第7話 小規模大地震2

「まずあの夜のことです。あの森は南からしか入れないようになっています。森に入るために私はあの場におりました」

「え、そうなの?森なんてどこからでも入れるんじゃないの?」

「どこからでも…入ったことはありますか?」

「どこからでもは……ないっす」

「そうですね。あの森には入らないよう、村人の思考はできていますから」


 村人の思考。

 いまいち理解できなかったが、橘平はまず話を聞こうと姿勢を正した。


「森に向かうところ、入るところを誰にも見られたくないために、用心して夜を選びました。雪が降ると知り、より人と遭遇しない天候は幸運だと思いました。が、まさか八神さんと出会うとは…」

「まあ、そうですよね…」

「私の目的はお分かりかと思いますが、あの小さな神社を破壊することでした。満開の桜の木の下には…なんといえばよいのでしょう…」


 どう言おうか悩む桜を次いで、葵が説明を始めた。


「まあ簡単に言えば、この村には大昔に封印された悪神が眠っている。俺たちは封印を解いて、悪神、『なゐ』っていうんだけど、ソイツそのものを消滅させようとしているんだ。あの小さな神社を破壊すれば、封印が解けると聞いて」


 橘平はますます意味が分からなくなってきたが、わかる範囲で解決していこうと質問した。


「ええと、あの鬼みたいな怪物がその『なゐ』じゃないんですか?」


 この問いには桜が答えた。


「違います。『なゐ』は人の姿をしております。おそらく、あの怪物は封印を守る門番のようなものだと思われます」

「えーと、じゃあ、あれを倒さないと封印が解けないってことだよな?どうやって倒すの?あんなでっかいの」

「…それに関しては、葵兄さん、ひま姉さんのお力を借りようと思っています」


 いままで大人しくしていた向日葵が、沈黙の分を取り戻すような大声で割って入ってきた。


「ってかさー!!やっぱり一人じゃ無理だったのよ!『なゐ』は弱体化してるから一人で大丈夫ってさあ。さっちゅんは強くて賢いからそのときゃ信頼しちゃったけど、もう一人にはさせないかんね」

「桜さん、次は一緒に行くから。絶対」

「…ありがとうございます」


 三人の結束は深まったようだったが、橘平は話を聞く前よりも疎外感を持った。聞けば聞くほど訳が分からない。封印とか悪神とか、漫画かアニメの話でもしているのか?といぶかしむが、バケモノを見てしまったこと、冬の桜を見てしまったことは事実である。

 おそらく、三人の話も嘘ではないだろう。にしても現実離れしすぎていて、簡単には受け入れがたかった。


「あの、悪神ってことは悪い奴なんですよね?消滅させると何かいいことあるんですか?」


 和気あいあいとしていた三人が、すっ、とその空気をひっこめた。桜は橘平のほうを向き、こう尋ねた。


「八神さんは、高校をご卒業されたら進学ですか、就職ですか?」

「へ?あー、就職のつもりだけど」

「ご希望はありますか」

「警察とか」

「ああ、たしかこの村の警察官さんがあと数年で退職ですね。この村生まれの方なんですよ。ほかにございますか?」

「は?ほかに?えーと…県庁」

「そういえば、この村には県庁から派遣されている方がいますが、なぜか長年居座っておりますよね。その方はこの村のご出身で、確かそろそろ退職なのです。外へ行きたい、という希望はないのでしょうか?」

「そと?」

「はい。例えば東京に住んでみたいとか、海外で働いてみたいとか」

「だからケーサツとかケンチョーとか」

「そこに就職されたら、間違いなくこの村に配属されます」

「…は?」

「ほかも同様ですよ。この村に縁もゆかりもない民間企業でも、外資系でも、国内海外どこに行っても、なぜか、どういうわけか、この村に、もしくは村の近くでしか働けない。何を考えようと村に縛られる。村の引力からは逃れられない」

「…」


 眼鏡の奥の、真っ黒な瞳が力強く橘平を見つめる。この間もこんな瞳をしていた、と橘平は思い出す。桜はさらに続けた。


「おかしいと思いませんか?限界集落になってもおかしくないような村なのに、遥か昔から人口がほとんど変わらないのですよ。増えたら減り、減ったら増える。それが自然に自動的に行われる村」


 そういえば確かに、この村の人口は平安だか江戸だか知らないが、ずーっと変化がないらしい。それについて何の疑問も抱いてこなかった。


「村の誰もが、この村にかかわる事しかできない、村のことしか考えられないのです。この村の者はこの村から一生出られないのです」


 村への疑問。村の人たちへの疑問。今の暮らしへの疑問。村と世界への疑問。


「でもさ、結婚は?親戚のお姉さんがお嫁に…隣町に住んでるな…旦那さん都会で働いてるはずが…あ、担任の息子さんが東京の大学行って弁護士…になってこの村に帰って来たな…?」


 橘平はこれまで、村の何かをおかしいと感じたことはなかったし、思い出してみると、「外へ行って帰ってこない人」がいないのだ。

 外へ出たまま、の人がいない。

 どの家も昔から「その場所」にあり、必ず「その家の者」が住み、正しく家が守られている。戸数すら変わらない。

この村の住所、正しく答えられますか?」

「え…えっと…」

「村の名前はご存じですか?」

「む、村の名前…?」

「答えられませんよね。そう、誰も分からないのです。この村がどこにあるのか。不思議ですね。」

「で、でも郵便は届くし」

「それもまた不思議なのです。だれもご自分の住所が分からないのに、住所は記入できるのです。でも何を書いたか分からない。送った方も同様です」


 ますます、訳がわからなくなった。一体なんだ?どういうことだ?

 脳みそがシェイクされているような、そう、橘平の頭の中では今、大地震が起こっているのだった。

 いままでの価値判断としていたものが、自分が信じてきたものが、全部崩壊する、地盤沈下が起こる、地形が変わっていく。

 吐きそう。

 気持ち悪さに手を口に当てた。桜が心配そうに背をさする。


「あ、きっちゃんも揺れはじめたね。大丈夫?トイレ行く?」

「お、おかいまなお…うっ!」

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