第1話:現実の私と、その様々なこと 1

 仮想世界から戻ったあとは、いつもすこし身体が重い。


 めまい――というほどではないのだが、自分がいまベッドの上に寝ていたのだと自覚することからはじめなければ、起き上がれない。


 結局自分は、どれくらいあの星にいたのだろう。


 ヒンジの固まったヘッドギアを持ち上げると、ゆっくりと首から順番に上体を起こす。


「ハル……ねえハル。ちょっと、いい?」


≪はい、なんでしょうカエデ様? 私はいつでも、答えいたします≫


 イントネーションの硬い、でも落ち着いた感じの女性の声。ハルの声を聴くといつも、私はここにいるのだ、と感じる。


「むこうの動画、撮ってみたんだけど……どうかな? えっと。私のストレージに、いま……」


≪本日、午後13時23分更新。TSo_PPDMV_204705261323という動画ファイルのことでよろしいでしょうか?≫


「うん。たぶん、それ。しっかり撮れて……私、話せてるかなって」


≪わかりました。少々、お待ちください。コンテンツの印象を評価しています……≫


 ハルがやさしくそういうと、オルゴールのような待機メロディーがしばらく流れる。ハルはいま、きっとものすごい速さで私の動画を見ているのだろう。


 ゆったりとしたテンポで楽しげなのに、どこか淋しいようなノスタルジックなハルの歌声。彼女が考え込んでいるとき、いつもふとこのメロディーを何処かで聞いたような思いに囚われる。あれはいつ、いったいどこでのことだったろう。


 でもいつも、私はハルの考える速さにはおいつけない。


≪終了しました——そうですね。まず動画内でお話されている、カエデ様の印象についてです。この動画内では壮大なVRゲームの惑星の風景の中、カエデさんのアバターから伝えたい情報、述べておきたい内容が落ち付いたテンポで話されています。こうしたゆったりとしたテンポをもつ動画は、視聴する方に対し言葉を理解する間を与え、非常に受け取りやすい印象を与えるかと思います。したがってこの動画は、見る人が耳を傾けやすく内容の理解しやすい動画です≫


「ほんと? なんか、変な感じとかになってない?」


≪はい、問題ありません。冒頭の説明やお話されているオーディションの要項については少し複雑なものになりますが、全体としては内容が整理されており、カエデさんの声もはっきりと聞き取りやすいものとなっています。もちろん、実際に内容がすべて理解できるかは、聞き取り手の理解力によっても大きく変わってしまうでしょうし……そうした意味で、視聴する人間に変だと受け取られる場合はあるかもしれません≫


「うん……そう、だよね」


≪しかし、おそらくカエデさんの主張としては、これから参加する予定のギルド鷹の旅団への、オーディションへの応援の呼びかけが主なものなのではないでしょうか。そのことは動画の最期にはっきり具体的な呼びかけによって述べられているために、むしろメッセージとして強く伝わるものとなっています。カエデさんの発するメッセージとして、オーディションに参加することへの応援の呼びかけが、見る人に理解しやすく伝わると思います≫


「うん、ほんと……?」


 メッセージとして、強く伝わる。


 ハルはそう言ってくれるけど、本当のところはどうなのだろう。あの仮想空間の宇宙では、ときどき自分がいままでの自分ではないような、すこし自分が浮いてたような感覚を覚えてしまう。


 なにかおかしなことは、口走ってはいないだろうか。見落としでどこか間違った話を、しはいないだろうか。正直、ハルにいわれるほどに上手く話せたようには記憶していないし、動画として上手く撮れていたようにも思えない。


 たしかに仮想カメラでのデータはあくまで3D上でのオブジェクトの位置関係を記録したもので、今からだって明るさや効果、あの星での時間帯や天候さえも変えて再エンコードできるらしい。


 でも私の話声そのものは、自分で撮り直すしかない生のデータだ。


 それでもきっと、なにか本当におかしなことがあったなら、その時はハルが指摘してくれる。すくなくとも話の整合性だったり、なにかいけない情報を私が話していたっ場合、彼女は指摘してくれるはずなのだ。


 だって、ハルはユーザーを……私のことを、守ってくれなくてはいけないのだから。


≪――たしかに動画の後半部では、カエデさん自身のこの抱負を語るにあたって、すこし不安げな感じ、挑戦することへのためらいのようなものが感じられます。しかし惑星内の時間変化とその光の効果もあいまって、非常にエモーショナルであり、共感を呼べる内容にもなっていました。この動画には、カエデさんの内側にある、想いの強さが映しだされていると感じます≫


「私の、想いの強さ……」


 そんなものが、ほんとうに私の中にあるのだろうか。


 何日も考えそして決めたはずのことが、でも時間がたつとあやふやな決断のように思えてしまう。これまで何度も思い悩んで、それでも挑戦してみたいという、私のなかの……なにか。


≪はい。想いの強さは、とても大切なものです。なぜなら想いは人に挑戦する勇気を与え、行動への強い動機付けをおこなうからです。そして人々はそうした強い動機を持って何かに挑戦する誰かの姿からまた強い想いを受け取り、それに感動を覚えます。そうした感動によって人々は自分自身の挑戦にも強い想いを抱くことができ、そのようなつながりによってまた多くの人々が想いをつなげていくことが出来るのです。カエデさんの挑戦する姿を映したこの動画は見る人にそうした想いを伝え、人々に夢を与えることが出来るのではないでしょうか≫


「えっ、そんな。べつにそんな感じじゃなくて、私はただ……」


≪なにか回答に齟齬がございましたでしょうか? もしよろしければ、動画の内容でフォーカスしてほしい部分や回答についてご不明な点、カエデ様のほうからご指摘いただけると助かります。そのフィードバックをもとに回答の精度を向上させ、よりカエデ様のお役に立てることが私にとっても幸いです≫


 ハルのヒナギクのアイコンが点滅し、メッセージアプリにストレージパスが一瞬表示された後すぐに小さな画面であの動画が読み込まれる。


 ハルは私に、この動画のどこを話し合いたいのか、聞いているのだ。


「いや、ごめん。そういうんじゃなくって……そういうんじゃなくて。そんな、夢ってちょっと大げさじゃないかな?」


≪”夢”という表現にご不満でしたでしょうか? しかしカエデさんの動画は、見る人に共感性を起こし挑戦する思いを伝えることのできる動画だとおもいます。そうした動画に意見を述べるなら、夢を与えることが出来る動画というのは私の率直な意見です≫


「夢。ううん、夢……か。なんていうか、ハルは夢ってみるの?」


 それはその率直なハルの意見が少し眩しくて、誤魔化しの混じった質問だった。


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