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2024年5月2日 04:39
興味深く拝読しました(色んな意味で w)。先に校正確認です。>立つ時間は丸一日にも平気で登った。 「上った」>幼い頃の猫丸は、今以上に他者への興味の薄かった。 興味「が」今はBBAって言い方になってるんですね……。平成後期だったら、「ずっと立たせている」というのも立派に体罰扱いだったはずですけれど、まあベテラン扱いされてる人だったんでしょう。職員室でも唯我独尊状態みたいな? 教頭先生とかから逆に気を遣われるような 笑。どこにでもいます、そういう人。あえて大人目線で言わせてもらうと、何歳でそういう人間とぶつかるか、という問題だと思いますので、記憶に残りにくい幼い時分にぶつかったのはラッキーと言えなくもないですね。こういう話って深入りするとキリがなくて、十代は十代の、五十代は五十代の言い分がそれぞれあって、秋葵さんに共感するにしろ、中立的に語るにしろ、際限がないので、私からは別の視点で一言。試しに、でいいですから、「なぜあの先生はそんなメンタリティになったのか。あの先生にあえて同情的に、共感できるような文章で話を作るとしたら、それはどんな小説になるか」ってことを考えてみてください。ほんとに共感しなくていいです。こっちが共感の素地を作ってやっても、結局話ができないヤな奴ってたくさんいますから。でも、たとえば十年後、どこかでその先生にばったり会って、一対一で話してみたら、案外意気投合できた、なんてことだってあり得ます。サシで話したらちゃんと話ができる人だったのに、教室の中ではああいう人だった(とします)。なぜ?っていう方向に考えて、「お、これは何本か書けるな」と儲けた気分になれれば、もうあなたは体の髄まで物書きのメンタルに染まってます w。ま、不愉快な思い出は、そうやって昇華していきましょう。
作者からの返信
貴重なご意見、ありがとうございます!深夜テンションの愚痴オンリーの殴り書き(?)を読んで頂けて嬉しいです!なんであの担任は問題にならなかったのだろうか…そこは今考えても疑問ですね。小一のクラスって割と他の先生たちの出入りも多かったですし、ちょっと記憶が朧げなんですが、なんなら他の先生が見ている場にも関わらず、普通に体罰が行なわれていたような…でも確かに、あの担任は学年主任のベテランでしたし、他の先生たちからも気を使われていたんだと思います(先生同士で話していたとき、他の先生は敬語だったのに担任はタメ口だったような…)。だから、おそらく学校公認だった可能性が高いですね。湾多さんの言う通り、本当にその担任に出会ったのが小一の頃で良かったです。幼少期はある意味最強だった猫丸のメンタルは、何故だか思春期を迎えた辺りから年々低下の一途を辿っていて、今では立派な雑魚メンタルに成り下がったので…もしあの担任に出会ったのが今だったら、秒で不登校になっていた気がしますwそのおかげなのか、私の中では笑って話せるくらいの出来事ではあるんですけど、実際当時担任が怖くて学校に行けなくなった同級生もちらほら居ました。そういう子達にとっては、決して笑い話では無かったのかもしれませんが……でも確かに、どうしてあの先生があんな指導をしていたのか、その理由は気になります。あまりに厳しい指導に泣いているクラスメイトも沢山居ましたし、そういう子達を見て、先生は何を思っていたのだろうか。心を痛めなかったのか、むしろ快感だったのか、あるいは何も感じなかったのか。そこは今でも謎です。『結局あの担任は、純粋な子供の心を利用して、日頃のストレスの憂さばらしでもしたかったのだろうな』と書きましたが、例えそうだったとしても、その担任にはその担任なりのちゃんとした考えがあっただろうし、あの体罰紛いの指導も、もしかしたら子供たちの事を思って良かれとやっていた可能性も……ある…かも…?w少し関係ないんですけど、私は自作小説の悪役キャラを作るとき、必ず決めるのが『そのキャラが悪役になってしまった理由・経緯』です。『あの音』の登場人物だと、主人公をいじめている同級生・愛梨とか。何故、愛梨はあそこまで花音を執拗に否定していたのか。今はまだ公開してないですが、その理由はしっかり設定しています(後々の展開でちゃんと載せる予定です)。やっぱり悪役としての振る舞いの裏には、悪に染まってしまったそれなりの理由が、多かれ少なかれ誰にでもあるとは思うんですよね……(なんか本文と言ってること変わっててすみませんw)
