【書籍化】追放聖女は獣人の国で楽しく暮らしています ~自作の薬と美味しいご飯で人質生活も快適です!?~
斯波
プロローグ
嫁入り後の美味しい生活
ここは獣人が治める国・ビストニア王国の王城にある一室。
『とある事情』でこの国の第三王子に嫁いだ私、ラナ=リントスに与えられた部屋だ。
「ふ〜ふふ〜んふ〜ん」
鼻歌を歌いながら手で髪を梳かす。
教会の仲間達曰く、私の鼻歌はどこかおかしいらしい。そこが少し癖になるのだとフォローしてもらってからは、なるべく人前では歌わないようにしている。
だが私の世話をしてくれるメイド達が来るまでまだ時間がある。
隣の部屋で過ごしているシルヴァ王子には、こんな関係になる前に聞かれていたようで、今さら隠す必要がない。
朝の身支度が整った合図として部屋の窓を開ける。すると遅れてドアが開く音が二回続いた。
一回はシルヴァ王子の部屋のドアが開く音。
そしてもう一回は私の部屋のドアが開かれた音だ。
狼獣人の彼は、窓を開く小さな音でさえも聞き取ってくれるのである。
「おはよう、ラナ。今日はいい天気だな」
「おはようございます。シルヴァ王子。絶好のお出かけ日和ですね!」
お決まりの挨拶をしてから、木製テーブルに置かれたテーブルクロスを手に取る。シルヴァ王子にも手伝ってもらいながらピンッと張る。
昼食時と夕食時はメイドが準備してくれるのだが、なぜか朝だけは二人で敷くことになっていた。
前日の夜、当然のようにテーブルクロスを置いて行くのである。
メイド達の意図が分からない。
といっても私に文句などなく、シルヴァ王子は今日も今日とて楽しそうに尻尾を振っているのだが。
私達の準備が整った頃合いを見て、メイド達が朝食を運び込んでくれる。
大きめのテーブルはあっという間に料理で埋まっていく。いつもながらすごい量である。だがこれがグルメ大国と謳われるビストニア王国では当たり前の光景。
嫁いできたばかりの、『冷遇』されていた頃の食事が少なかっただけなのだ。『冷遇』といっても、嫁入り前に想像していたものとはまるで違った。
夫となったシルヴァ王子と顔を合わせる機会こそなかったものの、三食しっかり用意される料理はどれも美味しく、メイド達は真面目に仕事をしてくれていたのである。
おかげで私は何かを不満に思うどころか、母国にいた頃よりも快適な生活を送っていた。
冷遇されるに至った大きな誤解も解け、今ではシルヴァ王子と毎食ご飯を共にするような関係に落ち着いている。
「ラナ様ラナ様」
私が今までのことを振り返っているうちに朝食の準備が終わったらしい。鳥獣人のメイドの一人は少しソワソワしている。
「あ、ちょっと待ってて」
彼女に断ってから、この部屋に置かれたもう一つの机から大きめの瓶を持ってくる。
瓶の中に入っているのは、昨日私が煮詰めたりんごのジャムである。
シルヴァ王子たっての希望で、今日のおやつにはこのジャムが使用される。
ちなみにこちらのジャムは私付きの使用人にもお裾分けすることになっている。
りんごを買ってきた時に約束したのだ。これで料理長にお菓子を作ってもらうのだとか。
「ありがとうございますっ!」
瓶を両手で大事そうに抱え、彼女は早足に部屋を後にする。
喜んでもらえて悪い気はしないが、ジャム自体は大したものではない。使用したりんごも城下町で見つけたものだ。
初めにお裾分けしたケーキの印象が強いのだろう。
『私が作ったもの=美味しい』という認識が出来上がっているような気がする。
困ったように小さく笑う。
「ラナは今日、どうするんだ?」
シルヴァ王子はそう尋ねる。今となってはお決まりの質問だ。
「午後からオレンジジュースのリベンジに行きます!」
グッと拳を固め、宣言する。
実は一昨日、町に繰り出した際、薬屋のすぐ近くに揚げ鶏の屋台を発見したのだ。
そこで販売しているオレンジジュースは、朝に収穫したばかりのオレンジをその場で搾って提供してくれる。
