60. 取り込みます

「遠見の魔法……そんなものがあったのね」


 エイブラム侯爵邸に戻ってから少しして、私はクラウスから新しい魔法を教わっていた。

 この遠見の魔法というのは、光を曲げる事で遠くを見やすくする効果があるみたいで、魔物を探すのに重宝するから練習することになった。


「絵に描くとこんな感じ。出来そう?」


「こうかしら?」


 言われた通りに試してみると、視界の一部だけが大きく見えるようになる。


「そんな感じで合っていると思う。

 一回目で成功するとは思わなかったよ。やっぱりシエルは天才だ」


 そんな言葉を交わす私達が今いるのは、ここ侯爵邸で一番高い屋根の上だ。

 一歩踏み外せば五階分も下にある地面へ真っ逆さまなのだけど、いつもの防御魔法を使っているから擦り傷すら負わないと思う。


「褒め過ぎよ。クラウスの説明が上手だったお陰だわ」


「それなら、お互いに上手だったという事にしよう。

 魔法の角度を変えられたりする?」


「ええ。こんな感じかしら?」


 クラウスに言われた通りに向きを変えてみると、大きく映っている場所も変わった。

 最初は石畳が見えていたけれど、今度はどこかの貴族のお屋敷の中が見えている。


「覗きは良くないわよね……」


「いや、待ってくれ。今、見覚えのある色の髪が見えた。

 もう少し小さく……光が曲がる角度をこの向きに出来る?」


 手で具体的な角度を教えてもらって、言われた通りにしてみる私。

 すると、その部屋の全体がはっきりと見えるようになった。


「ヴィオラ様……」


「頭頂部が禿げてる男の方は、スカーレット公爵だね」


 ヴィオラ様は公爵様に服の胸元辺りを掴まれて、何かを言われている様子だ。

 口の動きは……何度も「申し訳ありませんでした」と謝っているように見える。


「これって……ヴィオラ様は父である公爵様の命令で動いていたのかしら?」


「調べないと分からないけど、その可能性は高そうだね。

 それに、この扱いを受けているくらいだから、ヴィオラ様に付け入ることは出来ると思う」


 具体的な手段はまだ話していないけれど、こういう状況に置かれている人というのは、甘い誘いに惹かれやすくなると思う。

 毒を盛った事については反省してもらうつもりだけれど、同時にあの状況から助けたいとも思ってしまう。


「そういう事なら利用した方が良さそうね」


「ああ。明日、提案してみよう」


「ええ」


 それから少しして、見ていることに気付かれたのか、カーテンを閉められてしまったから、私達は屋根の上から降りて、グレン様の執務室へと向かった。


「シエルです。相談事があるので、入っても宜しいでしょうか?」


「どうぞ。鍵は開いています」


 扉越しに声をかけると、すぐに入室の許可が出た。

 入口で軽く一礼してから、グレン様の前に進む。


 クラウスは途中で知り合いだという冒険者につかまってしまったから、今回は私一人だけだ。


「何か使えそうな手掛かりが見つかったのかな?」


「ええ。毒を仕掛けたと思われる人物がスカーレット公爵家のヴィオラ様だという事はお話しましたけれど、彼女が家で不遇な扱いを受けている可能性がありますの。

 精神的に弱っていると思うので、温かい条件で誘い出せたら、証人に出来るかもしれませんわ」


「遠くを見る魔法で直接確認したので、間違いありません。

 ただ、ヴィオラ様の断罪後の生活を保障できないという問題があります」


 今のままだと、ヴィオラ様が家を切り捨てる利点は少ない。

 けれど、断罪後に今の生活よりも良くなると説得出来るのなら、誘い出す理由になるのよね。


「なるほど。今回は死人が出ていない上に、スカーレット公爵殿の狙いも分かるかもしれない。

 無罪放免とはならないかもしれないが、刑罰を終えてから使用人として我が家で受け入れる事も可能だと伝えて欲しい。

 ヴィオラ嬢は優秀だから、平民として見捨てるのは勿体ない」


「分かりましたわ」


 利用できる物は利用する。あまり好ましいとは思えない考え方だけれど、今回は人助けという意味もある。


 それに、このまま放っておいたら、今度はヴィオラ様が消される可能性だってあるのよね……。

 一度仲良くなった人を失うのはすごく悲しいことだから、絶対に避けたい。


「そうそう。例の証拠を裁判で借りることを約束してもらえた。

 指紋を取る準備は大丈夫かな?」


「これからですわ。

 まだ材料が集まっていませんから」


 材料と言っているけれど、指紋を浮かび上がらせるだけならパンの材料になる小麦粉だけで済むのよね。

 でも、それだと手法の中身を明かすことになるから、こうして誤魔化している。


「そうか。その材料というのは、何かね?」


「小麦粉が足りませんの。魔物から取れる素材は集められたのですけれど、小麦粉は魔物から出ないので困っていましたの」


「なるほど。小麦粉なら厨房に在庫がある。後でシエルさんの部屋に運ばせよう」


「ありがとうございます」


 そう口にしながら頭を下げると、グレン様も柔らかい表情を浮かべてくれる。

 空気が重くなってしまう時もあるけれど、今日は終始和やかな雰囲気だったから、すごく話しやすかったわ。


「他に相談はあるかな?」


「いえ、今日はこれで大丈夫ですわ。

 相談に乗って下さってありがとうございました」


 もう一度頭を下げてから、私はグレン様の執務室を後にした。




 それから一時間ほどが過ぎた頃。

 ゴブリンの骨やリヴァイアサンの鱗を砕いたものを混ぜ込んだ小麦粉を手に、応接室へと向かった。


 これからするのは、騎士団の方々の前で指紋を浮かび上がらせる作業。

 失敗は許されないから、緊張してしまう。


 小麦粉をかけるだけの簡単な事なのに、緊張してしまうだなんて……。

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