#11 女子高生が知った社会の闇②
「秋葵さん、バイト慣れた?」
バイト終わり、クタクタになった体でバックヤードに戻ると、ちょうどそこでパソコンでデスクワークをしていた社員が、こちらに振り返った。
うちの店には社員が四人いる。店長(男性・二十代くらい)と、外国人が二人(どっちも男性・若い)と、そしてたった今、私の目の前にいるTさん(社員で唯一の女性・二十代くらい?)。
内心、私は驚いた。休憩中にも関わらずホールやキッチンにいることが多いTさんが、今日は珍しく定時十分前に上がっていた。
私はたまたま彼女と上がりの時間が被っていたが、今日はもう帰っているものだと思っていたから。
「あ、それなりには…でも私、あんまり役に立ててない気が…」
「そんなことないよぉ。レジも出来てきてるし」
おどおどと答えた私に、Tさんはいつものように明るく笑った。けど、その瞳には生気がなく、私は胸がちくりと痛んだ。
「あのね、シフトのことで相談したいことがあって…」
Tさんがしていたのは、来週のシフト作りだった。
「秋葵さん、今のところ週3で入ってると思うんだけど、週4とかって無理だよね?たとえば、月末だけとか」
「あ、それくらいならいけますよ!流石に毎回週4だと、ちょっと勉強との兼ね合いが厳しくなるってだけで…」
「土日がねー、全然人足りてなくて…」
シフト作りは、前までは店長の仕事だったそう。しかし、膨大な仕事量による負担を考え、Tさんが代わりに引き受けることになったらしい。
「あぁ、もう土日とか基本暇なので、全然入れちゃっていいですから。私ポンコツなんで、あんまり即戦力になれないかもしれないけど…」
流石に、私は誰に対してもこんなネガティブな発言をしているわけではない。もちろんそんな意味を持って言っている訳ではないけど、『やる気のない奴』だと思われるのが嫌で。だけど、Tさんになら言っても大丈夫のように思った。
Tさんは、鬼忙しい店長に代わり、私のような学生バイトたちの教育係的な役割を担っている。もちろん他の先輩たちも色々教えてくれたけれど、一から丁寧に手取り足取り教えてくれたのは、Tさんくらいだった。
私は初バイトで、鈍臭くて要領も悪いタイプだし、テンパりやすくて冷静な判断が苦手(ちなみにコミュ力の問題なら、仕事となればある程度は喋れた。なぜか笑)。
覚えも悪く、ミスも多く、ベテランのパートさんにも注意されがちな私を、Tさんはいつも気にかけてくれた。
「ありがとう。今、本当に人が足りてなくて。ごめんねぇ。こんなに働かせちゃって…」
ごめんね、って?このとき私は内心、眉を顰めた。もしかしたら表情にも現れていたかもしれない。
「……だっ…て…しょうがないですよ…」
コミュ障を拗らせまくっている私は、当然、バイト先でも口数は少なく、自分からは必要最低限のことしか喋らない。そんなバイトからこんなセリフが出てくるなんて、Tさんからしてみれば珍しかったと思う。
「この店、めちゃくちゃ人来るし…」
うちの店舗は駅近で、更にビジネスホテルの一階に位置しており、ホテルの朝食会場になっていた。
ただでさえ今ブームになっている人気店なのに、そういった事情もあって、うちの店は特別混雑している。お盆なんて地獄のようだった。通しても通しても、続々と来店してくる客は止まらない。生まれて初めて、人間が雪崩のように見えた。バイトが終わって家に帰ると、疲れてもう何もできなかった。
「それは本当にそう!私、白目剥いて仕事してるから笑 けど、秋葵さんも無理しないでね」
「あ、はい!……でもあの、Tさんも無理しないでくださいね!なんか、いつも大変そうだから…」
「うん、でも、今は無理しないといけないときだから…」
店長が辞めたことを、私は軽く聞いただけだ。新しい店長がくるのか、社員の中の誰かが店長になるのかもよく分からない。他の社員はどちらも外国人で、文字を読むのが苦手だから、事務仕事も難しいそう。
だから、Tさんがこの店のノウハウを全部引き継ぐことになるのは確実そうだった。そしてそれは客にもバイトにも、四方八方に常に気を回している彼女に、さらなる負荷がのしかかることを意味していた。
「忙しいと、どうしても丁寧に教えてあげられないときもあるんだけど、分からないことがあったら、周りの聞きやすい人に聞いたりしてね。やっぱり楽しい職場にしたいから。楽しくない職場なんて、嫌でしょ?」
そう言って笑ったTさんに、私は妙な苦しさを覚えた。なんで、なんでそんなに、優しいこと言ってくれるの?
