第8話 「除霊のVOICE」
部屋の中央の黒ずみに立ち向かう場所に
ナロウは彼女の仕事ぶりがよく見える位置、彼女の向かい側、部屋の隅に座り気配を消す。
部屋の中心は、畳に残った人型の染み。目に見えぬ霊を視覚的に表すような、真っ黒な染みがこの部屋の重力を重くしていた。
「雨戸、閉めてもらえますか」
入海に頼まれ雨戸を閉める。除霊で自分から部屋を暗く、逃げ場を無くするタイプもいる。特に語りかけ、読み聞かせ系の場合は多い。外部環境の音や光がノイズとなるタイプだ。
ナロウは逃げ道がなくなるのが怖いので、あまりやらない。入海はそうではないようだ。
雨戸を閉めると、部屋は真っ暗になった。
入海が持ち込んだキャンプ用のLEDランタンが輝き出す。その光は入海と、畳の黒い染みを闇の中から浮かび上がらせた。
彼女は続いて、バッグの中から大型のマイクと小型のスピーカーを前に並べた。マイクとスピーカーを接続し、音のチェックをする。マイクスタンドを伸ばし、正座した彼女の顔の前にマイクが位置した。そのマイクにはポップガードという円形のオプションが付いてていて、プロの声優やミュージシャンが使うマイクの様に見えた。
「あぁ、アァ」
マスクを外してから自分の声でマイクチェックをする。その音は暗い空間の中を染み込むように広がる。ナロウの耳に届いた時、なぜか彼は少しゾワリとした。
ナロウの読み聞かせではマイクは使わない。使う知識がない、というのもあるが自分の声に自信がないから、マイクを使うというプロ的な行為に引け目を感じてしまうのだ。
だが入海のそれは堂にいっている。「音響」というものへの理解があるように見えた。「仕事上でなにか教えてあげよう」などと邪念を抱いていたことをナロウは恥じた。
ナロウの視界の端に動くものがあった。暗闇の中の闇が動いた。ゾワゾワとした感覚が肌に生まれ、鳥肌になる。この仕事を生業としていると、この「恐怖」の感覚を仕事の始まりと感じるようになる。
恐れと畏怖が始業のチャイムだ。
入海は薄明かりの中でタブレットを持ち、文章を開いた。読み聞かせ系のスタイル。
マイクと口の距離を適切に保つ。ナロウには彼女のスタイルに見覚えがあった。
彼女は口を開き、ついに除霊を開始した。
「うふ、おつかれさま。御主人様。今日もイルミのためにいーっぱいお仕事、頑張ってくれたのね。えら~い御主人様をいるみがい~~~~っぱいほめてあげるね」
ナロウの心臓がドクンと跳ねる。
スピーカーから発せられた音は、女の声は、ジェットコースターのライドのように耳に滑り込み、耳たぶをなぞるように走った後、外耳に飛び込んだ。何十にも内部を回転しながら置くへ奥へと声が進む。中耳内耳の中をさらに高速回転、ねぶるように音が響き渡る。耳の全てを弄んだその音はついに神経を伝い脳内に入る。入った瞬間、背骨全てに爆発したかのような衝撃が伝わり尾てい骨が震えた。
ナロウの耳に届いた彼女の声は、それほどに濃厚であり、官能であり、凶悪だった。
「A…SMR…」
ASMR除霊!
それが入海の除霊スタイルだった!
