9.ビストニアでの初めての食事
ここからでは話の内容までは聞こえないが、視線に悪意は感じない。あれは誰なのかとでも話しているのだろう。
私があまりに見ていたからか、少し離れた場所にいたはずのシルヴァ王子までもが私に気づいてしまった。
「あ」
目が合った。周りの様子を窺っていると警戒されたらマズい。
慌てて顔を引っ込める。だが窓は開けたまま。いくら人質とはいえ、目が合ったからと言って窓まで閉めては態度が悪すぎる。
それに今のところは逃走ルートとして使えそうもないが、いつ・誰が周辺にいるのかを確認しておくことは大事だ。
外からは気持ちのいい風が吹き込んでくる。ゆったりとした風が緑の香りを室内に届けてくれるのだ。窓際に飾られた花と相まって穏やかな気持ちになる。
「机、移動させたら怒られるかな」
この部屋にある机は二つ。物書き用の大きな机は動かせそうもないが、食事用の机は私でも簡単に動かせそう。
だがそれらはドアの付近に置かれており、人質の身で勝手に家具を動かすのは気が引けてしまう。とりあえず椅子だけ移動させ、そよそよと吹く風に当たることにした。
しばらくのんびりと過ごしていると、ドアが荒々しくノックされた。
男性の拳で力強く叩いているような音ではない。複数人で好き勝手にドンドン叩いているような音だ。
「はい。どなたでしょう」
「ご飯、持ってきてあげたわよ。感謝しなさい」
入ってきたのは鳥獣人のメイド達。カラカラとカートを転がしながら室内に入ってくる。
そして私が先ほど目を付けていた机の上に食事を並べていく。実家の食事よりも品数が多い。朝食としてはやや重いくらいだ。
「なんで私がギィランガの人間の配膳なんて……」
「ギィランガでは第一王子の婚約者だったからって調子に乗らないでよね」
「そうよ。同情を買おうったってそうはいかないんだから」
自分が『詫わびの品』として相応しいかどうかは考えていたが、ビストニア王国からすれば同情を誘っているように見えたのか。
その考えには至らなかった。ギィランガ王国側にそんな意思がまるでないと知っているからだろう。
むしろハイド王子達は、今回の一件にかこつけて私を追い出せたことに喜んでいるはずだ。彼らの気持ちの悪い笑みが脳裏を過よぎり、目の前の彼女達には適当な返事をしてしまう。
「あ、はい」
「なにその返事! むかつくわね!」
「あなたなんかにこんな立派な食事を用意してくださるなんて。シルヴァ王子のお慈悲に感謝しなさい」
「精々その飲み物で腹を膨らませることね!」
「ギィランガ人には水で十分よ!」
親の敵を見るような鋭い視線と共にチクチクとした言葉を投げかける彼女達だが、貴族の令嬢のような軽やかさがない。明らかに途中で詰まっている。記憶を辿るように視線が動いていることも。
嫌悪感はあれど、嫌味を言うことに慣れていない。頑張って考えてきたのだとすぐに気づいた。
先ほどのノックも、私が起きる前に入室しないようにとの心遣いだったのか。
ただ単に身に染みついた行動が出てしまっただけかもしれない。彼女達の考えはどうあれ、私が返事をするまでドアが開かれなかったのは事実だ。
だがこれで警戒を緩めるわけにはいかない。
椅子を元の場所に戻し、腰かける。
「私達、外にいるから」
「一人寂しく、かったいパンでもちぎるのね!」
「これ以上手を煩わせないでちょうだい」
「はぁ……」
食事が終わったら声をかけろということか。
見られながらの食事には慣れているが、一人の方が何かあった時に対処しやすい。ぺこりと頭を下げれば、メイドは揃って部屋から出て行った。
豪華な食事が並ぶ中、真っ先に手を伸ばすのは水である。
水・水差し・グラスのどれかに毒が仕込まれていた場合、薬と一緒に毒を追加で飲み込んでしまう可能性がある。
グラスに水を注いでから、見た目に異常がないかを確認。
色の変化はなし。妙な揺らぎなどもない。その後、ちびちびと確かめるようにコップ一杯分の水を飲み干していく。
とりあえず即効性の毒ではない。変な苦みや酸味などもなかった。
ひとまずホッと胸を撫で下ろし、次の食事に手を伸ばしていく。
冷製スープに木の実のパン、サラダ、炒めたたまご、果物――どれも朝食としてはメジャーである。見たところ、毒になりそうな材料は使用されていない。
さすがに練り込まれていたら分からないが、安全性の高いサラダと果物から手を付けていく。警戒するのはもちろん重要だが、貴重なエネルギー源は確保できる時に確保せねばならない。
ゆっくり、ゆっくり。
噛みしめれば、素材の旨みが口いっぱいに広がっていく。
パンは数日放置されていたのか、少し硬くなっている。だがスープに浸してから食べれば気にならない。
さすがビストニア王国。圧倒的美味さである。
毒なんて気にしなければこの美味しさがもっと楽しめるのに……。少し残念に思いながら、一つ一つを完食していった。
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