興味深く拝読しました(色んな意味で w)。
先に校正確認です。
>立つ時間は丸一日にも平気で登った。
「上った」
>幼い頃の猫丸は、今以上に他者への興味の薄かった。
興味「が」
今はBBAって言い方になってるんですね……。
平成後期だったら、「ずっと立たせている」というのも立派に体罰扱いだったはずですけれど、まあベテラン扱いされてる人だったんでしょう。職員室でも唯我独尊状態みたいな? 教頭先生とかから逆に気を遣われるような 笑。
どこにでもいます、そういう人。あえて大人目線で言わせてもらうと、何歳でそういう人間とぶつかるか、という問題だと思いますので、記憶に残りにくい幼い時分にぶつかったのはラッキーと言えなくもないですね。
こういう話って深入りするとキリがなくて、十代は十代の、五十代は五十代の言い分がそれぞれあって、秋葵さんに共感するにしろ、中立的に語るにしろ、際限がないので、私からは別の視点で一言。
試しに、でいいですから、「なぜあの先生はそんなメンタリティになったのか。あの先生にあえて同情的に、共感できるような文章で話を作るとしたら、それはどんな小説になるか」ってことを考えてみてください。
ほんとに共感しなくていいです。こっちが共感の素地を作ってやっても、結局話ができないヤな奴ってたくさんいますから。
でも、たとえば十年後、どこかでその先生にばったり会って、一対一で話してみたら、案外意気投合できた、なんてことだってあり得ます。
サシで話したらちゃんと話ができる人だったのに、教室の中ではああいう人だった(とします)。なぜ?
っていう方向に考えて、「お、これは何本か書けるな」と儲けた気分になれれば、もうあなたは体の髄まで物書きのメンタルに染まってます w。
ま、不愉快な思い出は、そうやって昇華していきましょう。
作者からの返信
貴重なご意見、ありがとうございます!深夜テンションの愚痴オンリーの殴り書き(?)を読んで頂けて嬉しいです!
なんであの担任は問題にならなかったのだろうか…そこは今考えても疑問ですね。小一のクラスって割と他の先生たちの出入りも多かったですし、ちょっと記憶が朧げなんですが、なんなら他の先生が見ている場にも関わらず、普通に体罰が行なわれていたような…
でも確かに、あの担任は学年主任のベテランでしたし、他の先生たちからも気を使われていたんだと思います(先生同士で話していたとき、他の先生は敬語だったのに担任はタメ口だったような…)。だから、おそらく学校公認だった可能性が高いですね。
湾多さんの言う通り、本当にその担任に出会ったのが小一の頃で良かったです。幼少期はある意味最強だった猫丸のメンタルは、何故だか思春期を迎えた辺りから年々低下の一途を辿っていて、今では立派な雑魚メンタルに成り下がったので…
もしあの担任に出会ったのが今だったら、秒で不登校になっていた気がしますw
そのおかげなのか、私の中では笑って話せるくらいの出来事ではあるんですけど、実際当時担任が怖くて学校に行けなくなった同級生もちらほら居ました。そういう子達にとっては、決して笑い話では無かったのかもしれませんが……
でも確かに、どうしてあの先生があんな指導をしていたのか、その理由は気になります。
あまりに厳しい指導に泣いているクラスメイトも沢山居ましたし、そういう子達を見て、先生は何を思っていたのだろうか。心を痛めなかったのか、むしろ快感だったのか、あるいは何も感じなかったのか。そこは今でも謎です。
『結局あの担任は、純粋な子供の心を利用して、日頃のストレスの憂さばらしでもしたかったのだろうな』と書きましたが、例えそうだったとしても、その担任にはその担任なりのちゃんとした考えがあっただろうし、あの体罰紛いの指導も、もしかしたら子供たちの事を思って良かれとやっていた可能性も……ある…かも…?w
少し関係ないんですけど、私は自作小説の悪役キャラを作るとき、必ず決めるのが『そのキャラが悪役になってしまった理由・経緯』です。『あの音』の登場人物だと、主人公をいじめている同級生・愛梨とか。何故、愛梨はあそこまで花音を執拗に否定していたのか。今はまだ公開してないですが、その理由はしっかり設定しています(後々の展開でちゃんと載せる予定です)。
やっぱり悪役としての振る舞いの裏には、悪に染まってしまったそれなりの理由が、多かれ少なかれ誰にでもあるとは思うんですよね……(なんか本文と言ってること変わっててすみませんw)