第7話 「響かぬ声模様」
「ナロウ和尚、サポートの仕事に興味ある?」
打ち合わせの喫茶店に現れた不動産屋の女は仕事の話よりも先にそう切り出してきた。
「サポート…ですか?」
不動産屋いわく、先日の「にせ家族和尚も除霊作業のサポート」が評判良かったそうだ。にせ家族側からの報告書には礼の言葉も書き添えられていた。
それは嬉しいことで、ナロウの心をくすぐるものがあった。とはいえ、社会常識的にサポートされて、それなりの仕事をしてくれれば礼の一文を書き添えるのは常識の範囲だ。あまり浮かれた顔も見せられない。
「実際、私もサポート役は欲しかったの。扱う案件が多すぎて、個別に現場を訪れることもできないし、新人の和尚の発掘もままならない」
世は「大自決世代」。不幸すぎる時代だが、和尚にとっては稼ぎ時とも言える。はなはな不謹慎であるが、世の中には食にまつわる産業や、性にまつわる産業と同じ様に、死にまつわる産業というのも存在するし、必要とされている。
不動産屋の女は多数の心霊事故物件のお祓いをする和尚の差配のためだけに、この喫茶店に朝から晩まで居座っている。飲んでいるコーヒーは一日何杯なのであろうか。
「いいですよ、サポート役」
ナロウの返事が予想外に素直で不動産屋はいささか驚いた。ナロウにしても先日の同業他者の仕事の現場というのは学びの宝庫だと知ったため、サポート役というのに興味があったのだ。
「じゃあ、いいのね」
女はとりあえずの「サポート料」の金額を提示し、ナロウもそれに納得し承諾した。お祓いの料金の6割といったところだ。
「さっそくだけど今日サポートに行ってもらいたいのは…まあ、ペーペーね。お祓い経験は二回で二回とも成功。生き残ってるから、まあ使えそうな子って感じ。和尚ネームはまだない。今回成功したら、付けるように伝えておいて」
資料の紙を渡そうとして、女の動きが止まった。履歴書の顔写真とナロウの顔を交互に見比べて少し考える。最終的にナロウの顔をじっと見てから
「ま、問題ないか」
と資料をやっと手渡した。
履歴書の顔写真は若い、二十歳そこそこの女性だった。それを見たナロウは一応尋ねた
「なにが、問題ないか、なんですか?」
「ナロウくん、若い子に手を出せるタイプ?」
「・・・・・・・」
返答できなかった事が返答になった。
「
駅前で女の子に声をかけるのは、心霊物件で一夜を過ごすよりもハードルが高い行為だった。深くパーカーを被り、携帯から目を離さない彼女が今回の仕事相手だと確信できるまでに、ナロウは彼女の周辺を5周しなければならなかった。
「あ、ソッスか…」
ハツラツさも愛想もない返事。
フードの下のピンクに染めた髪とピアスが見え、顔はコミュニケーションを遮断するような黒いマスクをしたままだった。
ここに至るまでナロウが妄想していた、黒髪メガネ巨乳のおとなしい子と和気あいあいと心霊物件に入るという夢は潰えた。
履歴書はちらりとだけ見せられて回収された。個人情報は渡してはくれない。だが、その履歴書の写真では黒髪でメガネのはずだった。
「あの…?」
「あ、ナロウ和尚っていいます。今日は入海さんの仕事のサポートとしてまいりました」
ことさら社会人風を見せびらかす対応。自分の優位性を見せたかった。なぜなら今日の仕事はサポートといっているが、実際は試験官に近い。入海の仕事ぶりを評価して、不動産屋へ報告するのが仕事なのだ。ナロウの人生で一番「上司」という存在に近づいていた。
「和尚」というコードネームを獲得する試験。今日の仕事はそう言ってもいい。ただこの試験には厳密なルールは存在しない。
「霊を祓って生き残る」それだけだ。それがフリーランス和尚の最低条件だ。それプラス、物件への損害、祓った人間の精神面も含めた健康度、お祓いにかかった時間、費用、そういうのを諸々判断して合格不合格を判断する。合格すれば不動産屋に「和尚」として登録されて仕事が回ってくるようになる。
ただし、今日が試験であることは内緒である。
「基本、お祓いができるなら合格ですよ」
