第16話 向日葵、もっと絶対しないことをする

 古民家にたどり着いた時には、すでに日付は変わっていた。


 橘平は玄関を跨いだ途端、心身の疲れが一気に吹き出した。体を支えられない。このまま倒れてしまいたかった。


 しかし、ここでばったりして迷惑をかけるわけにはいかない。必死に気力を振り絞り、ソファに辿り着いた。


 3人も疲労困憊のはずだが、葵は風呂の準備に、向日葵はお茶を淹れに、桜は皆の上着を回収して埃を払っている。一番年下の橘平だけ何もせずに、どっかり座っている。部活ならば先輩たちから叱責もの。明日からいじめだ。


「さ、桜さん、俺何かやること」


「え?じゃあこれをハンガーにかけて」


「うん」


 ほどなくして葵がスウェットを手に戻り、向日葵がお茶を持って居間にやってきた。


 そしてほうじ茶を飲んでまったりしているうちに風呂が沸く。まず桜と向日葵、そして葵、最後に「自分年下なんで」と橘平が入ることになった。


「葵とはいれば?時短」


「ふええ?い、いや出会ったばかりの二枚目とはちょっと…」


「…男二人も入れるわけないだろ、あの風呂」


 桜、向日葵とは打ち解けてきた橘平。だが最後の一人とは、まだ緊張する関係にある。そんな彼と至近距離になる家庭用の湯舟というのは、遠慮したかった。


 古民家の風呂はなるほど、葵の言うとおり、男子二人には狭かった。桜と向日葵なら、親子サイズということで入れそうだ。


 ゆっくりと、温かい湯船に浸かる。気持ちが緩み、体も少し楽になった。


「はあ…ほっとするって、こういう事かあ…」と、一つ知ったのであった。


 今日一日の体と疲労という汚れを落とし、橘平は風呂を出た。


 桜と向日葵はしっかりお泊りセットを持ってきていたけれど、橘平が持ってきているはずもない。バケモノを倒して葵の家にお泊まりだなんて、家を出たときには露ほども考えていなかったのだから。


 そういういわけで、寝間着として葵の黒いスウェットの上下を貸してもらった。


 スウェットを手にすると、知らない匂いがした。


 早速、上の方に袖を通すと、手のひらが隠れてしまった。


「わーい、やっぱり大きい…はは…」


 ズボンも履く。


 裾が床に付いてしまった。




◇◇◇◇◇




 橘平がほかほかした体で居間に戻ると、3人は神経衰弱に興じていた。


「なぜトランプ」


 疲れ目にはチカチカする、派手なレインボーパジャマの向日葵が答える。


「きっちゃんが来るまで眠らないように、眠気覚ましにね!あ、ちょっとおいで」


 向日葵は少年を手招きする。そして手のひらが半分隠れているスウェットの袖を掴み、「やっぱちょい大きいね~」とまくった。「でもー、きーちゃんオーバーサイズなのかわいい~」


「うう。もう身長伸びないよなあ。親もそんなに大きくないし」


「高校生だからまだまだいけるっしょ。あら、ズボンもだ。はい座って~」


 言われるままに橘平はカーペットの上に座った。家では長男、弟や親戚の子供の面倒ばかり任されてきたので、弟扱いをされるのがちょっと嬉しかったりする。向日葵は橘平のズボンの裾もまくってあげた。


「ってかさ、そんなに大きくなんないでよ。いつまでも私の弟分でいてほしい~」


「えー!せめて向日葵さんくらい身長ほしいっす。葵さんとは言わないから」


「別に、背が高いからっていいことないぞ」とモスグリーンのスウェットを着た葵。


「それは高身長の人だからいえることだよね」


 淡い桃色のシンプルな綿パジャマでトランプを置く桜がつっこんだ。




◇◇◇◇◇




 橘平が風呂から出てきたということで神経衰弱はお開きにし、4人は葵が普段寝起きしている部屋へ向かった。


 葵の部屋は「何もない」という形容がぴったりなほど簡素だった。


 部屋の奥には桜が言っていた日本刀。その他には古めかしい大きめの鏡台があり、和柄の布が鏡の部分にかけられている。それだけだった。


 押入れには、下に洋服ケース、上に布団が三組入っていた。布団の内訳は元々あったものが2組、葵が実家から持ってきたものが1組だという。


 みなで布団を敷き始める。そこで橘平は疑問を持った。


 布団三組で4人寝るのか、と。


 桜と橘平のような小柄4人というならば十分そうだ。だが向日葵も葵も細身とはいえ、あれだけの戦闘ができる体を持つ人間。特に葵は意外とがっしりしている。加えて2人とも背が高い。


 女性二人に一組ずつで残りの一組を橘平と葵。


 それかお風呂の時のように女性二人で一つ、男子陣が一組ずつ。


 もしくは三組つなげてぎゅっとして眠るのか。


 葵とは一つの布団で眠るほどの仲ではない。女子二人に1つの布団で眠れというのも気が引ける。ならばまだ三組つなげて、のほうがいろいろと気まずくなさそうだ。橘平がそう考えながら敷かれた布団を眺めていると。


「狭くてすまんが、ここで寝てくれ」


 葵は薄手の掛け布団を手に、部屋を出ていこうとした。


「え、葵さんは?」


「居間で寝るよ」


「え!?いや、俺があっち行きますよ!一番邪魔者、っつーか、本当はいないはずの人間なんで!」


「客を居間で寝かせるわけにいかないだろう」


「もしやソファに寝るんすか?あんな小さなソファ、葵さんじゃはみ出しますって。俺の方が小さいから」


「そ、それを言ったら私の方がもっと小さい!私があっちで」


「ここに住んでるのは俺だ。高校生はここで寝ろ!」


 日本刀のように高校生二人の言い分をばっさり切り、葵は部屋を出ていった。


「まあ、お言葉に甘えて、私らはここでゆーっくり休もっか」


 部屋内で唯一の大人が、高校生たちを寝床に誘う。


「私真ん中!こっちがさくちゃん、こっちがきーちゃんね!」


 向日葵は布団をばんばん叩き、二人に寝なさいと促す。


 本当に葵が居間でいいのだろうか。二人が躊躇していると向日葵がぐいっと二人の腕をひっぱり、無理矢理布団の上に座らせた。


 向日葵はにこにこした顔で桜の手を握る。


「わー、さっちゃんと寝るなんていつぶりかなあ~わくわくしちゃう!」


 つられて桜も笑顔になった。昔を思い出しながら布団に入り「子供の頃さ、夏休みにひま姉さんとよくお昼寝したよね。私、あの時間大好きだったの」


「私も私も!ねー、きっぺーちゃんも、そーいう思い…」


 すでに橘平は夢の世界へと旅立っていた。座らせた時には限界だったのか、掛布団の上でくの字になっている。


「さっちゃん、きっぺー…こっちも寝たわ」


 すーっと寝息をたて、安心そうに眠る桜。妹のような、守るべき子供のような。向日葵にとってそんな存在の女の子の髪を、いとおしそうに撫でる。


 橘平を布団にいれてあげた向日葵は、そっと寝室を出た。


 向日葵が居間を覗くと、潔く3人に寝床を譲った青年が薄い布団をかけ、カーペットの上で横になっていた。


 椅子とテーブルを部屋の端に寄せて、寝る場所を確保したようだ。こちらも熟睡だ。


 向日葵はしゃがんで、彼の寝顔を眺めた。


「…風邪ひかないでね」


 そっと冷たい頬に触れた。


 葵に触れる。


 これこそ、今までの彼女なら絶対にしない行動だった。

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