霊にASMR音声を聞かせている。
読み聞かせという同系統であるはずのナロウが驚嘆する、その特殊性。彼女が雨戸を閉めさせ部屋を暗闇にした理由がわかった。この密室の音響感と視界を弱めることでのイメージの喚起が必要だったのだ。ナロウも霊もすでに彼女の術中に閉じ込められていた。
入海は自分のタブレットに表示された台本だけを見つめて目を離さない。しかしそれはナロウの顔を見られない、という事でもある。話している内容がベタベタの甘々系。あのツンとした彼女からは想像もできない内容なのだ。とてもじゃないが知らない男の顔を見ながらできる芸当ではない。
閉じられた環境に響き渡る女の甘い声。
ナロウの頭蓋の中に響く煩悩の鐘の音。
正座して耐えていても背中が横に曲がっていくのを抑えられない。まるで耳元で囁かれ続けているかのような甘い拷問。
快感の雰囲気だけがいつまでも続き、本当の快楽は永遠にやってこない。そんな時間がいつまでも続いた。彼女はその甘い声を長々と続ける技量と精神力を持っていた。
この段階でナロウは彼女の除霊が自分のとは決定的に違うことに気づいた。彼のは「読み聞かせ・寄り添い系」。霊に対してなろう小説を読み聞かせ、怨念を解きほぐす除霊術。
それに対して彼女の除霊は「読み聞かせ・喚起系」。霊に対してASMR音声で性(生)を喚起させる。それは死そのものである霊に命のきらめきを付与することである。命を与えられた霊は、その存在を破壊され、この世にいられなくなってしまう。
「自分とは真逆だったんだ」
ナロウは霊と除霊と和尚、それらの関係の多用さと複雑さを改めて思い知った。
突然、二人の前に人影が現れた。
それは畳の黒い染みが立ち上がった姿だった。多々耳の染みから這い出した無数の小さな蜘蛛がお互いを這い上がり這い上がり、何千何万という黒蜘蛛がついに人の姿を作り出していた。
先程までの耳の中のあまい「ぞわり」ではなく。
全身の肌が感じる「ゾワリ」
入海の声が恐怖で止まった。人の声が途絶えた室内に、無数の蜘蛛が這い上がるカサカサとした脚音だけが聞こえた。
除霊とは、人と霊との戦いだ。
己を通し抜いた者が勝利する。
通常、霊が優勢だ。人間にとって「恐怖」とは克服できない感覚なのだ。
感情は克服できる。憎しみも恨みも、気持ちで動かせる。だが恐怖は痛覚と同じように慣れることも制することもできない。
恐怖への耐性は生まれ持った量しか持ち得ない。その量の多い者だけが和尚になれる。
ナロウもまたその資質のある人間だった。恐怖しつつも耐えることができた。恐ろしくても言葉が紡げた。
入海はどうか?
「だめだって、まだお夕飯の前だよ?もう~~ご主人様ったら」
続けれた!
言葉のヒダは弱くなっていたが、霊に見下されてなお、甘いASMR声を出している。
だが、霊への威力が弱まっている。このままでは霊が押し切る可能性が高い。さらなる心霊事故が発生する。
彼女の上に押しかかるような黒い霊。男に絡まれた様に頭を下げながらもイチャイチャドラマを一人で続ける入海。
場の優劣が形になってしまっていた。
彼女の髪にポトポトと小さな蜘蛛が落ちてきて彼女の髪の中に潜り込む。霊の攻撃に耐えてはいるが、恐怖の決壊は間近であるように見えた。
「…わ、わぁ…もう、ほんとにあまえんぼさん、、、なんだ、か・・・ら」
彼女の声が更に沈んだ。彼女の声にはもうASMR力はなかった。
「フフフ、君の弱い所、俺が知らないと思っているのかい!」
突然の男の声。
いきなりの場違いな発言。
入海は声の方を見た。
そこにいたのは、彼女のサポートをすると称してやって来た、どう見ても無職の中年だった男。名前は…なんだっけ?変な名前の
「おやおや、御主人様の声に反応できないなんて、この駄目メイドにはお仕置きが、必要・KA・NA?」
精一杯の色男声を出す、気持ち悪い中年がそこにいた!
