コーヒーカップも並びたい

『お疲れ様です。閉店後、お時間ありますか?』


どこかの地方局のマスコットがグッドサインをしているスタンプが返って来た。

不思議なチョイスだ。


『ありがとうございます。それではまた閉店後に』


-----------------------------------------------------------------------------


午前のシフトがもうすぐ終わる。もうすぐで休憩。南君はこの時間で上がり。


「南くん、そろそろシフト終わるね。お疲れ様。初のバイトはどう?」


南君は高校ではバイトが禁止されていたらしく人生で初めて労働らしい。大丈夫かなと心配する僕の気持ちは杞憂に終わった。むしろ人当たりも良いし物覚えも良い、そして一階から二階、二階から一階をホールを縦横無尽に駆け回れる健康な体を持っているだけでも貴重な人材なのだ。なにせここには僕を含め喫煙者しかいないのでひとたび階段を上るだけでゼーハーと息が切れて仕事にならない。


「ここで働いている人もお客さんもみんな感じが良くて正直安心しました!」


「大丈夫、ここで働いている人は個性が強いけど悪い人はいないから」

そう、個性が強いだけで悪い人はいない。


「おはよ~」

午後からのシフトに入る。大滝さんがやってきた。


「おはようございます大滝さ」


「初めまして!今日からここで働くことになった南です!よろしくお願いします!」


恐ろしく素早く元気。ほんの数年しか年が違わないのに自分の数倍元気だと南君の若さを褒めたたえるべきか自分の活力のなさを悲観すべきかわからなくなる。


「すごい元気だね、自衛官みたい」

なんだその例えは。大滝さんは僕の何歳か年上の女性で大学を出たあとはフリーターをしているらしい。が実のところこの人について知っていることは少ない。不思議な人だ。


「大滝さん、自衛官の知り合いでもいるんですか」


「うん、脱柵してきた人でね」


たしか自衛隊では脱走したということを脱柵呼ぶらしい・・・

そんなことを思う僕を尻目に彼女は淡々と仕事を始める。


「南君、元気だね。私は朝から友達の手伝いをしてきてもう帰りたいくらいだよ」

これは大滝さんの謎を探るチャンスだ。

「なんの手伝いですか?」

「美術館の催し事。あんまり詳しいことは言っちゃダメらしいから濁すけどいろいろな物集めてるの。」


よくわからないがさらっとすごいことに手を貸してるらしい。謎は明かされるよりもさらに深まった。


当の大滝さんは滅多にないケーキのお持ち帰りを希望するお客さんの対応をしながらコーヒーを淹れる作業に無駄がない。仕事ができるからこそそういった特別なことの手伝いを任されるんだろうと思った。南君は南君で常連のお客さんに気に入られて話している。


そんなことをぼんやりと眺めていると休憩の時間なった。

大滝さんに一言入れて休憩室に向かう。向かおうとした。だけどもなにか違和感がある。


コーヒーカップがない。一つだけ。


「あの、和テイストのカップ知りませんか」


「ん~見てないね」


木島屋珈琲の壁には板を直角に取り付けたコーヒーカップの置き場がある。それぞれ柄の異なるもので無くなったコーヒーカップとソーサーはこの店に置いてある唯一の和風のもので記憶に残っている。そうだ、確かに無くなっている。


-----------------------------------------------------------------------------------


「不思議ですね~」

賄いのナポリタンを食べながら南君がそういう。

「今日は食器類は割れてないしお客さんが盗むとかも物理的に無理だね。手は届かないしカウンターに入ってくるような人もいない」

店長に確認してもどうやらなにも知らないらしい。

つまり、これは

「つまり、カップに足が生えてどこか消えていった・・・」

真面目な顔でそんな冗談を言える人だったのか南君。


-----------------------------------------------------------------------------------


賄いを食べ終わると南君はまた元気な挨拶をして帰っていった。

そしていくら考えてもカップの行方がわからない。ずっと喉の奥に小骨が刺さっているような、手を流すときにハンドソープの洗い残しがあるような、靴の中に小石が・・・と考えだしたらキリがないが兎にも角にもどうしても引っかかる。


カップのなくなった


「とまあ、どう思いますか大滝さん」

う~んと大滝さんが嘘くさいうめき声をあげる。


「飲食店でものが消えるなんて日常だよ。まあ、あるとしたら南君かな」


「どうしてそう思うんですか」


「もし、動機がカップの破損だとしたら彼しかいないと思っただけだよ」


「でも今日、なにも割れた音なんてしてないですよ」


「コーヒーカップは別に派手に割れる以外にも他のパターンもあるでしょ」


「持ち手ですか」


「そう、持ち手なら落としさえしなければ大した音もせずに割れる」


「じゃあ、カップはどこにあるんですか」


「さあ、隠したのか持って帰ったのか、それは彼しか知らないんじゃないかな」


「彼、初めてのアルバイトなんだっけ。こんな高そうなカップを割ったっていうので責任だったり罰金を怖がってした隠ぺい工作をしちゃったのかな。まあ、あそこにあるのはほとんど高いものはないから大丈夫だし物損で罰金を取ればむしろお店が法令違反をすることになる。私の方から彼に聞いてみるよ。きっと不安で夜も眠れなくなってるだろうから」