農園のある地域まではそこそこ距離があるのだが、足の速い子供が籠を背負って運んでくるのだそう。獣人だからこそできる取り組みだ。
揚げたての鶏肉を食べながら飲んだら絶対美味しい。
そう、私の本能が叫んでいた。
迷わず購入を決めたまではよかったものの、売り切れてしまっていた。
とはいえ一度、揚げ鶏と楽しみたい! と決めた私の意志は固かった。オレンジジュースと一緒に楽しむため、一昨日は揚げ鶏も食べずに我慢したのだ。
本当は昨日行くつもりだったのだが、風が強かったので諦めざるを得なかった。
だが今日こそは……。
美味しそうな香りを思い出し、涎が垂れそうになる。
「今度こそは買えるといいな」
一昨日の夜、私はいかに悔しかったかをシルヴァ王子に語った。すると彼は自分のことのように真剣に聞いてくれた。今もまっすぐに私の目を見据え、力強く頷いてくれる。
私は彼のこういうところが好きだ。
オレンジだけ売ってもらえるようなら、それを今日のお土産にしようと決める。
その後もなんてことない話をしてから、仕事に向かう彼を見送る。
私は早速、回復ポーションの調合に取りかかる。
昨日作った分だけでは少し足りないので、いくつか追加しておこうと思ったのだ。慣れた手つきで調合し、瓶に詰めていく。
昼食後、すぐに町に繰り出す準備を始める。いつもより少し早いが、今日こそはオレンジジュースを飲みたいという気持ちが私を急かすのである。
午後から出かけると伝えてあるため、使用人は皆、他の仕事をしてくれている。
念のため、机には『外出中』とだけ書いたメモを残しておく。
鍵をかけたトランクからポシェットを取り出す。見た目は平民の子供がお使いに行く際に持たされる、古着をリメイクしたようなポシェットだ。
だがただのポシェットと侮るなかれ。
これは聖女仲間である、錬金術師のジェシカからもらったマジックバッグなのだ。
大規模な商会が持っている荷馬車三台分くらいは入る。
容量を重視した結果、時間を止める効果を切り捨てたそう。それでも外よりも緩やかに時間が流れるため、半年保存が利くものならプラス二か月は保つのだとか。
私の嫁入りが決まった時に餞別としてくれたのだ。
餞別にもらった品はマジックバッグだけではない。調合道具と材料、裁縫道具、お忍び服、隠密ローブ、地図などなど。一つ一つ挙げていたら日が暮れてしまうほどに色々と用意してくれた。どれも大事に使わせてもらっている。
マジックバッグの中からお出かけアイテム一式を取り出す。お忍び服を着て、マジックバッグを肩から提げる。隠密ローブで姿を隠せば完璧だ。
いつものように風魔法で作った足場に乗り、窓から抜け出した。
風の流れに逆らわないようにゆっくり飛べば誰に見つかることもなく、無事に城下町に到着する。
隠密ローブを脱ぎ、薬屋のドアをくぐる。
「こんにちは〜」
「嬢ちゃんか。一昨日来たばっかりなのに早いな」
「前回来た時、オレンジジュースを飲み損ねまして……。今日はそのリベンジに来ました!」
ウサギ獣人の店主と話しながら、今回買い取ってもらう予定の薬をカウンターの上に置かれた買い取り箱に並べる。
「オレンジジュース?」
「ここのすぐ近くに出店している揚げ鶏の屋台で、もぎたてオレンジをその場で絞ってくれるサービスをやってるんですよ。揚げ鶏と合うって言われたら飲まないわけにはいかないじゃないですか。なのに売り切れで……」
「ああ、あそこか。あそこは入荷数がまちまちだから、日によってはすぐなくなるんだよな〜。美味いのは知ってるが、俺も今まで数回しか飲んだことがない」
「それだけ人気ってことですね! ますます飲みたくなってきました。買い取りが終わったらすぐに行かないと……。あ、今日も空き瓶を十本お願いします」
「十本な。瓶の値段を差し引いて、これが今日の買い取り金額だ。確認してくれ」
テキパキと金額を計算し、お金と共に瓶を用意してくれる。金額はピッタリ。瓶の本数も確認しながら薬箱にしまう。
「はい。確かに」
