第4話 「言えない、作者の名は。」
熱い魂のこもったお経のシャウトは、しかし、喉から放出された瞬間に凍りついた。
ライブダイブ和尚のライブスタイル除霊は、危機的状況にあった。
4つのスピーカーは音割れを起こしまともな音がでていない。ガビガビになった木魚の音が間延びして、巨人の鳴き声になっている。ゲーミングライトのレインボーな光は重い青色だけが発光し、部屋中を薄ら寒い寒色に染めている。
寒い。和尚の内なるパッションの熱も室内の冷気に削り取られていくばかりだ。
冷房などついていない。真昼のアパートの室内なのに、冷凍庫に閉じ込められたように寒くて暗い。
「気合だ!気合で霊に負けるかよ!」
ライブダイブ和尚は無観客ライブでも全力ライブするパフォーマーのように立ち上がる。彼にも意地があった。
除霊師としての才能。産まれて初めて自分の中に才能を発見した。それは泣かず飛ばずだったバンド活動とは違う、真に世間に認められた才能だった。
「だから俺は!」
極寒の室内のライブ会場に立つ和尚。
手も足もまぶたも震わしながら、気迫だけで叫ぼうとするが、彼の眼の前に現れたのは、死そのもの。霊がその姿を現し、ドクロの素顔を見せつけた。
ライブダイブのお経は途切れ、本物の悲鳴が上がった。
「ライブダイブ和尚が入院してるんですか?あの人が?」
「そう、けっこう派手にやられてね」
不動産屋の女の言葉は事務的で、同情心は感じられなかった。ナロウとライブダイブが親しいと知りながらも、いたわりの言葉の一つをかけるでもなく、手元の資料をナロウ和尚に投げてよこした。
ライブダイブが扱った案件。その情報とライブダイブが敗北した際に集めた情報がまとまっていた。この女性、態度は冷たいが仕事はできる。必要以上に情報がまとまっている。
「異化系じゃ相手にならないみたい」
女はナロウと目も合わさずに言った。扱う案件が膨大な彼女は、ナロウとのミーティング最中でも他の仕事を手元のタブレットで回している。
ナロウは資料を見る。ライブダイブ和尚が敗北したのは三日前。普段から連絡を取り合っているわけでもないので、そのことを全く知らなかった。病院で聞き取り調査も行われており、敗北の詳細もまとめられている。
たしかに「異化系」の中堅ともいえるライブダイブ和尚が負けた以上、不動産屋としては「別ジャンル」の祈祷師を派遣して、効果の高いジャンルを探るのがセオリーだった。
「ドミノ和尚やリストカット和尚に頼みたいんだけど、そのレベルだと複合霊障物件が優先されるからね」
女が言うドミノ和尚は業界唯一の「ドミノ系除霊」のエキスパートだ。
彼は事故物件に入ると、無言でドミノを並べ始める。部屋から玄関、トイレにバスタブまで、家中にみっしりとドミノを並べる。霊の存在など眼中にない。もしも霊がドミノを倒したら、舌打ちをしてまた並べ直す。家のすべてをドミノで満たしたら、ついに倒す。家中を倒れながら駆け回るドミノ。最後の一個が倒れた瞬間、得もいわれね達成感が生まれ、強制的に霊は除霊される。この「達成感」に勝てる霊はいない。ただし時間と精神力が必要だ。最低でも三日、最長で二週間かかると言われている。
リストカット和尚はその名のとおりだ。
事故現場に押し入ると、その場でリストカットする。自ら死に近づき霊体となって、その場を不法占拠している霊を追い出すのだ。これも成功率バカ高だが、当然のことながらリスクが大きく下手をすると多重事故物件化する。連続して行える除霊ではない。
どちらも除霊師としてトップクラス。100%の成功率を誇り、不動産業界で知らぬ者はいない。
そういったトップオブトップと比べると、ナロウは若輩もいいところだ。中年と言われる年に近づいてもまだ若輩扱い。普通なら気に病むところだが、除霊は競うものではない。自分のやり方でやればいい、という思いがあった。
不動産屋の女はこの失敗した案件の扱いに迷っているようだった。自分に回ってこない案件の資料も、今後の仕事の参考にはなる。ナロウはそれを読み込んでいると、ある文言を見つけた。その一文は彼の仕事の手順において、重要なヒントとなるものであったが、ほとんどの除霊師にとっては無意味な情報であった。
彼だけがそこに糸口を見つけられた。
ナロウはおこがましさを感じつつも女に言った。
「もしかしたら僕、除霊できるかも」
女は、訝しげに彼を見た。
警察の黄色い立入禁止テープを潜って家に入る。警察のテープはダミーであり、「KEEP OUT」の裏面には悪霊を押し止める、お札のような文様が描かれている。周囲の住民を怯えさせないための不動産屋の気遣いだった。
事故物件は小さな一軒家だった。
玄関のドアを開けると、冷気が一気に吐き出されてきた。冷え切った室温を吹き付けられて顔面が強張る。
雨戸が閉められた薄暗い室内に入る。
一歩歩くごとにゾワリゾワリと背筋に悪寒が走る。今まで来た心霊事故物件の中でももっとも強烈な「嫌な予感」。
この仕事を始めてから、人間には霊を感じる器官があると思うようになった。人間は感じ取れてしまうようだ、目に見えないものを。
居間にたどり着いた。もう足の震えが止まらなくなっている。なぜこんな恐怖を味あわなければならないのか。それは仕事として選んだから…。
カバンを開け、座布団とロウソクと水とタブレット、ほんの僅かな仕事道具を広げる。今回は携帯をダイヤル状態にして側に置く。いざという時は不動産屋に救出してもらう。
除霊はなにげなく始めた仕事、
食うに困って始めた仕事だった。
だが、出来た。自分にも特別な能力があった。今はそれを示したい。それを試してみたい。それに賭けてみたい、
