第43話 ドレス事件②
エントランスホールにいる人だかりが見えると、廊下に男性と女性の言い争う声が響いていた。女性の声はよく通るアネットだ。
足早に駆け寄るとそこにはルーク様とジュリア、傍らにディノとエイデン、男子生徒と言い合っているアネットとその隣にエミリアがいた。そのほかにも下校途中の学年の違う貴族生徒も何人かいる。
そして私たちの向かい側には、平民棟の生徒がざっと見てもこちらの倍の人数が集まっていた。
「だから証拠を見せなさいと言っているの! テラスの時もそう、証拠もなしに好き勝手に他人を貶めて恥を知りなさい!」
アネットが高圧的な姿勢で向かいの平民生徒の言葉をねじ伏せていた。相手はテラスで起きた事件の時に、散々な事を言ってくれた平民生徒だ。会話の様子から、どうやら予想通りの展開になっているらしい。
私は生徒の横をすり抜け、何が起きているのかこの目で確かめた。
そこには聞いていた通り、床にはドレスの形を失ったものが無造作に落ちている。
紺色のドレスが縦に幾線にも切り裂かれ、背中や胸部分は大きく割れて、スカート部分はザクザクと切られて短冊のように広がっていた。
教科書がバラバラにされた時も大きな衝撃を受けたけれど、今回は身に纏う物なだけにより恐怖を感じて背筋が寒くなる。
「ライラを犯人と言わないで。私は彼女にそんなことをされていない!」
ジュリアも平民生徒達に訴えていた。しかし彼らの中では、私の仕業ということで決定しているらしい。
「可哀想に、彼女に怯えなくてもきっとルーク様は貴女を護ってくださいます」
「お願いだから、私の話を聞いて」そう話すジュリアの肩を、側にいたルーク様が、強く引き寄せた。
「えっ……」
突然のことに目を丸くするジュリア。
「ルーク様……」
それを目の当たりにした私は、無意識に彼の名を呼んでいた。それに呼応するように一瞬だけ目が合ったけれど、それはすぐに逸らされ、視線は隣のジュリアへ向けられた。
「ジュリア、ここを離れよう。君をこの場に置いておけない」
「でも、ルーク様」
ジュリアの背中に手を当て、その場を立ち去ろうと促す彼に平民と貴族生徒双方から声が掛かる。
「ルーク様、どうかジュリア嬢をお守りください!」
「ライラをこの場に残して行かれるのですか!」
しかし彼はそれらの声に応えず歩き出した。背中を促されたジュリアは、抵抗して足を止める。
「ルーク様、私はまだ行けません。先生にも説明しなければなりませんし、彼らに少しでも誤解を解いてもらわないとライラが」
「……クラスメイトがいるから大丈夫だろう」
「でも」
「お願いだ」
最後には小さく絞り出すようにルーク様はそう訴えた。その切実な様相に気圧されたのか、ジュリアは黙り彼に従ってこの場を後にした。
私はそんなルーク様を眺めて、胸が切なく締め付けられた。
それは私を放って行くことでも、ジュリアを連れて行ったことでもない。そう言って去っていく彼の姿が危うく見えて。
昔から私はその表情に弱かった。
メインルートが確定したときから、徐々に苦悩していく彼の姿。思い詰めていく彼を感じ取っていくほど胸が苦しくなって、この人を守らなければと思っていた。
昔も今も、私のその想いは変わらない。
……でも今の私は、何も言えずに黙って見送ることしか出来なくて。
「皆どきなさい。前を開けて」
中年男性の大きな声がすると、数人の教職員がやってきた。その中にはマルクス先生もいる。
「この中で最初に発見した者は? 該当者は残って後の生徒は帰りなさい」
平民棟の教師なのだろうか、その中年男性は平民生徒にそう指示を出し野次馬たちを散らす。マルクス先生も同様に私達の方に向き合い、自分の生徒以外は早く帰宅するよう促した。
平民生徒側で居残ったのは、よく喋る生徒あと二人。その二人も見覚えがあったから、きっと前回のテラスの時にもいたのだろう。
「だから、僕たちは以前から先生に伝えていたじゃないですか、あの聖女候補生に注意しろと。なぜまたこのようなことが起きるのですか!」
待ちきれないとばかりに食ってかかるように、例の生徒が中年の教師を問い詰めた。
前回も思ったけれど、この生徒は一体どういう立場でリーダー的な立ち振る舞いをしているのかよくわからない。
「先生だって知らないわけではないでしょう、彼女の醜態は多くの人に知られている。それを把握していながら何も行動を起こさないのは学園の怠慢です」