城下町に来る度に薬の買い取りをお願いしているため、このやりとりにもすっかり慣れたものだ。
「あの店に行くなら店主のオススメ野菜セットも頼んだ方がいいぞ。毎回入荷される野菜が違うんだが、どれも間違いない。野菜嫌いの子供もこの店のなら親にねだるほど美味い」
「絶対頼みますね!」
貴重な情報をくれた店主にお礼を告げ、薬屋を出る。
そして早足で目当ての店に向かった。屋台の奥で山積みになっているオレンジを見つけ、思わず顔がにやけてしまう。
「揚げ鶏とオレンジジュース、店主のオススメ野菜セットを一つずつください!」
「お嬢さん、タイミングいいな。今、揚がったばっかりなんだよ」
「本当ですか!? やった」
代金を渡し、商品を受け取る。
右手にオレンジジュース、左手には揚げ鶏が入ったカップ。野菜セットが入ったカップはその真ん中に。三角形を作るような配置でバランスを取る。
『両手に花』ならぬ『両手に食』である。
一昨日のうちに見つけておいたベンチに座り、自分の横に三つのカップを置く。
早速ピックを手に取り、本日のメインである揚げ鶏を突き刺した。
「あっくぅ」
揚げ鶏を噛かんだ瞬間、熱々の脂が口いっぱいに広がる。
口をほふほふと動かし、中の鶏肉を冷ます。最初から冷ませばよかったのかもしれないが、熱々を口に放り込んだ時にしか堪能できない美味しさもあるのだ。
口の中から一つ目がなくなったらすぐに二つ目も口に運ぶ。だがこちらは少し楽しんだらオレンジジュースを一気に流し込む。
「ぷはぁ。……二日待ってよかった」
肉の旨みとオレンジジュースのほどよい酸味は言うまでもなく、最高の組み合わせである。
これだけでも満足なのに、そこに野菜まである。
てっきりこちらも揚げてあるものだと思っていたが、全て生。カップを受け取ってから知った。食べやすいように小さくカットしてある。
オススメしてくれた薬屋の店主の顔を思い浮かべ、数種類ある野菜の中からにんじんを選んで口に運んだ。
「甘っ! これだけでカップ三杯は食べられそう。ここに入ってない野菜も気になるけど、野菜とはいえあんまり食べすぎたらお昼を食べるのが辛つらくなるし……。我慢我慢」
自分に言い聞かせ、残りの野菜も食べてしまう。
次の食事のために食べる量を調整するなんて、自国にいた頃は考えられなかった。
仲間のためを思ってセーブすることはあっても、美味しいものは食べられる時に食べるに限る。
数日に一度のペースで買い食いをする生活ともなれば、生まれ変わりでもしない限りはありえないと。
現実とあまりにもかけ離れていて、想像すらしていなかった。
今でもたまに夢なのではないかと思うほど。けれど美味しい料理を食べる度、これが現実であると実感するのだ。
お土産用にオレンジを八個購入し、市場を少し散策してから城に戻る。
自室ではメイド達が部屋を掃除してくれていた。今日は特別なおやつがあるからだろう。いつもよりも気合いが入っている。
私の帰宅に気づき、手を止めたメイドに声をかける。
「ただいま。今日のおやつにこのオレンジを使ったジュースを出してもらえる? それからいつもの三人が遊びに来てくれた時にも」
「かしこまりました」
オレンジの入った紙袋を託す。彼女はすぐキッチンに走ってくれた。
ちなみにいつもの三人とは、毎日のようにこの部屋を訪れてくれる獣人達のことだ。
猫獣人の女性は昼間に遊びに来てくれて、狸獣人と狐獣人の男性は夕方に魚のお裾分けに来てくれるのである。
そんなことを考えていると、タイミングよくドアが開いた。猫獣人の彼女が遊びに来てくれたのである。
「あら、今から出かけるところ?」
「いえ、帰ってきたところです」
話しながら、部屋に残っているメイドに目配せをする。
彼女は私の意図を察してくれたらしく、先ほど出て行ったばかりのメイドを追ってくれた。
「何かあるの?」
「美味しいオレンジジュースとおやつが」
「おやつって昨日のジャムを使ったものよね? オレンジもあるの?」