タブレットを起動するが、ブラウザは開かない。今回ようがあるのは小説サイトではなかった。タブレット内の自分のフォルダー内にあるテキストを開いた。
文字が、文章が画面に表示された。
この事故物件の女性の情報には見逃せない一文があった。それを見た時、ナロウ和尚は
「これは僕の仕事だ」と確信した。僕だけができる仕事、それが目の前にあった。
やらなければいけない。
僕と、君のために。
息を整え読み始める。BGMも木魚の音もない。普通の朗読を始めた。
だが読み始めた小説はなろうの文章を拝借したものではない。普段のナロウ和尚なら、霊の過去の情報から「恨みと後悔」を探し出し、それを解きほぐすのに最適のなろう小説を探しだして朗読する。彼にはその目利きの才能があった。
つねに他人の小説を読み聞かせてきた。
だが、いま彼が読んでいるのは…
心臓が高鳴る、頬が赤くなる。恥が胸の奥からこみ上げてきた。
読み上げているのは、
自作のなろう小説だ。
霊となった女性の記録は詳細だった。
ライブダイブ和尚の敗北があったため、万全を期すためにさらに詳細に調べ尽くされたのだ。彼女のPCのデータもサルベージされ、ファイル内容もことごとくチェックされた。その中から見つかったものは
「自作小説(アマチュア作品・未発表)」、30を超えるテキストファイルだった。
それを見た瞬間にナロウ和尚には見えた、彼女の人生の傷跡が。
ナロウ和尚は「寄り添い系」である。
彼は今まで霊たちの傍に寄り添い読み聞かせてきた。霊たちの人生に足りなかった勝利の物語を読み聞かせてきた。だがそれはつねに他者の作品によってなされてきた。彼自身、小説を書いていたというのに。
彼はそれを発表したことがなかった。
恐れていたからだ。書くことは楽しい、だが見られること、発表すること、そして
敗北することを恐怖していた。
敗北を避けるためには発表しなければいい。そうすれば永遠に勝利は訪れないが、絶対に敗北はしない。
彼はそういう男だった。
霊の彼女もそういう女だと気づいた。同類の匂いを敏感に嗅ぎつけたのだ。
だから手を上げたのだ。自分になら彼女に「寄り添える」と。
霊の圧は急上昇している。
突然現れた男は何を考えてか、いきなり朗読を始めた。霊は室内をつむじ風のように回転し怒りを表現する。突風に煽られながらも男は朗読をやめない。霊には人間の言葉はわからなかった。だが興味が出てきた。
「なぜこの男はこんなに赤くなりながら文章を朗読しているのか?」霊の中に音を聞く耳が生まれた。
自作の小説など、人に聞かせるものではない。健康でいたいのなら避けるべきだ。そういう信条で生きてきたナロウ和尚であったが、今、よりによって霊に自作小説を朗読している。
内容はもちろんなろう系、それも流行りをバッチリ追った周回遅れ感すらある内容だ。
言葉が詰まった。
周囲を騒がすポルターガイストにおののいたわけではない、自作小説に誤字が見つかったからだ。
読み替えながら続けると、今度は話がつながっていない。
「なんだこの下手くそは!」過去の自分に毒づいた。書いたはいいが推敲をしていない。時間が経つと自作を読み返すのが恥ずかしいからだ。
読みあぐねいていると、霊の暴れ方が大きくなる。それすらも「ちゃんと聞いてくれている」と分かり辛くなってきた。
なぜこんな辛いことをしているのか?
書くことも、朗読も除霊も。
やっていること全てバカバカしくなる。全て投げ出したくなる。
だが、読み続ける。
自分が書いた小説だ、自分が始めた仕事だ。
投げる事も捨てる事も許されない。
辛く悲しいことだった。自作小説を書いて誰にも見せないということは。他人の評価が怖くて隠すしかなかったのだ。
「それは君も同じだろう」
ナロウはそう信じていた。現実の人間には無理だが、霊である君になら寄り添える。
だから読んで聞かせている、自作のなろう小説を。
「君が抱えていた苦しみは、僕も知っている」
それを伝えるために。
霊の動きは激しさを増したが、それは破壊的で無軌道なものではなくなり、ナロウを中心とした規則的な回転になっていた。まるで犬が主人の手に持つおやつを求めて、主人の回りをクルクルと回っているようだった。
朗読は終盤に入った。
ナロウ胸にこみ上げてくるものがあった。自作を読み返すうちに、再発見したのだ。
「自分が書きたかったシーン」を。
このシーンのために自分はこの小説を書き始めたんだ。それを思い出した時、羞恥は消え、誇らしさがでてきた。
自分はそれを完遂していたと分かった。
書ききっていたということを思い出した。
恥は消え、胸を張る。
「下手くそだが、正しかった」
その思いを胸に、最後まで自作小説を読み切った。
室内の冷気は去り、居間の空気は静止している。宙に待っていたホコリも静かにゆっくりと落下していた。
読み切って紅潮したナロウの前に女性の霊が立っていた。ゆっくりと手を合わせ、離し、また合わせ。
霊には拍手ができない。
だがその思いは伝わった。
彼女にもナロウの気持ちが伝わっていた。
「僕が書いた、そしてだれにも見せれなかった自作の小説です」
ナロウは彼女に説明した。言わずとも伝わっているのは分かっていた。
霊の体は端から消え始めていた。
同じ気持ち、同じ痛みを知る人が寄り添ってくれたから。もう未練は無かった。
彼女は成仏する。
ナロウはタブレットを胸に抱えながらその光景を見続けた。
ナロウの目から涙がこぼれた。
彼女とともに彼の書いた小説もまた、成仏したからだ。
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