第2話 あの子からの着信

 私はゆっくりと目を開いた。

床が、冷たい。

私ははっと我に返り起き上がる。床の模様がくっきりついたふくらはぎは、私が玄関で倒れていたと物語っていて、腰やら腕やらが変な痛み方をした。どうやら倒れたまましばらく寝てしまっていたらしい。


 「あ、えと、おはよ」

男子特有の低い声に、ビクッと身体を強張らせた。進藤夏樹だということは分かっていたけれど、目を合わせるのが怖くて、私は床を見つめながら「すみません」と感情を押し殺しながら呟く。


 彼が、私の家の玄関に、いる。

私の家に、入っている。

咄嗟に私はドアノブの上にある鍵を確認すると、鍵は開いていた。小さな安心感が胸に滲む。


 早く、出ていって。私に構わないで。どうするつもりなの。あの子達に私のことを話すの。出ていって。私の前から消えて。

心が叫んでいる。どれか一つでも良いから言ってしまえ、と口を怒鳴りつけている。


 「えっと、大丈夫?」

私の口より彼の口の方が心に従順だったらしい、また彼の低い声が玄関に響いた。

目を逸らしているため顔こそ見えないものの、明らかにサイズの合っていないダボダボの制服に、あどけない顔に似合わない宅配会社の紋章が、学校に認められていないことだけは確かだった。

「大丈夫です」


 「良かった。ごめんね、倒れちゃったままにするわけにもいかなかったんだけど、起こすのも気が引けて」

私は何も言わずに頷いた。

早く私の前から姿を消して欲しい。その願望が彼に届くよう、必死に念じた。


 「荷物、凄く重かったから。そこに置いておいたよ」

ふと後ろを向くと、彼の言う通り大きなダンボールが置かれていた。優しい声色と人の良さから察してはいたけれど、やはり進藤夏樹は善人だ。優しい人、というよりかは善人という言葉が似合う。


 そんな善人にこんな態度をとっていることが、唐突に悲しく感じられた。ごめんなさい、許して。勝手に倒れて大してお礼も言わないけれど、許して。本当にありがとう。でも、早く出ていって。


 雰囲気を察したのか、進藤夏樹は「じゃ」とだけ残して立ち上がった。サイズの大きな服の擦れる音がした。いつもはおじさんや若いバイトの宅配員が着ている制服だ。もし今でも私が彼とクラスメイトだったのなら、「似合ってないよ」と言いたい、制服も、優等生の君がバイトをする姿も。


 ドアは重い音を立てて、久々の訪問客を追いやった。


 一気に緊張の糸が緩み、ため息を引き金に、私は倒れ込むようにして床に寝転がった。暑い。まだ四月なのに、とても暑い。額を一筋の汗が伝った。


 これから、彼はどうするだろう。

彼女達に私の事を言うのだろうか。あいつ、クラス替え初日にのんびりパジャマで宅配に出てて、とか。教室を貫く甲高い笑い声が頭の中で響いた。

暑い。あまりにも暑い。緊張かトラウマか、私の体温はどんどん上昇していく。薄手の長袖パジャマが、ジメジメと湿りうざったく感じた。


 立ち上がり、着替えに行こうとした私の耳を電話の着信音が引き止めた。スマホを置いた覚えのない背後から、電話の着信音が聞こえる。聞き間違いではない。

嫌な予感が頭を過り咄嗟に後ろを振り向くと、床には明らかに私のものではないスマホが置かれていた。


 久々の訪問客の、忘れ物である。

私は一瞬躊躇ったものの、彼のスマホを拾い上げ、今だ着信音を発し続ける画面を見た。


 『久野伊月くのいつき』からの電話だった。


 私はこんなにも必死に逃げているのに、春はここまで私を追ってくる。

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