「お、落ち着きなさい。それらを決定付ける証拠がなければこちらも動けないのはわかるだろう。ただ、それらの話は祭司様にも報告してあるから」
相変わらず見てきたかのように語るなぁ、と少し引いて私が眺めていると、アネットがすぐに反応した。
「マルクス先生! ライラがあんな言われ方をしてますけれどよろしいんですか!? 先程までここにいた、当のジュリアが散々違うと否定しているのに、この方たち全く聞く耳もたず、話が通じなくて腹が立って仕方がありませんの!」
アネットが顔を赤くしてそう訴える。そして続くようにマリーも一歩前に出て訴えた。
「私はいつもライラと一緒にいるのに、彼らの話では私のことが触れられていません。その点も不自然ですし、もし彼女がこれらの件を問われる事があるなら私が証言致します」
続くように、私に知らせに来てくれた友達も、一緒についてきてくれたクラスメイトも同様に声を上げる。
少し目頭が熱くなった。このクラスで皆と友達でいられて本当に良かった。
それにしても……彼らの主張する『ライラ醜悪論』はどこから生まれたのだろうか。
火のないところに、わざわざ火をくべている者がいるはずだ。それがジュリアに嫌がらせをしている犯人であり、エイデンが言う盗聴している者と考えていいのだろうか。
「……とにかく君たちの中に、ドレスをここに置いた人物を見たものはいないんだね?」
発見した状況と時間を確認した後に、マルクス先生がそう念を押す。さっきまで勢いづいていた平民生徒もそこで一度黙った。
「では後のことはこちらがやるから君たちは帰りなさい。今回のことは前回の件も踏まえ、学園でも大きな問題と捉えるでしょう。詳しい話は明日、先生方に説明してもらうのでそれを待つように」
そのように先生が話をまとめていると、リーダー気質の平民生徒が中年教師をせっついた。
「前回もそれでうやむやにされています。今回のこのドレスのことだって動機は明らかだ。
貴族生徒で行われる舞踏会で、ルーク様のお相手を取られた腹いせでしょう。それなのに都合の悪いことはもみ消されるのです。これは聖女候補生という、国の未来にも関わる重大な事件であると認識してください!」
間に挟まれているであろう中年教師がマルクス先生を見る。そして私はマルクス先生の言葉を待たずして言った。
「先生、私もこれだけ言われて、このまま帰ることなど出来ません。しっかりと話をさせていただきたく存じます」
私は学園に残り聴取を受けることを希望する。先生は心配そうな顔をしていたけれど、私の意思が固いことを理解したのか、一緒に二階まで来るように言われた。
その場に残るクラスメイト達に「また明日報告するわね」となるべく明るい表情で伝え、先生に促されて付いていく。
後ろから、平民生徒の声が迫った。
「ジュリア嬢は私達平民の希望の星です。精霊に祝福された力ある人間を、己の地位に溺れ潰そうとする令嬢が聖女候補生として相応しいのでしょうか。
学園にも先生方にも一度立ち止まって考えて頂きたい。出過ぎた発言と思われるかもしれませんが、この王国を愛するゆえの言葉だとご理解ください」
私は冷ややかに彼を見つめ、すぐに先生たちの後を追いその場を立ち去った。
おそらく私やジュリア、そしてクラスメイトが何を主張したところで状況は変わらないだろう。
やはり私が悪者になるように仕向けられている。あの平民生徒は舞踏会のダンスペアのことを知っていた。
舞踏会は貴族生徒だけの催しで、平民生徒はその前日に年末パーティが開かれる。本来ならば無関係な平民生徒が知るような話じゃないのに、その情報が流れていること自体がそもそもおかしい。
しかしこれが誰かの策略であるにしろ、運命の流れはジュリアがメインシナリオに突入していると考えておいたほうがいいのかもしれない。
それも私達の意思とは関係なく進んでいると。
それはつまり、私が悪役令嬢となって、ジュリアがルーク様ルートに入るということ。実際の行動など関係なく、その流れが出来上がっているらしい。
こうなることを、あの教科書事件のあたりからなんとなく予想はしていた。
だからある程度の覚悟は決めていた。
私は、この運命を受け入れようと思っている。
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