第2話 初恋


家に帰った後、僕は普段通りに過ごしていた。

また好きな音楽やラジオを聴きながら、学校から出た宿題を粛々とこなす。

後回しにするのは後々面倒なことになるので、出た課題はすぐにやるというのが僕のモットーだ。

その夜、いつも聞いているラジオから流れてきた音声に、少しだけ意識を向ける。

『ラジオネーム ポニーさんから。私は今年大学生になるのですが、恋をしたことがありません。

大学生になったら、素敵な出会いが待っていたりするのでしょうか。DJナイトさんは、初恋はいつでしょうか?また、その時の思い出は覚えていますか?』

ありがちな恋の相談というやつなのだろう。

いつも聞いているこの番組では、よくラジオDJが相談者からの悩みに答えている。

勉強に集中できない時はどうしたらいい?みたいな質問には、僕も少しだけ参考になったことがあるので、何だかんだで僕もお世話になっている番組だ。


『そうだね、あんまりここで話すのも恥ずかしいんだけど、そうだなぁ。

初恋っていうのは、自分でもよく覚えてないんだよね。後から振り返ってさ、これが恋だったのか、それとも恋じゃなかったのかなんてもうわかんなくなっちゃって。

ポニーさんのことを僕は詳しく知らないから、これは僕の想像になっちゃうんだけどね。

だからもしかしたら、君は気づいてないだけでどこかで恋というものをしているかもしれないね。

ああ、でも人生は長いからね。それに君はまだ若いんだ、近い将来、運命的な何かに出会えることだってあるかもしれない。

もしかしたら、出会えないかもしれない。けどもしそうなったとしても、君は何か大切なものを見つけているはずだ。続いてのお便りは~』


番組が終わった後、やっていた宿題が終わったので、僕はラジオの電源を切った。

何故かラジオDJの声が、いつもよりも頭に響いていたような気がした。


「……や、狼谷。教科書のP81の第4問。答えろ」

次の日の授業中。僕はなんだか眠たくて、授業中の先生の話もいまいち耳に入ってこなかった。

いつも通りの時間に寝たはずなんだけれど、どうやら思ったより寝られていなかったんだろうか。

「狼谷ーーーー!」

「…っ、はい!」

突如大きな声で名前を呼ばれて、はっと立ち上がる。気づかなかった。一体何の用事だったんだろう。

「いくらなんでも無視は酷いじゃないか。先生悲しくなっちゃうぞ」

「いえ、すみません。ちょっとぼーっとしていたもので」

「まったく気を付けてくれよ?P81の第4問だ。第4問だぞ?」

クラス中からくすくすと小さなざわめきが聞こえてくる。まったく、とんだ笑いものじゃないか。

そのまま黒板の近くまで歩いてから、言われた通りに問題を解く。なんてことはない簡単な問題だったが、

クラスメイトの視線が特に集中していたような気がして、妙に解きにくかった気がした。


「起立、礼!!」

ホームルームが終わって、僕はそのまま教室をそそくさと出る。

委員会にも所属していなければ、部活にも入っていない僕に、放課後の用事というものはない。

それよりも僕の中で優先したい用事が、いつの間にか出来ていた。

そう、夕陽と会ったあの路地裏。あそこに行きたくて、仕方なくなってしまっていたのだ。

朝や昼の頃はそこまでだったけれど、今はもうあそこに走っていくくらいの気分になっている。

どうにも気持ちが宙に浮いている気がするけれど、僕の脚はもう既にあの路地裏まで向かってしまっていた。


「あ、今日も会いに来てくれたんだ!」

「…あ、ああ。たまたまだよ。

まるで太陽のように眩しい夕陽の笑顔に、僕はつい目線を逸らしそうになる。

「でも、なんだか顔赤いよ?大丈夫?」

「そんなことないよ。きっと、角度とかでそう見えたんだと思うよ」

……僕は何を言ってるんだろう。

「ふふっ、角度って……男子ってやっぱり、そういうの照れ臭いものなのかなぁ」

「別に男か女かっていうのは関係ないだろう。夕陽って、意外とそういうの気にするタイプなのか?」

「逆に今の子って、あんまり男だ女だって言われると抵抗あったりするもんなの?」

「君だって僕と同い年じゃないか。そうだな。僕は周りのことについてはよく知らないけれど、でもあんまりいい気はしないな」

「…ふーん、そうなんだ」

「僕は友達がいないからね。だから、周りの同級生のこととか、全然わからないんだ」

「一希くんみたいな子なら、いくらでもいそうだなって思うんだけど、いないの?」

随分と、夕陽もずけずけと物を聞いてくるものだ。

ただ、そう言われてもなお、それはそれであまり悪い気はしなかった。

もしかしたら、ちょっと夕陽との距離が近く感じてきているのかもしれない。


「残念ながらね。もしかしたら、ちゃんと喋った同じ歳の子、夕陽が最初かもしれない」

「あっはは。じゃあ初めてもらっちゃったかもね。私さ、友達の顔も全然覚えてないから、もしかしたら今の友達は一希くんだけかもね」

「会ってまだ2日目なのに、もう友達なのか?早くないか?」

「そう?じゃあ、私のこと友達だと思ってくれないの?」

……くっ。そんなことを言われたら、ノーなんて言えないじゃないか。

「ああわかったよ。君は立派な友達だ。そんなずるいこと言わないでくれ」

「面白い子だね、一希くん」

「すごくからかわれている気がするんだが、これは気のせいか?」

「一希くんがそう思うなら、そうなんじゃない?」

「じゃあそういうことにしておく」

気付けば、どんどんと時間が過ぎていった。このままじゃ、帰るのが遅くなってしまいそうだ。

「一希くんが良ければなんだけどさ、明日も、ここ、来てくれる?」

「…って明日は土曜じゃないか。いいけれど、君はずっとここにいるのか?」

「うん。そうだよ」

一体、どうしてだろう。そんなこと、僕には考えもつかない。

彼女が理由ありだろうというのだけは理解できるんだが、所詮僕如きに女の子の事情など、わかってたまるかと、僕はその時点で思考を止めた。


「ただいま」

家に帰って挨拶をしても、挨拶などは帰ってこない。が、今日は珍しく返事があった。

「あら、一希じゃない。最近帰りが遅いけれど、何かあったの?」

「別に、何もないよ。それよりも、母さんにしては珍しいね」

「ええ。一希が学校に行く道の近く、よく事故が起きてるって有名だって、近所で聞いてね。

あなたの帰りが遅いから、一応気を付けなさい、ってだけ」

「…ふーん、わかったよ」

それ以上は、母さんも何も返してはこなかった。母さんなりにきっと心配ではあるんだろう。

けれど、所詮は世間話だ。そんなくらいは、単なるうわさに過ぎない。


ふと、頭によぎる。

夕陽は、今どうしているのだろうか、と。

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