第3話 「和尚、お経知らず」
ナロウ和尚はアパートの階段を上がる。
事故物件率は当然ながら一人暮らしのアパートの方が高い。その場合、霊は一体の場合がほとんどだが、たまに「集団自決」という事もある。老老介護に絶望しての親子自決、将来に悲嘆した一家自決。そうなってくると除霊はややこしく困難になる。
世間にとって「自決」はもはや当たり前のことになっていた。それを悲劇と感じる神経はすり減り、話題にも上らない。社会にポッカリと空いた「自決」という穴。毎日、誰かがその穴に落ちている。人々はその穴を見ないように、気づかないように暮らしている。
部屋の中は、資料の写真とは少し違っていた。荷物や家具が移動されていたが、その途中で放置されている。ここも清掃作業中に心霊事故物件であるとわかり、封鎖されていたのだ。清掃業者もこんな仕事で心霊障害をもらいたくはない。
電気をつけようとしたが、当然ながら電気はすでに止まっていた。部屋の匂いは薄くなった生活臭。主が消えて匂いの発生源がいなくなり、薄れ始めた生活感が沈滞している。
ナロウ和尚はリビングで仕事の準備を始める。
といっても彼の仕事道具はロウソクとタブレットだけだ。
すでに日も暮れて薄暗い室内。ロウソク立てにろうそくを立てて火を着ける。ロウソクの火は除霊の雰囲気を醸し出す。
彼は正座をし背筋を伸ばした。
室内には当然、彼以外に人はいない。
何度か深呼吸をして場の空気を伺う。
ろうそくの火がゆらりと動いた。
空気から軋む音が聞こえた。天井裏を駆ける足音が聞こえた。
ナロウは自分の背中側の影が濃く重くなっていくのを感じる。
じわりと汗をかいたが、逃げ出すほどの恐怖ではない。まだ、大丈夫だった。
彼はタブレットを手に取り、画面を見る。幾度かスワイプしてお目当てのページを開く。
神妙な態度で除霊を開始した。
霊障現る事故物件の中心、坊主姿の男は神妙真摯な顔のまま、タブレットに映る文章の音読を開始する。
彼の口から立ち上る言葉は…!
「なんで俺が追放されなければいけないんだァ!」
それは「なろう小説」の冒頭であった。
袈裟を着た和尚が、心霊の現場でなろう小説、それも「ざまぁ系」の音読を開始した。
木魚のリズムも鐘もなし、ロウソク一本が揺らめく中、和尚、なろうを読み始める。
和尚の背後の影が、思わぬことに揺れ動く。てっきり読経でも始めるかと思ったのに、あの和尚、何をしている?
部屋に和尚と二人きり、和尚なろうを読み出して、何も起こらぬはずもなく。
霊は言葉の連なりに、生きてた頃を思い出す、霊に耳生え聞き耳立てる。言葉は繋がり文になり、生前生者の記憶をたぐる。霊は思わず思い出す、ああこれは…小説というものだ。
ナロウ和尚は一人、なろう小説の音読をしているだけだ。だが彼も気づいている。この言葉に聞き耳を立てている存在がいることを。彼は一人でなろう小説を楽しむために音読しているのはない。この部屋にいるもう一人、霊に向かって読み聞かせているのだ。
ナロウ和尚は霊の生前の情報から、最適ななろう小説を選択してきた。「ざまぁ系」とは「能力を認められず、一度は社会的に阻害されるが、自分の真の能力に気づき栄光を勝ち取り復讐を果たす」というようなものである。
それは多くの霊に通用するナロウ除霊の必勝パターンだ。
彼らは社会に認められることがなかったために自決した。認められていれば、そのような事はしなかったはずだ。
この霊たちがもっている精神の屈折を音読でもって解きほぐす。
ナロウ和尚の言葉がヒートアップする。小説内の主人公が自らの「クズ能力」が実はだれよりも優れた能力であり、彼にはそれを使いこなす「知恵」があったと気付いた。
霊の耳は大きくなる。孤独に宙を舞うだけだった霊にとって、久しぶりの娯楽だ。しかも肉体を失い精神のみとなった彼に、「言葉」はダイレクトに届いた。
除霊が始まって、三時間が経った。
いくつかの小さな「ざまぁポイント」を通過したが、まだ除霊には至っていない。
だが、なろうソムリエであるナロウ和尚は慌てない。汗をかき喉はからからになりながらも朗読を続ける。
もうすぐ大きな「ざまぁポイント」がやってくる。作者が読者を食いつかせるために用意した大きな餌。これぞ絶対という勝利のためのざまぁポイントだ。
わざと口調を変え溜めを作り出す。
この仕事のために声優の朗読映像で勉強して、読みの技術を独学したのだ。
来る、来る、来る。
ざまぁポイントのゴールテープが近づく。
き、たぁ!
ざまぁぁぁぁぁぁああああ!
そこから先は読むだけでテンションが上がる。パチンコの大当たり状態。何をしても気持ちいいポイントばかり。つぎつぎと言葉が快感に変換される。
ロウソクの炎が膨らみはげしく揺らめく。なろうの背中から伸びる影がそれにあわせて大きくなり、炎の動きに合わせて踊っている。
霊はナロウ和尚の語る物語をもろにくらった。
生前、彼の人生に光はなかった。闇ばかり。だが、エンタメは、小説は、なろう小説は、その人生に一時、勝利の仮想体験を与えてくれる。それは慰めかもしれない、それは致命傷に貼る小さな絆創膏なのかもしれない。
だがそれで息がつける。
止まっていた足に、前に進む力を与えてくれる。
夢や希望が幻であるように、我々の人生にとって勝利も同じく幻なのだ。
だから、この文章が必要だった。
霊が空中で解体を始めた。一時の勝利の幻が、霊を縛り付けていた「怨念」にヒビを入れたのだ。小さなヒビの名は「尊厳」、霊はもう霊としてはいられなくなった。
綺麗に弾け飛び、この世から消えた。
ロウソクの炎は、何事もなかったかのように静かに燃えている。
部屋の空気は一変した。一瞬で換気したかのように匂いも消えた。部屋のすみの闇ですら、その濃度が薄くなった。
ナロウ和尚は霊の存在が消えたことを感じていたが、物語が一区切りつくまでの音読を続けた。この部屋にかつていた人に捧げる祈りの言葉のように。
読み終わると彼は虚空に向かって頭を下げてから言葉を投げかけた。
「これはあなたのために選んだ物語です。この世にはあなたを救えたはずのなろう小説があったんです。それに生前出会っていれば、
私が勧められていれば…
でも、最後に間に合った。あなたにこの小説を届けられて、ほんとうに良かったです」
ナロウ和尚は仕事の終わりを確認すると、少ない仕事道具を片付けだした。
彼の除霊は「なろう寄り添い系」!
霊に最適ななろう小説を読み聞かせてあげることで除霊をする音読除霊だ。
彼の仕事において、霊の生前の情報は最重要である。なにが彼らの怨念の元凶か? どのジャンルがその怨念を解きほぐせるのか。どの小説が最適か。彼にはそれをセレクトできる「なろう小説ソムリエ力」があった。
部屋を出る時、彼は室内に向かって手を合わせ、深くお辞儀をした。
たった今、ここの住人はこの部屋を去ったのだ。
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