閑話一

様子のおかしな花嫁

「おかしい」

「何がですか?」

「最近、彼女の部屋の方角からなんだか不思議な音がする」


 シルヴァの言う『彼女』とは、三か月前にギィランガ王国から嫁入りしてきた人間の聖女のことである。


 名前はラナ。

 ギィランガ王国の貴族でもある。


 以前よりビストニア王国とギィランガ王国の仲は最悪であった。

 ギィランガ王国の貴族は獣人を見下しており、度々突っかかってくるのだ。


 ギィランガ王国の姿勢は気に入らないが、ビストニア王国としても戦争がしたいわけではない。


 人間という種族全体の問題ならともかく、一つの国の、それも貴族だけの問題である。根底にある差別意識が数日で変わるはずもない。


 大きな揉め事に発展すれば、両国の民達を巻き込むことになる。獣人と人間が争えば負けるのは確実に人間である。


 決して『人間』という種族を下に見ているわけではない。基礎的な身体能力が違いすぎるのだ。


 体力・パワー・スピード、どれをとっても人間は獣人の子供にすら勝てない。優れた策や道具を用いたところで、圧倒的な差を覆すことはできない。


 獣人という種族が狩りや戦闘に特化しており、対魔物戦・対人戦共に戦い方を熟知しているからだ。加えて即日動員できる人数も桁違い。おそらく十日とせずに終戦する。



 無論、これは戦闘に限定した話であり、獣人が人間に劣る分野もある。

 獣人には獣人の、人間には人間の魅力があるのだ。もちろん他の種族にも。


 それに優れた力を持っているからといって、それを振りかざすことが正しいとは限らない。


 我ら獣人を苦しめた者のみが報いを受けるのであれば構わない。だが割りを食うのは平民達である。獣人と対等に接する彼らが飢えることがあってはならない。


 面倒ではあるが、問題が起こる度に形ばかりの和解をしてきた。



 ただし今回ばかりはやや事情が異なる。

 今まで人種差別をしながらも力の差を理解していたギィランガ王国側は、決して暴力を振るうことだけはしなかった。だからこそ『和解』ができたのだ。


 けれどギィランガ王国は越えてはならぬ一線を越えた。

 ギィランガ王国の貴族が寄ってたかって獣人の子供を切りつけたのである。


 魔物と間違えた――それが相手方の言い分だが、大切な民を傷つけられて許せるはずもない。


 本来ならばギィランガ王国の貴族を皆殺しにするところだが、子供を助けたのもまたギィランガ王国の貴族だった。それも年若い娘である。


 身を挺して獣人の子を守った彼女の背には大きな傷が残った。嫁入り前の身からだ体に傷が付いてしまった。けれど彼女は「守れてよかった」と笑っていた。


 聞けば彼女は没落寸前の下級貴族で、平民と変わらぬ生活を送ってきたらしい。獣人とも友人のような関係だったのだという。


 一度は破裂寸前だった怒りを抑え、代わりにギィランガ王国側にも似たような苦しみを与えることにした。



 それが和解の条件として提示した聖女である。

 もっとも痛めつけるつもりはない。獣の性質は残していても獣人は野蛮な種族などではない。


 人質のような形で若い娘を我が国に嫁がせることで、次も何かやらかした際には重要なポストの人間を奪っていくぞと暗に告げる目的があった。



 正直、聖女である必要はなかった。

 ただギィランガ王国との国交が盛んではないビストニア王家にとって身近なギィランガ人は王族、もしくは時に国を跨いで活動を行う教会関係者に絞られる。


 王家の男児を指名した方がよりダメージを与えられるが、現在ギィランガ王家には男児が二人しかいない。どちらも王子である。シルヴァは片割れしか見たことがないが、最悪な男だった。ギィランガ王国の貴族の中でも酷い部類に含まれることだろう。


 こちらが優位な条件を提示できるとはいえ、あんな男に大事な身内を差し出したくはない。

 それこそ人質を選ぶようなものだ。


 ギィランガ王家の男児は早々に諦め、満場一致で聖女を求めることに決まった。

 夫役がシルヴァに決まったのは婚約者も恋人もいなかったから。


 人間の貴族や王族は政略的な結婚も多いと聞くが、獣人は相性を重視する。身分が高くなればなるほど妥協はせず、生涯未婚を貫く者も多い。その分、結ばれた夫婦は多くの子供に恵まれる。シルヴァの兄達も例に漏れずそうだった。


