第42話 ドレス事件①


 ダンスペアの発表があってから三日後、再び社交ダンスの授業の日がやってきた。

 今日から舞踏会で発表するダンスの練習が始まる。とはいっても殆どの生徒が知っている曲なので、ペアとの呼吸合わせに焦点をあてた練習だ。


 あれから少しの間クラス内にぎこちなさがあったけれど、皆あえて気にしないように振る舞ってくれていた気がする。

 ジュリアだけはどうしても元気がない様子だったけれど、今までと同じように誰かしらが声を掛けているうちに、次第に笑顔を見せてくれるようになった。


 良かった、私のせいでクラスの空気が悪くなってしまうことは本望じゃない。その為には、私自身がうじうじしていては駄目。


 そんな風に自分の動揺や混乱を一つ一つ鎮め、落ち着きを取り戻していたところだったのに。

 




「私のドレスが無い……」


 ダンスの授業が始まる前、更衣室でジュリアが呟いたところからそれは始まった。

 部屋の中に緊張が走る。皆、少し前に起きたジュリアの教科書の件を思い出したのだろう。


「本当に? ねぇ、皆も自分のドレスが間違っていないか確認してみて」


 ジュリアの隣にいたクラスメイトがそう声を掛けた。

 ダンスの実技授業は専用のドレスに着替えることになっている。学園の規定で紺色に統一されたドレスだけれど、各家が用意するものなのでデザインはそれぞれ違っていた。

 一人ひとり確認した結果、やはりジュリアの一着だけが無くなっている。


 すぐにダンスの先生に報告し、念のため一年生と三年生のワードローブも確認させてもらった。しかしそこにもやはり見当たらなかった。




「ねぇ、このダンスの授業が終わったらすぐに中庭のテラスに行ってみない?」


 先生が課題曲の見本を披露しながら説明をしているところで、アネットが私にそう耳打ちしてきた。

 ジュリアは今、予備のドレスを学園から借りるために席を外している。


「そうね、いい案だわ。もし教科書事件と同じ犯人の仕業だとしたら、すでに行動を起こしている可能性があるものね」


 そんなことをヒソヒソ話していると、隣にいたマリーがこっそり顔を寄せて会話に入ってきた。


「ねぇ待って、何かあった場合にライラがその場にいるのは危なくないかしら」

「だからこそよ。誰よりも早く行って、何かあったら私達が先生に通報するの。それなら疑われることはないでしょう?」


 アネットは自信ありげにそう話す。

 うーん、むしろ第一発見者が疑われるパターンを昔よく聞いた気がするけれど……。でもこの目で確認したい気持ちが強かったので頷いた。


「そうね。前回犯人と疑われたからこそ気になるわ。でもジュリアは連れて行かない方がいいかもしれないわね。仮にあの時と同じようなことが起きていたなら、気分が悪くなるでしょうし」


 そんな話をコソコソしていると、先生の鋭い声が飛んできた。


「ライラさんとアネットさん、静かになさい。しっかり説明を聞くように」


 注意されて、びくりと姿勢を正した。




 授業が終わって、お昼の鐘の音が鳴ると同時に私とアネットはテラスへと急いだ。

 マリーとエミリアにはジュリアと一緒に教室に戻ってもらい、何か異変はないか確認してもらう。その間に誰よりも早く現場へと向かう。



 扉を開けてテラスに出ると、敷き詰められた白い石タイルの上は土埃一つなく綺麗に掃除がされている。

 そのまま中庭を歩き回って全体を見渡しても、ドレスのようなものが落ちていることはなかった。


「何もないわね……。前回は派手にやりすぎたと反省したのかしら。そのおかげで平民の目に留まってしまって、ライラが疑われてしまったわけだし」


 アネットは、あの時の私はただとばっちりにあっただけだと思っているらしい。たしかに実害にあっているのは彼女なのだから、ターゲットはジュリアだと思うことは当然だ。

 でも私には、これは自分に仕向けられたもののように感じていた。

 なぜか平民棟で悪役令嬢の如く広まっている私の悪評。そしてジュリアへの悪質な嫌がらせ。もっと言えば舞踏会のダンスペア自体が違和感でしかない。


 これは抗えない運命のせいなのか、それとも何かの策略なのか。

 盗聴を使い、学園内を探っている人間がいることが確かだと考えると、これが単なるジュリアへの嫌がらせだと簡単に思えなかった。


 これらの違和感の原因は王妃……と考えていいのだろうか。ゲームの展開と結末を知っている私には、答えはそれしか浮かばない。

 