言いながらナロウは力強く目で合図した。
「続けろ」と。
闇に飲み込まれそうになっていた入海の心をその目が支えてくれた。支えを得れば、立ち上がれる。
「ウフフ、ご主人さまがイルミにどんなお仕置きをするっていうのかしら?」
再び上体を起こし、マイクに顔を向ける。
「あんなことやそんなこと、いろいろあるでしょう」
色男ボイスをひねり出そうとするが、まったくできていない。それに話す内容も雑でふんわりしすぎていた。
だが、その素人ボイスに入海は助けられている。
「あ~~~やっぱり、なんにもわかってない~仕方ないな~イルミが…」
初めて、二人がアイコンタクトした。
「いっぱいおしえてあげますよ」
ナロウの耳から股間まで、その声と瞳は貫いた。
そこからは入海の独壇場で独演会だった。
霊を圧倒するASMR力。場を支配したのは彼女の声と話法だった。
雨戸が開き陽の光が再び室内を照らすと、畳にあったはずの黒い染みは消えていた。
除霊は完全に成功していた。
ペットボトルの水で喉の乾きを癒す入海。パーカーの前を大きく開き首元の冷や汗を拭った。
しばらく黙った後、神妙な声でナロウに言った。
「あの・・・駄目でしたよね、私」
その声には先程のような人を操るのを目的とした音色はなく、普通の疲れた20代の女性の声だった。
彼女の前に座ったナロウはそれを否定した。
「いえ、あなたの除霊術は十分に効果があるとわかりましたし、その技能には確かに再現性がありました」
「でも、途中でダメになって、助けてもらって」
「まだ始めたばかりです、霊に飲まれそうになることもあります」
入海はナロウの顔をちゃんと見れていなかった。
「私からのアドバイスは一つです。ヤバイと思った時には一時的に撤退するということも選択肢に入れてください。除霊には相性があります。タイプがあわないと思ったらキャンセルを伝えてくれれば、違う人を送ります」
「それやったら次が・・・」
入海は手にしたペットボトルを強く握った。
顔もなろうに向けてくれない。仕方なく一歩体を近づけた。入海の体がビクリと揺れて、ナロウの顔をようやく見た。
「そんなことで仕事が来なくなることはありません。そこで相性がわるいと認められずに、事故を起こしたり仕事から逃げられる方が困るんです。ちゃんと報告をしてくれる人を、私達は信用します」
ずいっと顔を近づけた。ナロウにとっても女性の顔にここまで近づいたことはなかったが、彼女のために近づかなければならなかった。
「だから今回は合格です。ちゃんと除霊もできたじゃないですか」
入海は真正面からナロウを見ている。その瞳はうるうると揺れていた。
「社会人のホウレンソウですよ。和尚業界も一般業界ですからね。ホウレンソウ! 報告・・・報告、連想、想像…違うかもしない…とにかく報告が大事ってことです!」
ナロウは雑な社会人知識で乗り切ろうとしていた。
入海は少しうつむいた後、顔を上げて笑顔でいった。
「ありがとうございます!センパイ!」
帰り道の入海は行きの時とは別人であった。良くしゃべった。それも自分の事を。
彼女は元々声優になりたくて、声優学校に通っていたのだ。だが卒業後、業界の競争の激しさにドロップ・アウトしてしまった。
「その後は、いろいろやってたんですASMRとかも…食べるために色々ね」
彼女がその技能を使って何をしたのか、ナロウも色々と想像できたが、何も言わなかった。
結局それも行き詰まり、和尚の職を求めて不動産業界の門を叩いたのだ。
「それにしても~今日のセンパイかっこよかったな~」
「ええ?」
女子からかっこいいなどと、言われたことのない人生であった。
「そ、そうかな~?」
頭をかくナロウ。後輩のピンチに駆けつける先輩。それはたしかにかっこいいかもしれないと、思い返した。
「この駄目メイドにはお仕置きが、必要・KA・NA?」
ナロウの素人演技をことさら強調して真似る入海。ナロウは顔と耳から羞恥の火を出した。
「アハハ!もう、いきなりイケメンボイスで喋りだすから、びっくりしましたよ~~!」
「そ、そうだよね、ハハハ」
ナロウは「もう死ぬしかない」と思っていた。
その彼の耳元にピョコンと顔を近づけた入海は
「かっこよかったよ」
入海のその一言は、ナロウの左耳に激震を起こし、その震えは顔面を左から右に通過したあと、右耳まで届いてさらに震撼させた。
しばらく思考が停止した。
それほどまでに強力なASMRボイスだった。
通り過ぎた入海は空白の表情のナロウに目配せを送った後、先へと駆けていった。
ナロウの精神が通常に戻るまで、十秒の時間が必要だった。
入海のみか、彼女の和尚ネームは決まった。
「ASMR和尚」改め
「アスマー和尚」!
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