 そのためシルヴァも焦らずゆっくりと生涯の相手を探していければいいと思っていたし、聖女の夫役を引き受ける際、『いい相手が見つかった場合には離縁する』を条件の一つに盛り込み、ビストニア王の承諾を得ている。


 嫁いでくる聖女には悪いが、あくまでも人質のようなポジションだ。衣食住の保証はしても、生涯の伴侶にするつもりなど毛頭ない――そう思っていた。



 ギィランガ王国第一王子の婚約者であるはずの彼女が王の前に立つまでは。



 上手く言葉では表せないのだが、彼女は普通の人間の娘とは少し違うような気がする。

 背中に大きな傷が残ってもなお、友の無事を喜んだ少女と近しい雰囲気を醸し出していた。


 ギィランガ王国の王子の隣にいた時は大した興味もなく『ギィランガ王国の貴族の一人』程度の認識だった。けれど多くの獣人に囲まれながらもしっかりと前を見据えていた彼女には、ほんの少しだけ興味が湧いた。


 よく自室の窓から外を眺めている彼女だが、シルヴァと目が合うと隠れてしまう。まるで肉食獣に見つかってしまった獲物のよう。シルヴァを、獣人を恐れているのだろう。


 そう理解できるからこそ、直接の接触は避けてきた。

 だが興味がなくなったわけではない。むしろ日に日に大きくなっている。今も軟禁状態の彼女が奏でる小さな音が気になって仕方ない。



 鍛錬終わりの着替え中、思わず部下達に尋ねてしまうほどに。



「そう、ですか? 俺には何も……。お前、聞いたことあるか?」

「いや、何も」


 その場にいた三人のうち、二人は知らないと首を横に振った。

 けれどもう一人は思い当たる節があったらしい。何かを思い出したように「あ!」と声を上げた。


「王子が聞かれた音とは違うかもしれないのですが、鼻歌なら聞いたことがあります」

「鼻歌? いつのことだ」

「一昨日の午後に会議があったじゃないですか、あの時です。鍛錬場にタオルを忘れていることに気がついて取りに戻ったんですが、上の方から聞き慣れない鼻歌が聞こえてきて……」

「メイドじゃないか? 彼女の世話をしているメイドは鳥獣人の若い女の子だっただろ」

「いや、メイド達の歌じゃない。変なところで止まったり、跳ねたり。かと思えば地を這うような音に変わる」


 鳥獣人は歌と踊りが大好きで、機嫌がいいと仕事中でも歌を口ずさむことがある。


 鳥獣人の習性のようなものだ。歌と踊りの上手さがそのまま生涯のパートナー選びに直結するため、常に腕を磨き続けている。下手なはずがない。彼が言う通りの歌なら、すぐに否定するのも納得だ。


「なんだそれ。本当に鼻歌か?」

「俺も話しててちょっと自信がなくなってきた……。で、でも鍛錬場の上の部屋から微かに聞こえるのは本当です。シルヴァ王子、信じてください」

「ああ、信じるさ。不思議な音がするのも決まって午後だからな」

「午後に何かあるんでしょうか」

「そういえば彼女って毎日何しているんですかね」

「何、とは?」

「もうビストニアに来てから三か月。そろそろ部屋で過ごすのも飽きてきた頃じゃないかと」

「だがか弱い娘を、それも獣人を嫌うギィランガ人を城の中に放り出すわけにはいかないだろう」


 王城の中には『ギィランガ王国の貴族』というだけで彼女を敵視する者も多い。さすがに王家が連れてきた人間に手を上げるような阿呆はいないはずだが、それでも悪意までは完全に制限することはできない。


 隔離するような部屋の配置も、接するメイドを最低限にするのも、全ては彼女に向けられる悪意を最低限にするため。シルヴァも室内の様子が心配ではあるものの、彼女の精神状態を第一に考え、接触を控えている。


「それも何か違和感があるんですよね。本当に彼女は獣人を嫌っているんでしょうか」


 そう言い出したのは、初日に彼女を部屋まで案内したクマ獣人のグレイだ。獣人の中でも大きな身体を持ち、パワー攻撃を得意とする彼だが、心優しき青年なのだ。彼になら任せられると、シルヴァは迷わず案内役に指名した。


