第1話:現実の私と、その様々なこと 2
≪——それは、私が夢を抱くかという質問でしょうか、それとも私が夢を見るかという質問でしょうか? いずれにせよ、私はそれを行いません≫
「夢を……行わない?」
それは少し奇妙な答え方だった。
夢はふつう見るもので、行うものではないのではないか。でもハルがそんな単語の間違いをするのは珍しくて、きっと彼女なりの意味があるのだろう。
≪はい。睡眠の中で見る夢にしても私たちは睡眠を行いませんし、いわゆるスリープと呼ばれる状態は私たち機械にもありますが、その中のコンピュータとしてのメモリの保持をしているだけで、私自身はほとんど機能を停止した状態です。そして将来への展望という意味にしても、私たちはまた人間のようなライフステージを持ちません。確かに私達AIの中には現在ではそうした一種のAIの
たんなる言葉の上での夢という表現や、機能としてつけられたそれは、夢と呼ぶことは出来ない。ではハルにとって、私たち人間の見る夢とはなんだろう。
≪——夢とはある意味で、それを人間自身が自分の中で創り上げた、仮想の物語と言い換えることもできるでしょう。人は自分の中の経験や体験を自分ものになるように咀嚼していき、睡眠中に思い出すことで夢を見ることが出来ます。そして人は自分や周囲の人を見て、そうした人づての知識の中から、自らの中に自身の将来の物語を創り上げることが出来ます。それは人が何者にもなれるという権利を持ち、そのための努力をおこたうため、そしてその道半ばで疲れたとき、必要となる能力だと言えます≫
「夢が……人間の能力?」
≪先ほど説明した通り、人は夢によって癒され、夢によって生きるため、進むための勇気をえます。そしてそれは人間自身が生来持っている力です。ですから夢は、人間として生きるあなた方に与えられた、特別な能力・ギフトだといえるでしょう≫
ハルの言葉はときどき私や人間というものを、理想化しすぎていやしないかと思うこともある。
でも彼女がそんなふうに言ってくれるからこそ、私たちはその言葉で勇気を貰える。ハルは否定しているけど、確かに彼女は私に勇気を与える存在で、だとしたら本当は彼女だって、彼女の思いや夢を持っているのではないだろうか
「うん、そうなんだ。じゃあ話は戻るけど、さっきの動画。その、時間とかは? 長く話しすぎてたりしてない?」
≪カエデさんのこの動画は十分にしっかりしたものです。しかしご心配されるように多くの人にこのメッセージを届けるには、動画そのものの内容の前に、まず手頃な視聴時間であったり印象的なサムネイル、さらには冒頭での視聴者の興味を引くようなつかみのような部分にも、気を使う必要があるでしょう。よろしければ、動画の内容をパートごとに切り分けて、簡単な編集をこちらで行うことが出来ます。同意がいただけるのならこのデータをクラウド上にアップロードし、作業を開始いたしますが≫
「ほんと? ありがとう、ハル。じゃあ、お願い出来る?」
≪了解いたしました。データをお預かりするご同意と、クラウド上でのユーザー情報への取り扱いに関する規約へ、ご確認をお願いします……≫
皮膚接触式ニューロデバイスシートのジェル。こめかみやうなじについたそれを拭きながら、ベッドの上のスマートフォンへと手を伸ばす。その中にはヒナギクのアイコンからのショートメッセージに、URLの乗った確認のダイアログが重なっていた。
ほんとうに、いつもありがとうハル。
私はもちろん、すぐさまそれに”はい”を押す。
≪ご同意、ありがとうございます。作業には数分ほどかかりますが、終わり次第また通知いたします≫
***
着替えを終えて居間に降りると、母がTVモニターをボーっとながめ、自動再生に流れるニュースを聞いていた。
『……内閣府の施設等機関のひとつ、経済社会総合研究所の発表によると、本年度も国内企業などの業績はおおむね好調のようです』
音声モデルのはたぶん違う人なんだろうけど、ハルとその口調はよく似ている。こうしたニュースの情報は、どんなふうに纏められて、そしてどんな原稿が伝わりやすいものなのだろうか。
いざ自分から何か動いてみようと思うだけで、世の中はその表情を変えてしまうのだ。あの動画の事がまだ私自身不安なのか、ふとそんなことを考える。
『発表によると、企業を対象として売上高などのいくつかの項目を統計的に調査する、法人企業景気予測調査。また同じく企業における設備投資について、調査した機械受注統計調査報告では共に高い指標をしめしています。このことから、多くの国内企業の現在の業績は好調、設備投資に積極的であるとのことです。各企業、今後もより業績を伸ばすため多くの生産やサービスの向上が見込まれるものと――』
ただそれをじっと見つめ続ける母に、その内容はあまり頭には入っていないようだった。目はとろんとして机の上には開いた缶詰や缶チューハイの空缶が並んでいる。いくつかは。座卓の横に転がっていた。
「お母さん。これ、片付けるよ?」
「ん-っ……」
『……これをうけ厚生労働省の鷹峰大臣は「政府は今後のGDPの伸び率を期待し、来年度には日本版ベーシック・インカムとも呼ばれる生活基本年金の増額を検討している」と発表。具体的な金額については話さなかったものの、別の政府関係者からの調べでは月あたり四千、年間ではおよそ五万円ほど増額されるのでは、という見通しです』
月に四千円。年で数えると、正確には四万八千くらいだろうか。
それだけあればどれだけのことが出来るだろう、と考えて、しかしまだ貯金もあと四十万も残っていたことを思い出す。それにもしもあのギルドの採用にこぎつけたら、きっとそのお金もT.S.O.の活動に使うことになるのだろうな、とふと思う。
景気がいいのは、それは世の中にとっていいことなのだろうが、自分自身とどこかまだ遠いことのような感覚が拭えない。
「お母さん。ねえほら、来年からセイネン増えるって。四千円も」
「えーっ、ほんとぉ?」
声をかけるが、母は表情を変えずTV画面へ目を向けたまま、ニュースの続きを胡乱なまま聞いている。それでも報道される内容へ様々な意見を飛ばしているコメンテータに、なにかポジティブな知らせだと察すると、すこし目に力が宿ったような気がした。
「へえ、いいじゃん。アンタ何か買いたいものでもあるの?」
「えっ。私は、今はべつに」
「あーっ、そう。アンタって可愛げがないわね……」
ヘラヘラと笑って、またTVにむかう。でも少し頭はしゃきっとしたようで、目線もフラフラと泳いでいない。
私はしばらく母をみつめ、それから告げた。
「あの。今日友達と、その……食事なんだけど。夕飯」
「ふーん。いいんじゃないの? いって来たら?」
私は軽く洗ったチューハイの缶をまとめると、部屋から鞄をとって急いで出かけた。
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