第4話 進藤夏樹と私と

 混乱した。

伊月は男子と仲が良いタイプではない。しかし進藤夏樹のスマホに彼女からの電話がかかってきているのは事実で、私は頭が痛くなりそうだった。


 今電話に出たら彼女は何を話してくれるだろうか、と狂気的な考えが一瞬頭を過ぎる。実践するわけがないけれど、一瞬そんな考えが頭に浮かんだ。画面を見つめたままでいると、『久野伊月』の文字は無慈悲にも私を置いて消えてしまった。

待ち受けの画面に切り替わり、たくさんの通知が表示され、私は咄嗟に電源ボタンを軽く押す。超えてはいけない一線というものがある、と私は知っていた。ため息をついて、リビングに戻り、ダイニングテーブルに彼のスマホを置いた。


 椅子に座って息を吐き出す。短時間にあまりにもたくさんの出来事が起こりすぎた。久しぶりに使った頭を押さえて、私は再び深呼吸をする。

伊月は今日も生きていて、綺麗な外の空気を吸って、人に電話をかける余裕もあった。勝手に安心して、良かったね、と心の中で呟く。


 いつ彼はスマホを取りに来るだろうか。正直に言って、私は進藤夏樹と再び楽しい会話を交わせられる自信はなかった。袋にスマホを入れてドアノブにでも掛けておきたいところだけれど、誰でも手に入れられる袋に入れるにはスマホは高級すぎた。私は唸りながら会話の内容を考える。

こんにちは。はい、どうぞ。では。

文字に起こせば簡単でも、生身の人間に言うとなると話は別だ。どうしようか。

私は重い心を抱えながら彼を待った。



 ソファに寝転がってテレビを見ていた。正午らしい、当たり障りのないほんわかとした雰囲気の番組を、ただ只管に無心で見る。

まだ四月なのに私は暑苦しさを覚えたものの、窓を開けるのも億劫に感じ、すぐそこにあるリモコンを取ってエアコンを付けた。スーパーに入った時のような涼しい風が身体を撫でる。


 番組で起こる平和な笑いが響く部屋の中で、じわじわと不安が私の身体に染みていく。進藤夏樹の顔が、伊月の顔が、筑波綾音の顔が、頭を過った。今頃進藤夏樹は筑波綾音と私の話をしているかもしれない。それを伊月が聞いて、愛想笑いを浮かべているかも知れない。そう考えるだけで鳥肌が止まらなかった。


 チャイムが鳴った。


 私は姿見で自分の姿を確認してからドアを開けた。進藤夏樹は気まずそうに会釈をした後、

「あ、えっと、俺のスマホあるかな?多分、諏訪さん家に忘れてきちゃったと思うんだけど」

と不安そうに言った。私は「はい。あります」と小さく呟いてから彼のスマホを渡した。進藤夏樹は安堵の表情を浮かべると、「ありがとう!」と嬉しそうに言う。

「あ、あの」

進藤夏樹は顔を上げ、私の言葉の続きを待った。

「伊月と仲良いんですか」

沈黙が辺りを包んだ。

固まる彼を見て、冷や汗が背中を伝う。唐突すぎた。当たり前だ、ほぼ話したことのない元クラスメイトがいきなり自分の人間関係に土足で踏み入ってきたんだから。

ごめんなさい、と言おうとして口を開く。


 「良い。仲良いよ」

そう彼は言った。

何かを隠しているような物言いだった。あまりの歯切れの悪さに不信感を覚える。ずっと考えていた最悪のパターンが頭を過った。

そこで進藤夏樹は「何で?」と当然の質問を投げかける。

「えっと、ごめんなさい、私、見るつもりは無かったんですけど、着信が来てて、あの、伊月から。それを見てしまって」

ごめんなさい、ともう一度呟く。進藤夏樹は露骨に顔を顰めてから、「ああ......」と声を漏らした。


 「付き合ってるんだ、俺と久野。もうあいつとは別れたし、変な関係じゃないから!誤解しないで」

最悪のパターンだった。私はショックを通り越して呆れを覚え、「そうなんですね」とため息代わりに呟く。彼は弁解するように言ったけれど、私は彼に彼女がいたことなんて覚えてないし、興味がなかった。私が好きなのはいつだって伊月だけだった。伊月が好きなのは私ではなかったようだけれど。


 「伊月は、元気ですか?」

何も聞かない私に驚いたのか、進藤夏樹は意外そうな顔をしてから爽やかに微笑み、「うん。元気だよ」と言った。

「諏訪さんは元気?」

「......はい。ありがとうございます」

「敬語じゃなくていいのに。きっとまた学校来たらさ、伊月も喜ぶよ」

罪のない笑顔を広げて彼は言った。


 ああ、私、この人駄目だ。


 一瞬で私と彼の間にある扉が閉ざされた。


 この人、本当に駄目だ。

何も分かってない。私の不登校は、伊月が喜ぶなんて甘い言葉に釣られるくらいの軽いものではない、と何故分からないのだろう。毎日笑顔で学校に行けている自分と正反対の人間の気持ちを、どうして理解した気になって、自分の方が上の立場に立っているような物言いをするのだろう。


 中学生なんて何もしないくせに、付き合うなんて大人の響きに成長した気になって、伊月も喜ぶよ、なんて言う。まるで自分の所持品のように、妻のように、伊月の名前を口にする。

何より、それを伊月が許容していることに吐き気がした。


 悪意のない言葉のが、いつも私の心を抉る。

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