「何言ってんだよ。初日を思い出してみろ。小さくなって怯えていたじゃないか」

「だが部屋に送った時は普通だったし。案内した時なんて素直に喜んでいたようにも見えて……」

「あれは虚勢だろ。察してやれよ」

「そうそう。彼女は聖女であり、貴族だ。プライドってものがあるんだよ」

「そうかなぁ。そのわりには毎日のように鍛練を見ている気がするんだよな……。ネズミ獣人達との合同訓練の時とか、小さな右手を固めながら熱心に応援してたぞ? 俺達が子供を虐めているのだと勘違いされてないかちょっと不安だった」

「ネズミ獣人が来た日のことなら、俺も少し気になっていたことがある。ネズミ獣人が俺の鼻を思い切り蹴けった時、小さく『やったっ』って聞こえたような気がしたんだよな。あれ、ネズミ獣人が攻撃決まったのを喜んでたんだと思っていたんだが……。いや、まさかな。プライドが高いギィランガ人が獣人を応援するなんてありえない、よな? だがざまあみろって感じの声音でもなかったし……」


 三人の中でも彼女の印象は異なるようだ。


 ただ共通していることがたった一つ。

 彼らは彼女を嫌ってはいない。


 迎えに行く時にはあったはずのギィランガ人への敵意もすっかり消えている。案内から戻ってきた後、しばらく首を左右に捻っては話し合いをしていた。


「……彼女は他のギィランガ人と少しだけ雰囲気が違う。もしも。もしも彼女が怖がらないでくれるのなら、食事をしながらゆっくりと話がしてみたい」

「王子……」

「だが急いて怖がらせてしまったらと思うと……」


 もっと彼女のことが知りたい。けれど怖がらせたくはない。


 不思議な音が聞こえるようになったのはつい最近のこと。

 彼女がこの国に少しだけ慣れて、部屋の中ではリラックスできるようになったことで発生した音であれば、刺激となりかねない行動は避けたい。


 無理に接触をしてはますます獣人への警戒を強めてしまう。

 二度と心を開いてくれなくなってしまうかもしれない。


 尻尾と耳をしょんぼりと垂らすシルヴァに、周りの三人は慌て始める。


「今はまだ顔を見るのは難しくとも、会った時のための話題作りはできます」

「また同じ時間に鍛練場の近くまで行ったら鼻歌が聞けるかもしれませんよ!」

「聞き続けていれば不思議な音の正体も掴つかめるかもしれません!」

「お前達……」


 必死に励ましてくれる。彼らを案内役に指名したのは間違いではなかった。本当にいい部下を持ったものである。


「とりあえずメイドや料理長を通して情報収集するというのも手だと思います!」

「確かに彼らなら俺よりも彼女のことをよく知っているはずだ」


 なるほど、と大きく頷く。


 ラナの世話係となったのはインコ獣人の三人娘。

 城で働くメイドのほとんどが鳥獣人なのだが、インコ獣人は鳥獣人の中でも特におしゃべり好きの種族である。


 他国から来たばかりのラナでも接しやすく、人間に近い見た目ということで選ばれたのだろう。


 選出理由は何であれ、『厳正なカラス』と呼ばれるメイド長が是非にと推してきた者達だ。能力は疑うまでもない。シルヴァの知らない情報の一つや二つ、教えてくれることだろう。


 そう、期待していたのだが――。


「ラ、ラナ様のことですか? えっと、部屋を綺麗に使ってくださるのでとても助かっています」

「物の位置とかもあんまり変わってなくて」

「いつもご飯は完食なさいますし、綺麗好きなのかもしれませんね」

「綺麗好きと料理を完食することにどんな関わりがあるのだ?」

「それは……お皿! 毎回お皿がとても綺麗なんですよ!」

「そうそう。ソースも全く残っていないんです」

「添えてあるミントも食べてくれるくらいで!」


 インコ獣人にしては妙に歯切れが悪い。

 シルヴァを前に緊張しているのだろうか。これ以上の情報は得られそうもないと諦め、メイド長と料理長に話を聞くことにした。


 まず仕事中のメイド長を捕まえ、ラナについて問う。


「本日も問題なしとの報告を得ております」

「お前から見て、ラナは今の生活に満足していると思うか」

「そこまでは……。ですが不満を見せているようであれば、すぐに報告するように伝えてあります」

「そうか。わずかな変化でもあれば俺に報告するように」

「かしこまりました」


 淀みなく答えるメイド長。

 漆黒の髪を一本も揺らすことなく、非常に落ち着いているように見える。


 だが普段の彼女は、常にメイド達の動きに目を光らせている。ラナ付きのメイドの動きとラナの現状を正確に把握していないことに違和感を覚えた。


 だがラナは人間であり、城での立ち場も非常に微妙なものだ。ラナと接するメイドはもちろん、彼女達を管理するメイド長にとっても通常とは違う対応が求められているのかもしれない。