「そうですか・・・わかりました・・・」


そこで一つ、考えが浮かんでくる。確かめよう。



--------------------------------------------------------------------------------------------


今日は朝からのシフトだったので閉店の三時間前には店長が上がらせてくれたので閉店まで近くの公園で待つことにした。


「急に呼び出して申し訳ないです。」


私服姿の大滝さんは制服とは大きく印象が変わる。服にはその人の個性が現れるとよく言ったものでそれが彼女が美人なのを際立たせる。


「いいよ、それで要件ってなに?告白?」

この人はこういうことをさらっという、心臓に悪い。


「違います。今日のカップのことでちょっと。」

一息吸って続ける


「大滝さんは南君が犯人だと言いましたよね。でもそれじゃ辻褄が合わないんです。」

大滝さんはじっとこちらを見つめてくる。


「少なくとも南君には犯行ができないからです。彼は今日ずっと一階と二階を駆け巡りほとんどホールにいました。二階のカウンターには少なくとも僕がいるときには入ってきていません。ずっと階段を上り下りしていた彼にコーヒーカップを触る隙も隠したり持ち去る余裕も場所もなかったはずです。それに、もし南君がお皿を割って焦って隠ぺいした犯人だったら最後まであんなに元気な様子なのがどうも引っかかるんですよ。夜も眠れないくらいに不安になるはずのことをしたならもっと余裕のない様子になるはずです」


推理に主観を混ぜるとは客観的な考えを損なうとして危険視されるそれでも思う。南君は良い子だ。もし彼が割ったとしてわざわざそんなことをするとは思えない。


さて、本題はここから。


「・・・今から話すことはあくまで推理の域をでない僕の想像になるのですがカップを盗んだのは大滝さんですよね」


空気が少し重くなったような気がする。大滝さんは喋らない。


「手口は簡単です。僕と南君が話してるあのときにお持ちかりケーキの箱の中に仕込んだ。おそらくあのお客さんもグルです。」


「どうしてそう思うの?」


「大滝さん、美術館のお手伝いで集めているって言いましたよね。学芸員や富豪でもない大滝さんが集められるもの。あるとしたら‘贋作‘です。気になって無くなったコーヒーカップを検索してみたんですがあれと似ているものが都内の美術館で展示されていました。大滝さんが手伝っているその催し事には贋作が必要だったんじゃないんですか?そこで多くのコーヒーカップのある木島屋珈琲に白羽の矢が立ち、この店で働いている大滝さんに依頼が来た。入手経路や出どころが不明なものが多いこの店に贋作が紛れ込んでてもおかしくはないです。」


「どうですかね・・」


「概ね正解」


マジか。当たった。


「美術館の展示会で真作と贋作を並べる企画があってね。贋作を探していたらどうやらあれ、少し昔に活躍していた陶器作家の偽物ってことがわかったの。それでちょうどうちの店にあったから学芸員の人に協力して貰って運び出したんだ」


「どうしてそんなまどろっこしい手を使ったんですか?他にもやりようはあった気が・・・」


「展示までの時間がなかったのとその展示会はなるべく直前までは情報を伏せておくように言われててね。店長には拝借することは伝えていたけど他の子には知られないようにしなきゃいけないと思ったの。そしたら君に気が付かれちゃった。知らないと言えば済んだんだけどちょっと君で遊んでみたくなってね。試した。辻褄の合わないこじつけの犯人を提示したら君はその違和感に気が付いてくれるのかなって」


「なるほど・・・」

僕はこの人の上で踊っていたのか。


「そう気を落とさないで。期待通りだよ。はい、これ」


期待通り。褒められたのか。目の前にひらっと出した紙を左右に振ってくる。僕のことをイヌやネコだと思っているのか。


「なんですかこれ」 


「チケット、その企画の前売り。そのカップも真作と一緒に並ぶはずだから見においで」


「ありがとうございます・・・」


呆気に取られる僕を見て大滝さんが言う。


「それじゃあ、次の日曜。気を付けて帰るんだよ」


「あ、はい。大滝さんもお気をつけて」


あの人が一番、分からないな。夜の新宿に消えていく彼女を見てそう思った。














  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

喫茶店にはおもてなしとミステリーを 百乃若 @husenobunsy0

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る