第3話 胸が痛い

土曜日。今日は好きなバンドの新譜が出たので、珍しくレコードショップへと行くことにした。

基本的に僕は外に出かけるというのが好きなわけではないし、

人混みなんてもっての外だが、そういうリスクを背負ってでも赴きたいくらいには、あのバンドの曲は好きなのだ。

「暑いな……」

家から一歩出れば、焼け付くような日差し。今日の気温は30度越えらしい。まだ6月だというのに、随分と元気な日差しだ。


そして僕の足は無意識に、あの路地裏へと向かっていた。

用事より少し前に、夕陽に挨拶でもしておきたかったから。

「…なんだ、いないのか」

そこに夕陽はいなかった。もしかしたら、別の場所にでも行っているのかもしれないが……なんだか、僕はひどく落胆した気分になった。

何だ、ただ軽く挨拶でもしに来ただけじゃないか。

こんな気分では、新譜を買いに行くどころではない……が、一度着替えて外に出た手前、何もしないっていうのはまた違うだろう。


気分がどうにも上手く乗らない。

通り道のバスの中でも、僕はまだずっと夕陽のことを考えていた。

もしどこかに行ってしまったのだとしたら、僕に何か一言いうべきなんじゃないのか。それとも、それは単なる僕の勘違いでしかないのか。

たった一度会えなかっただけなのに、なんだか二度と会えなくなってしまったかのような、そんな寂しさを覚える。

妙な気分だ。心臓をきゅっと何かに掴まれたかのような、そんな感覚。

痛む胸を抑えていると、目的地への到着を告げるアナウンスが聞こえた。


バスに乗っている時間は、なんだかいつもより長く感じた。

もうすっかり通り慣れた駅の周りを歩き、すぐにレコードショップへと到着する。

今はCDなんてほとんど売れない時代だなんて言われているにしては、随分と人が多く、あまりの人の多さに少しうんざりしてしまう。

休日だからといえ暇なことだと思ってしまったが、きっとレジに並ぶ他の客だって、同じことを考えているだろう。言ってしまえばブーメランだ。


「……あれ、狼谷じゃないか。こんな所でどうしたんだ」

そこに、どういうわけだか僕に向けて声をかけてきた人物がいた。僕よりはかなり年上で、髪をかなり短く刈り込み、背が高く声も大きい男だ。名前は確か……。

「えっと…佐藤先生。で合ってますよね?」

「お前の歴史の授業、1年から担当してたはずなんだけどな。そんなに俺、印象薄いか?」

「いつものスーツ姿じゃなかったから、一瞬わかりませんでした」

あまり顔に特徴がない佐藤先生は、いつも黒いスーツを着ているという印象で覚えていたもので、こうして私服だとまるでわからなくなる。


「しかし意外だな。お前がこんな所に来るなんて」

「意外ですか?先生の方こそ、趣味とかなさそうな感じですが」

「お前、結構ナチュラルに失礼だな。まあいいが……今日ってことはもしかしてあのアイドルのCDか?」

「いえ、違います。バンドなんですけど……」

先生との会話はそれなりに盛り上がった。どうやら、先生の方はひっそりアイドルが好きだという話だそうだ。

僕はそういったものには一切興味が持てなかったが、楽しそうに話す先生の様子は、学校とはまた違って見えて、少し新鮮な気分だった。


「…実はな、このアイドル、昔のクラスメイトが好きだったっていう話らしくて、今でもそのグループの曲を聴くと、懐かしい気分になる」

「先生が学生の頃のアイドルなのに、まだ活動してるんですか?」

名前は確かに聞いたことがあったが、そんなに前からいるものなのか。

「いやぁ何度かメンバーは変わって、先生の現役の頃のメンバーはもうほとんどいなくなっちゃったね。でも、それでもグループが続いてるんだ。その子の思い出のグループがね。それって凄いことじゃないか?」

なるほど、先生がこうも惹かれる理由っていうのは、そういう所にあったのか。


「ついつい昔話をしてしまったな。いやぁすまない。学校の先生がアイドル好きなんて言っちゃったら、カッコつかないだろう?」

「別にいいと思いますけどね」

「はは、お前がそう言ってくれたら先生も安心だ。んじゃ、気を付けて帰れよ」

結局一方的に昔話をされただけで終わってしまったが、なんだか先生はそれでも楽しそうだった。

そこでふと僕は、考える。夕陽は…夕陽の好きなものは、一体何なのだろうか、と。


気付けば、また例の裏路地まで辿り着いていた。もう、ここまで来ると習慣と化してしまった。

「…あ、一希くん。こんにちは」

「夕陽…いたのか。朝はいなかったのに」

「あぁ…朝も来てたんだ。だとしたら、すれ違っちゃったのかもね」

「かもしれないね。でも、会えて良かった」

会えて良かった、か。我ながら、僕らしくない台詞だ。そもそも、僕「らしい」というのがどういうものかと言われたら、夕陽とこうして会話をしている時点で、もうとっくにそれから外れているのだろうとは思うけど。


「…そうだ。夕陽は好きなもの、とかある?食べ物とか、趣味とか」

「そうだなぁ。もうほとんど覚えてないけれど、友達と一緒に行くマックとか、そういうのは楽しかった覚え、あるなぁ」

僕には遠い世界の話だな、と思ってしまった。

「マックって、ファーストフードじゃないか。そんなに美味しいものなのかな?僕は行ったことないんだけど」

「うーん。なんて言えばいいんだろ、それ自体っていうより、友達と一緒にいるっていうのが楽しい、っていうのかな?」

「そっか…僕にはよくわからないな」


「うーん……そう言う一希くんはどうなの?一希くんにもあるでしょ?」

そっけない態度を取ってしまったからなのか、夕陽は少し不満げだった。

「そうだな…僕は、音楽を聴くのが好きだな。最近だと…あれは知ってるかな?最近やったドラマの主題歌なんだけど」

夕陽は、それに対してかなり微妙なリアクションを返していた。

「うーん、わかんない…」

「かなり有名だと思ったんだけど……」

どうやらピンと来ていないらしい。音楽には、あまり興味がないのだろうか。


「でも、いつか聴いてみたいな。一希くんが好きな曲なら。もしかしたら、好きになれそうな気がする」

「そう言ってくれると嬉しいよ。今度、音楽プレイヤーを持ってこようか。今日は持ってきてないから、その時によろしく」

「…あはは、楽しみだなぁ」

そう笑う夕陽の顔からは、どこか寂しさのようなものが滲んでいる気がした。

けれど、僕にその正体を聞く勇気は、なかった。

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