「今、買ってきたばかりなんですよ〜」
「へぇタイミングよかったわね」
「俺も飲む!」
開けっぱなしの窓からシルヴァ王子の顔がひょっこりと現れる。両手でグイッと身体を持ち上げ、するりと部屋に入ってきた。
「シルヴァ王子、窓から入ってくるのはやめてください」
お決まりの言葉を口にするが、今日も今日とてシルヴァ王子の心には響かない。この国でそんなことを気にするのは人間の私だけなのだ。
シルヴァ王子はもちろん、猫獣人の彼女も完全にオレンジジュースに意識を持っていかれている。尻尾の形も揺れる速さも違うが、どちらもすっかり見慣れたものだ。
おやつが運ばれてくる前に洗面所で着替えを済ませてしまう。
やはりというべきか、鏡までピカピカになっていた。ジャムの効果は絶大である。
そして三人でメイドが運んできてくれたオレンジジュースと、りんごジャムを使ったロールケーキを迎える。ロールケーキの生地には茶葉が練り込まれている。見るからに美味しそうだ。
「オレンジ、というとオレンジジュースは飲めたのか?」
「はい。このオレンジはそこの店で買ってきたんですよ。美味しかったので是非、皆さんにも飲んでほしくて」
「そうか」
「ふうん」
返事は短いが、二人の顔には喜びの色が滲んでいる。買ってきてよかった。心の中でガッツポーズを作る。
「さぁいただきましょうか」
私の合図でおやつタイムがスタートする。
「そういえば揚げ鶏の方はどうだったんだ?」
「美味しかったですよ。オレンジジュースとの相性もバッチリで! それから薬屋の店主にオススメしてもらった野菜も食べました。毎回入荷される野菜が違うらしいので、また行ってみようと思います」
「ああ、ラナの話によく出てくるウサギ獣人の」
「店主のオススメ野菜セットっていうのを注文しまして、色々入ってたんですが、にんじんを見てたら薬屋の店主の顔を思い出しちゃいました」
「ラナは本当に彼と仲良しなんだな」
シルヴァ王子の暗い声で、しまったと気づく。
野菜の美味しさについ余計なことまで話してしまった。
シルヴァ王子は自分よりも先に私と交流をした薬屋の店主に思うところがあるらしい。彼の話をすると尻尾までしょんぼりと垂らし、元気をなくしてしまうのだ。
「薬屋の店主と常連なんてこんなものですよ」
誤解されないようにしっかりと、けれどアッサリとそう告げる。
確かに私にとって、薬屋の店主は特別な存在だ。
だがそれはビストニア王国に来てから初めてできた知り合いだから。私がギィランガ王国から来た人間だと知っても、彼の態度は変わらなかった。
もちろん隠している情報はあるけれど、何もかも打ち明ける必要はない。あくまでも『薬売りと薬屋の店主』でしかないのだから。
越えられないラインがあるからこそ心地いい関係もある。私も彼もよき取引相手であり続けたいだけなのだ。その先を知り、相手側に踏み出す必要性はない。
「食べないならそれ、私がもらうけど」
私が困った空気を察してか、はたまたロールケーキが気に入ったからか。猫獣人の彼女はシルヴァ王子の分のロールケーキに視線を向ける。
「ダメだ!」
狙われていると気づき、シルヴァ王子は彼女から皿を遠ざける。そして少しだけ耳を垂らしながら、私の様子を窺うようにチラチラと見る。
「実は俺もオススメの野菜があるんだが……」
「食べてみたいです!」
「夜に用意させよう!」
機嫌を直してくれてよかった。耳も尻尾も元通りだ。
ホッと胸を撫で下ろす。
もちろん、彼オススメの野菜が食べてみたいというのも紛れもない本心だ。
だがこの国に来るまで、夫となる人とこんな会話をする日が来るとは思わなかった。
少し前の自分に『ビストニア王国の人達と楽しくお茶をしている』と言っても信じなかったはずだ。
ビストニア王国への嫁入りが私の人生を大きく変えたのである。
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