書籍化記念SS
なんてことない日(前編)
「いってきますね~」
昼食後。仕事に戻るシルヴァ王子を見送り、私は部屋を出た。
メイドに見送られながら向かう先はもちろん城下町。
けれど今日降りる場所は薬屋裏の茂みではない。初めて城を抜け出した日と同じ路地裏だ。
今日も今日とて食べ歩きをするつもりなのだが、昨晩唐突に初日に食べた串焼きを思い出した。
ギィランガ王国にいた頃からこういうことはたまにあった。そして一度『食べたい!』と思い始めるとその欲は簡単には消えてくれない。
今回のように気軽に入手できるものならいいのだが、季節違いのものや出先で食べたものを手に入れるのは難しい。気を紛らわせるのに苦労したものだ。
手早く隠密ローブを脱ぎ、串焼き屋の場所まで向かう。
ちなみに串焼き屋は屋台ではあるものの、西門付近の市場のように毎日店が変わるわけではない。契約の更新などのタイミングで定期的に店が入れ替わることはあれど、今はそのタイミングではないそうだ。ちゃんと城を出る前にシルヴァ王子に確認した。
少しだけ大股で歩きながら、良い香りがする店の前でピタリと足を止める。
串焼きを売っているのは、あの日買い取り店の場所を教えてくれた獣人だ。といっても一日に何人もの客を相手にする彼は私のことなんて覚えていないのだろうが。
「お嬢ちゃん。何にする?」
「牛肉の串焼きを三本ください。大きさはこれと同じで!」
目の前で焼かれているものからちょうどいい大きさのものを指さす。
前回同様、下から二番目の大きさだ。お財布を取り出し、会計しようとする。けれど彼の質問には続きがあった。
「塩? タレ?」
「え、タレもあるんですか!?」
「ああ。秘伝の自家製ダレだ」
前回来た時は塩一択だった。売り切れだったのかもしれない。
突如として発生した『串焼き欲』は、タレを付けた串焼きを楽しむために沸き上がったのではなかろうか。買って味を確かめる他ない。
「じゃあ塩一本とタレを二本」
「カップは分けておくかい?」
「塩を先に食べちゃうので、タレだけカップに入れてください」
「あいよ!」
何本かまとめて頼むとカップに入れてくれるのも新発見だ。
これならお土産に持ち帰ることも、と考えてすぐにかき消す。肉は冷めると固くなってしまうからだ。美味しく食べられるように工夫されていても、焼きたてにはかなわない。
それに帰るためには空を飛ばなければならない。
カップに入れられているとはいえ、少なからず風の抵抗を受けるわけで。折角のお肉がパサパサになってしまう。
「他によさそうなの何かあればいいんだけど」
久しぶりの串焼きを堪能しながらプラプラと歩く。思えば城下町に来るといつも西門付近の市場ばかりを散策していて、この辺りの店はろくに見てもいなかった。
今日は早々に目的も達成できて、時間には余裕がある。いつもと少し違うことをしてみてもいいかもしれない。そう考え、買い取り店の方に向かって少し歩いてみることにした。
ズンズンと進み、今日も今日とて繁盛している買い取り店の前も通過する。
けれどこの辺りに立ち並んでいるのは店内で食事を楽しむ店や洋服を売る店ばかり。串焼き屋も多いが、串焼きはすでに三本食べ終わっている。使われている肉は違えど、追加では食べられそうもない。
私が降りた場所付近が出店エリアの端っこだったようで、離れれば離れるほど出店の数は減っていった。
西門の市場ばかり通っていたせいで、あの光景が『ビストニア王国城下町の風景』の基準になってしまい、この場所の出店が少なく見えてしまっている可能性もある。
洋服店は貴族が着るようなドレスとは違い、日常的に着やすいデザインが並んでいる。
ただし新品なので高い。獣人向けの服は人間用よりも耐久性に優れている必要があるため、値段もそれなりになってしまうのだ。
今後も服を買う時は古着屋で済ませよう。といってもしばらく服を買う予定はないのだが。
飲食店も軽く食べられるものならいいが、ガッツリと食べる気はない。
あくまでもメインはお城の食事である。喫茶店には興味はあるが、ゆっくりおやつを食べると考えるとどうしてもシルヴァ王子と猫獣人の彼女の顔が浮かんでしまう。
一人でのんびり過ごすより、彼らとおしゃべりしながらお茶をした方がいい。
冷遇中は一人で過ごすのが当たり前だったが、国にいた頃は誰かと一緒にいるのが普通だった。だからだろう。
美味しそうなイラストが描かれている喫茶店の看板の中に『テイクアウト』の文字がないか探してしまう。
「うーん、ここも飲み物だけか……」
どの店もケーキの持ち帰りは行っていない。
美味しそうだが、行っていないのなら仕方ない。トボトボと歩いていると、いつのまにか左右には様々な大きさの家が立ち並んでいた。
住宅街に入っていたようだ。集合住宅も多い。
ちなみに大きな町のメイン通りから住宅街までの距離が近いケースは少なくない。
城下町だと貴族のセカンドハウスや、平民でも比較的お金を持っている人が住んでいることがほとんどだ。
変なトラブルに巻き込まれないうちに踵を返し、早足で買い取り店の前まで急ぐ。
そしてそのまま例のパン屋さんに向かうことにした。
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