 結局その日はドレスが見つからないまま授業を終えることになった。

 最後にマルクス先生から、ドレスはまだ見つかっていないという報告と、身辺に気をつけるよう注意されて一日の学園生活が終わった。


 パラパラとクラスメイトが帰り支度を始めるなか、ルーク様は早々と席を立ち教室を出て行こうとされた。

 そういえば今日ジュリアは光の精霊殿巡拝の日だ。早く帰って参列の準備をされるのだろう。


「俺も帰るか。じゃまた明日な」


 ディノもルーク様の後に続いて立ち上がった。


「ちょ、待って。俺も」

 エイデンも慌てて机を片付けて後を追う。

「じゃ、お先」


 そう言って去る間際、エイデンが私に目配せをすると両手の人差し指をクロスさせて口の前でバッテンを作った。


 ん?と思って見つめ返したけれど、彼はそのまま教室から出ていってしまった。

 今のジェスチャーは、喋りに注意しろということなのだろうか。もしかして今、盗聴されているサイン?


 そこまで考えて、あっと気付いた。そうだ、さっき私達は『テラスに一番乗りで行く』ことを話していた。それを聞かれた可能性がある。だからテラスに置かなかったのか?



「ねぇライラ、今のエイデンは何?」


 事情を知らないマリーが私に尋ねてきた。確かに端から見たら意味深に思うわよね。


「さ、さぁ何かしら……ところでマリーは真っ直ぐ帰宅?」

「ええ、精霊殿参りは明後日が予定。ライラは?」

「私は明日に予定を組んでるし、今日は真っ直ぐに帰るつもり。それにドレスの件が片付くまでなんだか落ち着かないし」


 何とか話を逸らしながら、そのまま雑談タイムに入っていく。話が取りとめなく転がっていくのは女子会話のあるあるだ。

 そんな感じでのんびりと帰り支度をしていると、一人のクラスメイトが慌てたように教室に入ってきた。



「ライラ! まだいる?」


 友達の女子生徒が必死な形相で私を呼んだ。

 教室に残っていた生徒は皆びっくりしたように彼女に目を向ける。


「は、はい。どうしたの?」


 彼女は慌てつつも上品さを失わずにツカツカと歩み寄る。


「驚かないで聞いて。ジュリアのドレスがエントランスで見つかったの。それで今大騒ぎになって」


 余程慌ててたのか、時々息を切らしながらそう話した。


「それでドレスが……ひどく大きく引き裂かれて、もう元の形をしていなくて……」


 その言葉に私は強いショックをうけた。それを目にしたであろう彼女も大きな衝撃を受けたようで、目に涙を浮かべている。


「知らせに来てくれてありがとう。私も行ってみる」


「いえ、違うの。ライラはまだ帰らない方がいいって止めに来たのよ。下校時間で平民生徒も多くいたから、またライラが傷つくことになるかもしれないって」


 私を気遣ってくれる気持ちは嬉しい。けれど、私はジュリアの心配もしてしまう。



「ねえ、ジュリアはその場にいなかった?」

「今日は光の精霊殿に行くと話していたから、事務へ馬車の手配に行ったみたい。私が見たときはいなかったわ」


 私は溜息をついて少しの間黙った。彼女の言う通り私はここに残っていた方がいいのかもしれない。でももしこれが王妃の策略だとしたら、私はこの目で何が起きているか確かめなければならない。隠れて逃げていたら“シナリオ”を動かせないのだ。


「心配してくれてありがとう。犯人がわからない今、疑いはまた私に向けられるかもしれないわね。でも私はやましいことをしていないもの、隠れているよりも正々堂々としていたい。それに……」


 私は知らせに来てくれた友達とマリーを見た。


「クラスの皆は私を十分に知ってくれているから、他の生徒に何を言われようと何とも思わないの」

 私はそう言った。


 私たちのやり取りを遠巻きに見守ってくれていたクラスメイトたちも、私が行くなら付いていくと言って、結局全員でエントランスに向かうことになった。



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