89. 失っても

「家が心配だから、一旦戻ろう」


 ワイバーンを倒し終えて休んでいると、クラウスがそう口にした。

 あれだけ炎を吐くワイバーンが暴れていて、私たちの周りの建物も半数以上が火の手を上げているこの状況。


 本当に大事なものはマジックバッグに入れてあるから失うことは無いけれど、お気に入りの服達はそのままだから、火事になっていたら大変だわ。


「うん、急ごう」


 私のすぐ近くに他の冒険者が居るから、普段よりも低い声にして答える。

 手を繋ぐなんてことも怪しまれてしまうから、今は我慢して家の方へと足を向けた。


「あの辺りも燃えているわね……ワイバーンは倒したはずなのに」


「離れている隙に燃やされたみたいだな」


 嫌な予感がするから、小走りで向かう私達。

 そして、隣の屋敷が火の手を上げている様子が目に入った直後、家の屋根が燃えている様子も見えてしまった。


「まだ屋根と三階だけだ。急いで物を集めよう。

 これ以上燃え広がらないように出来るか?」


「やってみるわ」


 この辺りの人は全員避難したみたいで、私達以外の気配は無い。

 だから水魔法で家を包むようにして、火を消せないか試してみる。


「勢いは抑えられたけれど、まだ燃えているみたい……」


「家は諦めて、必要なものだけバッグに仕舞おう」


「分かったわ」


 燃えている家の中に入るのは危険なことと分かっているけれど、男装用の服のように簡単には手に入らない物が沢山あるから、取りに入らないという選択は出来ないのよね。


 それに、防御魔法があるから普通の炎は怖くない。

 離れていても、一度かけた防御魔法は魔力が続く限り効果があるお陰で、クラウスが炎に巻かれてしまう心配もしなくて済んでいる。


「二手に分かれよう」


「防御魔法、かけておいたわ」


「助かる」


 短い会話のあと、マジックバッグに入るだけの物を集める私。

 クラウスは別の部屋に行っているから姿は見えないけれど、防御魔法の感覚は伝わってくるから、無事だと分かる。


「これで最後ね……」


 クラウスも私も、思い入れのある家具は置いていないから、本当に最低限の物だけを入れてから部屋を出る私。

 ここにある物で思い入れのあるものは、クラウスと少なくない時間を過ごしてきたこの家そのものなのだけど、屋根は焼けてしまっているから住み続けることは出来ないと思う。


 悲しいけれど、魔物が起こしたことだから、他人に怒りをぶつけることなんて出来なかった。

 この家の主であるクラウスは、私よりも大きな怒りを抱えているはずだけれど、片鱗すら覗かせていないのよね……。


「こっちは終わったわ」


「こっちも終わった。服は持ったかな?」


「ええ、大丈夫よ。クラウスも大切なものは仕舞えたかしら?」


「シエルとずっと住んでいくつもりだった家が焼けてしまったことは心残りだが……」


 クラウスがそう口にした直後、横からガラガラと何かが崩れる音が聞こえて来た。

 咄嗟に水以外の防御魔法を使ったけれど、クラウスはお構いなしに私の手を引いていく。


「隣の屋敷が焼け落ちたと思う。急いで逃げよう」


「分かったわ」


 彼の方がこういう時の経験が多いから、素直に聞き入れた方が良いことは分かっているから、素直に聞き入れて行動する私。

 けれども、玄関を力いっぱい押しても開かなくて、逃げられなくなっていた。


「少し離れて」


「うん」


 よく見ると柱が斜めに傾いているから、そのせいで開けられなくなっている様子。

クラウスはそれに気付いているみたいで、玄関の扉に攻撃魔法を放って穴を空けた。


とげに気を付けて」


「ありがとう」


 そうして無事に家を脱出した私達は、すぐに聞こえて来た音で振り返る。


「クラウスが言っていた通りね……」


「ああ。

 家のことは諦めよう。命があるうちは、いくらでも作り直せる」


 隣の屋敷に寄りかかられている家は、少しずつ傾きを大きくしている。

 私が魔法で支えたら崩れてしまうまでの時間は稼げるけれど、守りたいものは家そのもの以外に無いから、せめて最期の姿を見届けたいわ。


「そうね。今はクラウスも私も無事だったことを喜びたいわ」


「俺も同じ気持ちだ。

 思い出も頭の中にある限り失われないし、命ある限りは思い出も作れるからね」


 クラウスはそう口にすると、反対側に建っている屋敷に被害が出ないようにと、攻撃魔法で家を崩してしまった。

 それからは、パチパチと何かが燃える音だけが聞こえていた。


 それが切なくて、悲しくて。目頭が熱くなってしまう。

 けれど、クラウスの方が悲しんでいるはずだから、涙だけは零さないように我慢した。

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