そういうことをべらべら喋ってしまうナロウであった。事故物件への道すがら、無言に耐えきれなくて今日の仕事の内容を喋ってしまっているのだ。
彼からしたら女の子としゃべる話題など何も無いのだから、仕事内容を話してしまうのは仕方がない。
「入海さんの除霊って、どういうものなのですか?」
一応、聞いておかないといけない。まともな技能検定もない和尚業界は、人に見られないのをいいことにオリジナル祈祷が跋扈する魔界のような場所なのだ。なかには、なろう小説を霊に読み聞かせるという奇人までいる始末だ。新人の除霊術を知っておくことはスムースな試験のためにも必要なことだった。
「ヨミです・・・」
「ヨミ?」
マスク越しで表情はわからないが、教えるのが恥ずかしいことだけは分かった。
「読みっす・・・」
「ああ、読みね」
同じタイプの
ナロウと同じ「読み聞かせ系」なのだ。自分も他人から除霊法を聞かれたとしても、おそらく恥ずかしくて同じ様な返答をするだろう。
「読み聞かせ系除霊」ならナロウとしても判断がしやすく、好都合だった。なんなら仕事を教えることも可能だ。女性と距離が縮まる可能性を感じ、ナロウは浮かれた。
「入海さんって、元は何やってたんですか?」
ナロウは彼女に一歩近づこうと新たな質問をした。その内容も穏当なものだと思った。「和尚」なんて職につこうなんてこと、普通はありえない。社会からドロップ・アウトしてつく職業だ。だから入海の前職を尋ねた。
ちなみにナロウの人生では、学生、バイト、バイト、日雇いの後の和尚だ。
「ギロリ」
そういう音が聞こえてきそうな睨み方であった。女性に睨まれた経験もないナロウは、温室育ちの小型犬のようにビビった。
彼女が前職について語りたくないことも分かったし、今の自分の境遇にまったく納得していないということも分かった。
「アハハ・・・いきなり聞くことじゃなかったね、アハハ・・・」
笑って誤魔化すしかなかった。彼女との距離が加速を付けて離れていったのを感じた。
除霊依頼された事故物件は、駅から少し離れたところにあるアパートだった。最初に目についたのは郵便受けだ。まとめて設置された郵便受けの全ての差し入れ口から、郵便物が植物のように伸びている。風雨にさらされたチラシが黒ずんでいた。
心霊事故物件が一部屋あるだけで、そのアパートの命脈が絶たれていた。
「こういうことになるから、あたしらが除霊するんスね」
「そうだね。霊がでるって分かったら、みんな逃げちゃうからね」
入海の感想は初心者らしく、自分の仕事の社会的意義の確認であった。ナロウには忘れがちになっていた視点だ。
屋外に置かれた洗濯機は半分壊れかけで、洗濯槽の中には真っ黒な何かが溜まっているのが見えた。
事故物件の前に、二人で立った。
普通のドア、普通のアパート。だが、ここで人が死に、事故が起こった。
「先輩は・・・怖くないですか?」
先輩と呼ばれたのが誰なのか、ナロウはとっさに分からなかった。
「怖くなくないわけはないけど」
「どっちっすか」
呆れられたようだ。彼女は自分からドアを開け中に入った。ナロウも慌てて後に続いた。
中に先に入った入海が部屋の前で止まって中に入れない。彼女の肩越しに部屋を覗いて、ナロウも止まっている理由がわかった。
六畳の部屋、その真中の畳が黒ずんでいる。真っ黒な人形の跡がぼんやりと残っているのだ。
この部屋の住人の遺体が何日も発見されなかったということだ。大氷河期世代の典型的最後の姿が残っていた。
入海は怖気づいたのか、なかなか部屋に入れない。本来なら畳の張り替えが行われているところだが、この霊障事故物件の強さゆえか、それすら行われていなかった。
「大丈夫?」
多少は現場慣れしているナロウが心配して声をかけたが。
「大丈夫でス」
覚悟を決めて入海は中にはいった。
ここから先は彼女の仕事場だ。
ナロウには見守ることしかできない。
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