 しばらく様子を見ることにしよう。そう決め、今度はキッチンに向かう。


 手が空いている時間を狙ってきたつもりだったのだが、料理長はすでに夕食の準備に取りかかっていた。


「仕込みの邪魔をしてすまない。少しいいか」

「シ、シルヴァ王子……!」


 シルヴァが声をかけると、料理長はビクンと肩を揺らした。心なしか、彼の自慢の角まで震えたように見える。


 集中しなければならない作業だったのかもしれない。彼は火を止め、料理を背中で隠すようにシルヴァに向き合う。


「えっと、その……どのようなご用件でしょうか」

「ラナについて少し話を聞きたい。メイドの話では食事をちゃんと取っているようだが、足りているのか少し心配でな。料理長から見て、彼女の食べっぷりはどうだ?」

「そうですね……。彼女はどんな料理を出しても皿を綺麗にして返してくれます。本当に綺麗なもので……王子にもお見せしたいくらいです。配膳から戻ってくるまでの時間を考えると、空腹に耐えているというわけでもなさそうです」


 声も視線も妙に揺らいでいる。メイド長とは大違いだ。それでいてシルヴァの問いかけにはしっかりと答えている。


 バイソン族の彼は元々気弱な性格ではあるが、料理に関しては人一倍強いこだわりと自信を持ち、時には王相手でも臆せず意見をするほど。


 だからこそ『ビストニア王城の料理長』という重要なポジションを任されているのである。


 そんな彼ですら、いや、こだわりが強い彼だからこそ手探りになっている部分があるのかもしれない。


「そうか。引き続き、彼女の料理を任せた」

「はっ」


 腰を折り、深々と礼をする料理長。


 その際、彼の奥に形が崩れるまで煮込まれた野菜が見えた。

 風邪を引いている者でもいるのだろうか。


 ぼんやりと考えながらも、すぐにシルヴァの思考はラナに戻るのだった。




 この日を境に、シルヴァは度々、三人のメイドとメイド長、料理長にラナのことを尋ねるようになった。


 またそれとは別に、休憩時間になると鍛錬場付近まで足を運ぶ。


 目的は謎の音の正体を掴むため。

 自慢の聴覚を駆使し、音の正体を探る。



 けれど一か月が経過しても、やはり分からぬまま。

 とはいえ収穫はあった。教えてもらった鼻歌らしい声を聞くことができたのだ。聞いていた通り、歌なのか不安になるような音であった。


 何度も聞くうちに規則性があることが判明した。


 午後は午後でも、昼食後半刻と夕食前半刻は不思議な音が聞こえない。

 雨の日も同じだ。こちらは窓を閉めているためだろう。


 それだけがシルヴァが得た、ラナについての情報である。


 メイド達の話に変化はなし。ラナと直接会って話をするのが手っ取り早いのだが、獣人達に囲まれても毅然とした態度を保ち続けた彼女の表情が恐怖に染まってしまったら……。


 想像するだけで悲しくて、尻尾がぺたりと足に付いてしまう。


「まだ母国を離れて四か月しか経たっていないんだ。もう少し。もう少しだけ一人の時間を与えるべきだ」


 シルヴァはいつかラナと仲良く食事ができる日を夢見て、グッと我慢するのだった。




 ◇◇◇




 柱の陰に隠れるようにひっそりとシルヴァを見ているのは、彼を敬愛する部下達である。上司が悪い人間に騙されないようにと目を光らせる者もいれば、ようやく春が来た彼を見守るように温かい視線を向ける者もいる。

 グレイはそんな彼らを諫める役だ。彼の活躍もあり、部下達の覗き見は未だシルヴァにはバレていない。もっとも、普段のシルヴァなら大量の視線に気づかないはずもない。彼の意識が完全に上、ラナの方へと向けられているからこそのことではあるのだが。




 ※試し読みはここまでになります。

 続きは2024年5月10日発売の書籍にてお楽しみください!


 また発売日には書籍発売記念SSを投稿予定です。

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