第一章

1.突然の婚約破棄

 私の最悪な運命が変わったのは半年前。

 教会の一室で今季の作物生産量をまとめていた私のもとに、婚約者のハイド王子と私の妹のロジータがやってきた。


 ハイド王子の腕にはロジータの腕が絡められており、二人がそういう仲であることは一目瞭然。だが今に始まったことではない。


 妊娠を機に王妃様が一時的に公爵領に戻られてから、周りに自分達の関係を見せつけるような行動が増えた。


 ハイド王子の婚約者は私だ。恋愛感情ゼロどころか好感度がマイナス方向に振り切っていても、忠告をする義務がある。


 その度に二人は揃って気味の悪い笑みを浮かべていた。私への当てつけのつもりなのだろう。


「ラナ。話がある」

 この日もそうだと思っていた。深いため息を吐き、作業の手を止める。


「見ての通り、今は職務中なのですが」

 周りには他の聖女や神官がいる。明らかに勤務時間内である。だが二人は私の言葉に耳を傾ける気がない。


「わざわざ殿下が足を運んでくださったのですからありがたく聞きなさい」

 幼少期から甘やかされて育ったロジータは、我儘令嬢として社交界でも有名だった。


 最近はそこに輪をかけて偉そうになった。傲慢王子と一緒に過ごす時間が長くなったことで、自分も偉くなったと錯覚しているのだろう。


 色々と手は打っているのだが、いかんせん妹と両親にはやらかしている自覚がまるでない。効果が得られないまま、教会まで出張ってくるようになってしまった。


 出産を控えた王妃様に無駄な心労をかけたくないが、そろそろ助けを求めるべきか。

 二人がやらかしそうなことを想像して頭が痛くなる。傲慢さが増し、事態が大きくなればなるほど、私だけでは収拾が難しくなる。力は借りないまでも耳に入れておいた方が……。


 そんなことを考えていると、ハイド王子が笑みを深めた。ねっとりとした嫌味たっぷりの笑みは、今までの比ではないほど気持ちが悪い。背筋に何か冷たいものが這ったような、ゾワッとした感覚に襲われる。


 同時に、特大のやらかしをしたのだと確信する。今度はどんな尻拭いが待っているのか。


 仕事がまた滞る。今手を付けている分だけでも終わらせるくらいの余裕があればいいのだが……。


 頭の中で謝罪スケジュールを組み立てる。


 けれどハイド王子が吐いたのは予想外の言葉だった。


「君との婚約が破棄された」

「はい?」

「これが婚約破棄を認める書類よ」


 なぜだ。そんな話、私は聞いていない。ロジータが差し出した書類を受け取り、目を通していく。


 確かに書かれている内容は私とハイド王子の婚約を破棄するものであり、なぜか当家は一方的な破棄の代償としてロジータを差し出すことになっている。


 リントス公爵家側の過失と書きながら、私達が何をしたのかが一切書いていない。こんな中途半端な書類を作っておきながら、父のサインと並んで国王陛下のサインがある。


「ありえない……」

 私とハイド王子の婚姻は、先王と王妃様によって決められたものだ。

 そして国王陛下はその二人を何よりも恐れている。王妃様と結婚する前に愛人を孕ませてからというもの、王妃様には頭が上がらないのだとか。


 その時、愛人の腹にいた子供こそ、目の前にいるハイド王子である。

 当時愛人だった女性は出産前に側室になったとはいえ、『ハイド王子は愛人の子』というのが大抵の認識だ。


 王位を継承するのは王妃様が産んだ第二王子・ユーリス=ギィランガと決まっている。だが国王陛下の血を引いている以上、ハイド王子に間違いを犯されては困るのだ。


 二代続けて問題を起こしたとなれば王家の威厳は地の底に落ちる。

 そこで婚約者兼サポート役兼お目付役として選ばれたのが、六歳で三大聖女に選ばれた私だった。


 ただでさえ過酷と言われる三大聖女教育と同時進行で王子妃教育を受け、ひたすらに必要な情報を取り込んでいく。


 嫌いな男のために努力を続けなければいけない日々は地獄だったが、先王と王妃様は私を正当に評価してくれた。両親は妹ばかりを溺愛して、私のことは見てもくれない。だが将来家族になる二人は私の努力と結果を認めてくれる。嬉しかった。


 それに聖女として働くのも好きだった。


 教会という場所は社交界とは違い、貴族だとか平民だとか、どこの国や地方の生まれだとか、そういうのは一切関係ない。『神聖力』というたった一つの共通点を持った、様々な年齢・身分の人達が集まるのだ。


 すぐに仲良くはなれずとも、様々な側面を知っていくうちに仲を深め、幼馴染みや友達、疑似家族のような関係を築いていった。


 特に私と同じくらいの年で三大聖女に選ばれたサーフラとシシアと話すのはとても楽しく、彼女達が語る世界は私に多くの刺激を与えてくれた。


 私にとってかけがえのない親友だ。彼女達がいたからこそ、今までめげずにやってこられたのだ。


 なのになぜ……。

 婚約破棄が悲しいのではない。目の前の男との婚約などどうでもいい。


 ただ、なぜ自分は切り捨てられたのか。

 どんな失敗をしたことになっているのか。

 書類には書かれていない『理由』の部分が知りたかった。

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