばされ、もしかしたら燃やされる可能性だってあるのよ。面倒事にしかならないのに、なんでそんな事しないといけないの」


彼女の瞳はガラス製だ、光はただ透き通るだけ、その真意など瞳には映らない。


「ただ、私に惹かれた人間は、結局同じ結論になるの・・・死ねば一緒になれる…みんなそう言ってしまうの」


瞳の色は変わらない。ただまぶたが少し降りるとそれが影になる。彼女の瞳に寂しさの影色がさした。


「じゃあ、もしかしてここの心霊現象を起こしたのは、自決した住人じゃなくて…君なのか?」


しばらく無言だった少女は、無言のまま自分の指を前に伸ばす。


その指を右に向けると、全ての人形が右を向き、


左に向けると、全ての顔が左を向いた。


「ここの主人だった男の霊は?」


「そんなの、知るわけないじゃない。どっかとおくに、いっちゃったわ」


その顔はほんとうに寂しそうだった。




ナロウは思案にくれた。


彼は自決した男性の霊の除霊に来たのだ。呪いの少女人形を払いに来たわけではない。


どちらも似たようなもの、と断じて祓うことも考えたが、彼の朗読除霊がまったく効かないというのはすでに実証済みだった。


考えられる解決策は不動産屋に連絡し、呪物の除霊に詳しい和尚を派遣してもらうことだ。そうすれば、この人形はこの世から消滅する…。


「消滅する…」


ナロウは顔を上げる。彼の目に見えるのは、午後のくすんだ陽の光が差し込む室内の、人形のタペストリーの様になっている壁の中央に鎮座する憂いある少女人形の姿。


人と似た魂を持つことで、人に愛され続けた呪いの人形。


「君はいつから、君なんだい?」


ナロウは少女人形に歳を聞いた。


「300年前から私よ。これまでに何度も補修を受けて元の身体なんて残ってないのに、私は私のままだった」


「300年…」


ナロウの仕事の範疇は、昨日今日生まれた心霊事故物件の除霊だ。マンションの補修工事と大差ない。


だからこそ、300年生きたという呪いの人形は、彼の手に余った。


もう、この人形に行く先はない。この家の主には相続する家族がいないことは調べがついている。家財の一切は処分される。心霊障害物件の家財はすべて廃棄される。匂いもこの世には残さない。


この人形たちも同じ定めであり、人形などとくに念入りに焼却供養される。


ナロウが除霊に派遣された段階で、彼女らの廃棄の運命は決定していたのだ。


「どうしたの、押し黙っちゃって。お話は続けてくれないの?」


その定めを知ってか知らずか、人形は姪っ子の様になろうの朗読を希望した。


「君の…君の名前を教えてくれないか?」


しん、と少女は無口になった。そして自分の内にある名前を告げた。


「プレイヤ・オラシオン・ゲヘト・モーリトバ・ドゥアー・プレガリア・いのり・プリエール」


長い長いその名は、彼女の持ち主たちが付けた名の全てだった。


「すべて祈りという意味の言葉。わたし、その言葉が好きなの。わたしのような存在が幸せになるためには、それはけっして欠かせない事だから…」


人形は、自らの命を祈っていた。


「そう、今のわたしを名付けるなら、いのり・プリエール。そう呼んで構わないわ。面白いお話の殿方」


ナロウは考えていた。自分にその覚悟があるのかを。この生ける人形の未来を決定する覚悟が、自分にあるのかを。


そして見つけた。腹の底に転がっていた、小さな小さな覚悟を。


「いのり」


「はい?」


「僕のうちに来ないか?」


人形は静かにナロウを見下ろしていた。その金も地位も甲斐性もないことが明らかな男の顔を。


ナロウも覚悟があっての言葉だった。


これは不動産屋を裏切る行為だ。たしかにこの部屋の心霊事故はなくなるだろう。だが、その元凶は保存され、彼の部屋に隠匿しようとしているのだ。プロのする行為ではないが、


それでも、言葉を喋る生き人形を抹殺してしまっては、彼の人生に傷がつく。心が弱いナロウにとってその傷は人生の致命傷になる。


人形、いのりはかすかに微笑んだように見えた。それは甲斐性のない男の意地をくんであげる優しさか、こうして流転することでしか生きられない自分の生というものの儚さを笑ったのか。


「いいよ。毎日、私にお話してくれたら」


さみしい生き人形の、ほんの僅かな要求はそれだけだった。


いそいで荷物をまとめたナロウは、神妙に少女の前まで進み、両手でゆっくりと慎重に彼女を抱きかかえた。


本物の子どものようなサイズだが、その体は軽かった。


たださすがに子供くらいの大きさの人形だ。抜き身で外は歩けない。


いのりが持ち出し用のカバンを教えてくれた。それは前の持ち主が移動する際に使っていたもので、サイズも内装もばっちりの物だった。


そのバッグにしまおうとした時、


「ちょっとまって」


いのりは止めて、ナロウの肩の上に昇り、部屋の中を見渡した。


「さようなら、みんな」


いのりはそこにいる全ての人形と、消えていった男に別れを告げた。


人形たちは一斉に力を失って首を下げた。




大きなバッグを持って外に出たナロウ。


ものすごく緊張していた。バッグの中には魂ある人形が入っている。命を手に持っているかのような緊張感があった。


仕事はたしかに終わった。


この部屋ではもう心霊現象は起きないだろう。


だが、その原因となった魂ある人形は、彼と共に逃走した。


花嫁を盗んだ男のように、ナロウは怯えながら家へと帰った。








「あら、これもいいわね、これも読んでよ、ナロウ!」


自室の中の騒がしい小娘が、また新しい小説の朗読を希望した。


「この女の子が大活躍する話をもっと読んで頂戴!」


いのりは悪役令嬢物が大好きになっていた。


だがさすがに同ジャンルの小説を30本も読まされては、なろう小説を生業にしているナロウであっても食傷してしまっていた。


「もう勘弁してください・・・」


「何言ってるの!そんな弱気で私の主人が務まると思ってるの!」


人形に頬を引っ張られ、泣きながら悪役令嬢物の新しい小説を読み始めるナロウ。


もう徹夜は二晩目に入っていた。


「絶対こいつが主を殺して回ったんだ」


 ナロウはそう確信した。



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