第3話 果物と野菜

 女子は、好きな男子の話が大好物だ。

あの子は誰が好きだとか、付き合っているだとか、あの子がモテるとか、女子が騒ぎながら楽しむ話題の魅力が、私には理解出来なかった。


 修学旅行の醍醐味はやっぱり恋バナだよね、だの、楽しめない人が居る可能性を踏みにじる圧。そんな事を言うのはいつもクラスの中心人物で、その言葉にニコニコしながら頷くのは取り巻きの本音なのか、彼女等がただのイエスマンなのかは分からない。どちらにしろ私はそのような人間と仲良くはなれないし、どうでもいい。


 なぜなら私には好きな男子などいた事がない。私は果物が食べれないのに、周りは皆果物が大好きだと思いこんで好きな果物を尋ねてくる。私が果物は苦手で、と言っても話題を変えようとはしない。


 紗耶香さやかちゃんは果物が好きじゃないの?何で?へぇ、勿体ないね。この世には美味しい果物がたくさんあるのに。ところで他の皆は何の果物が好きなの?と、こんな風にいつも私は例外として扱われる。

私が野菜を好んでいる可能性を、考えない。


 伊月はいつも優しかった。

小学校が同じということもあって、あまり友達を積極的につくるタイプではない私を、いつも気遣ってくれた。私が男子の話に呆れていれば二人で抜け出そうと言ってくれたし、自分から男子の話をすることもなかった。


 伊月が好きだった。距離感の近い伊月もきっと私の事を好きだろうと思っていた。

思っていた。ずっと、思っていた。

けれど、本当は勘違いしていた、という表現の方が正しかったのだ。


 考えさせて、とも言われなかった。

即答の『ごめんなさい』を理解するには時間が必要だった。ごめんなさい、なんて簡単な日本語なのに、分かっているはずの単語を何度も何度も辞書で調べ直そうとしてしまう。何度辞書を見ても書いてある意味は同じなのに、そんなはずないと私の脳は言っていた。


 唯一の友人と、初恋の相手を同時に失った。


 一週間ほど経った後のことだった。

伊月の仲の良い筑波彩音つくばあやねは、私を呼び出すと言った。

「伊月、かなり困ってるから。気にしないでとかなんとかとか言ってくれない?レズに告られたら誰でも困るじゃん。ちゃんと考えてよ」

一気に顔が赤くなる。レズと分類されていきなり突き放された事も、伊月がこんな奴に勝手に告げた事も、全てが恥ずかしくて悔しかった。頷かなければならないのに、涙ぐみそうになる。想いを告げた私が迷惑だというのか。


 「うん」

絞り出した返事は脆くて、分かりやすく震えていた。下を俯きながらも、筑波彩音が片眉を上げたことが分かった。

「泣いてんの?」

直球で無神経な質問にまた涙が溢れそうになる。返事をしない私を見て、彼女はため息をつくと、

「泣きたいのこっちだし。てかもう伊月泣いてるし。あんたの事相談されて泣かれて困ってんのはあたしなのに、何であんたが泣くの?マジ意味分かんないから」

とスラスラと言った。

ごめんなさい、と呟く。


 言われるがままに謝罪しかできない自分が情けなかった。『てかもう伊月泣いてるし』の言葉が脳内に響き渡る。そんなつもりは無かったのに、ごめん伊月、と届きもしない謝罪を頭の中で繰り返した。


 涙が伝う顔を上げた。筑波彩音は恐ろしい表情をしていて、私は思わず固まる。不快そうに歪められた口元には、校則を守っているとは思えない赤い輝きが光を反射していた。


 怖い。ただそれだけだった。


 翌日から、自分に粘りつく視線の全てが私を否定しているような気がしてたまらなかった。電車の中のサラリーマンの視線、教師の視線、クラスメイトの視線。全てが昨日の筑波綾音の瞳と重なり、自分を咎めているように感じてしまう。

実際に筑波綾音とその友人が私を見ながら何やら話していたこともあるため、あながち全てが勘違いとは言えない事実が、余計私を苦しめた。


 だるい。身体が重い。そんな仕様もない理由で母に「今日休みたい」と言うと、意外にも母は快い返事をしてくれた。七年間サボること無く学校に通い続けた私が休みたいと言ったのは、母にとって大きな出来事で、かなり心配だったらしい。私はそんな母に甘えて今日も、また今日も、と休み続けた。


 社会がそれを不登校と呼ぶのは、今に知った話じゃない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る