『あんたのバイト先、絶対ブラックよ』
私が家でバイトのことについて色々話すと、母はいつもこう言った。
私は知っていた。給与に見合ってない、何十時間にも及ぶ過度労働。ホールにいるときの明るい笑顔の裏で、出勤したときの彼女はいつもぐったりしていて、挨拶の声には全く覇気がない。
あなたが一番大変だろうし、余裕なんてないだろう。なのに、なんで私のことなんか気にかけて…
その瞬間、私はハッとした。
(Sちゃん…?)
優等生で人気者のSちゃんは、誰から見ても『幸せそうな人』だっただろう。
だけどSちゃんは、私や一部の部活仲間に、よく零していた。父親が昭和人間で嫌い、最近部活の雰囲気が悪いのが辛い、みんなの期待に答えなかったら失望されそうで、それがすごく、怖い。
私はそんな友人の発言に、共感するような態度を示してはいたものの、心の何処かでは『単なる愚痴』だと見なしていた節があった。完璧人間にも悩みの一つや二つ存在するだなぁと、その程度。
今考えたらこれは、彼女なりのSOSだったのかもしれないのに。
Sちゃんによく似たTさんを前に、当時のことが鮮明に蘇る。
店長は気の優しい人だった。私には見ることができない業界の闇に、さぞかし苦しんだんだろう。
Sちゃんが不登校になっても、世界は全く変わらなかった。クラスメイトたちは、あいも変わらず日々を過ごしている。
空席になったSちゃんの机の周りで、クラスの女子グループが、楽しげに笑い合っている姿を見た。そこには、小学校時代に私をいじめていた子たちもいた。
Sちゃんは学校に来れなくなったのに、あの子たちは私をいじめていたことも忘れて、自分たちは罪を犯してないみたいな顔して、楽しい青春時代を過ごしている。
私には、それが許せなかった。
身勝手な怒りだということは自覚している。彼女たちは彼女たちなりで、過去の自分の行為を反省して、心を改めていたのかもしれない。過ぎた出来事に、いつまでも囚われている私はきっと、つまらない人間だ。
受験で、何かと精神的に不安定だった時期だったこともあるだろうが、だけど、それでも私は、悔しくて悔しくて堪らなかった。
いじめられていた頃もあったとはいえ、私は恵まれてる方だと思う。確かにあの頃、毎日が辛くて、苦しくて仕方なかった。今でも思い出しては、自己嫌悪に陥ってしまう。
でも、その分だけ…いや、それ以上に、たくさんの優しい人たちに助けられてきた。そのおかげで今、私は笑うことが出来ている。
私は、私を助けてくれた人たちには笑って生きてほしい。そう、心から思っている。
なのに……
この世界は、どうしてこんなにも不条理なのだろう。初めて、そう悟った。
真面目で優しい人ばかりが損をしなければいけない、こんな世の中は間違っている。おかしい。
けど、ただのバイトでしかない私がいくらそう思ったって、上は変わらない。
少しでも早く仕事を完璧にして、店の戦力になること。太陽みたいに優しいTさんが潰れてしまいませんようにって、願うこと。それくらいしか、できない。
ただの子どもである私が、いくら社会の不条理を嘆いたところで、この世界は何一つだって、変わることはない。
幼い私がされた仕打ち。クラスメイトを非難して笑う、彼女らの姿は、この社会の縮図だったのだと、私は深く深く思い知った。
そう。だから…
だから私は、小説を書いている。
ただの子どもである私が、闇だらけのこの世の中で出来ること。
私にこの世界は変えられない。だけど、この世界の闇に苦しめられている心の優しい人たちに、文字越しで想いを届けることは出来る。
その想いが、私の願いが、私に優しくしてくれた…私を救ってくれた人たちへの恩返しになるのなら。いつか、誰かを救うことがあるのなら。
私は決して、物語を紡ぐことを辞めない。
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