59. side 獣の声

 シエルが冒険者ギルドに立ち寄っている頃のこと。

 スカーレット公爵家に怒号が響いた。


「失敗しただと!? スカーレットの長女が何をしている!」


 声の主はこの屋敷の主である公爵その人で、声を向けられているのは長女のヴィオラだ。


「申し訳ありません……」


 娘が恐怖で小さく震えている事など気にもかけず、スカーレット公爵は言葉を続ける。




 ちなみに、この直前にあったのは、ヴィオラが毒殺に失敗したことを報告しただけである。

 シエルが生きていること自体は公爵が想定していたことだから、咎めるような事は無かった。


 けれどフィーリアに冤罪を着せるのに失敗したことは、全てヴィオラの責任だと激しく叱責しているという今の状況。

 無職になりたくない使用人達は、この様子を黙って見ているだけで、ヴィオラの助けを求めるような視線には応じていない。


「わざわざ料理人の買収まで手配したのに、証拠の偽装に失敗するとは許せん!

 次は必ず……フィーリア・エイブラムに冤罪を着せて、シエルを消すように」


 毎日のように厳しい教育をしてきたお陰で、更なる叱責を恐れるヴィオラから失敗の原因が語られる事は無い。


(どうして……シエル様はわたくしを死なせてくれなかったのでしょう……)


 だから、シエルには毒が効かないことも、公爵は知らないままだった。


「もう良い。こうなることも予想して、別の手段も用意していた。

 シエルは実技の授業中に事故死、したのだろう?」


「いえ、今日も最後まで残っていましたわ……」


「何だと……」


 ほとんどの学院生が扱えない上級の攻撃魔法は、より難易度が上がる上級の防御魔法以外で防ぐ術が無い。

 おまけに適性のある者が少ないとされる闇魔法以外では防ぐのが難しい光魔法の攻撃魔法をフィオナに習得させていた。


 それを防がれたとなると、シエルに幻惑魔法を看破され、さらに防ぐのがかなり難しい光の上級魔法を対処されたことになる。


「シエルという令嬢は……宮廷魔導士に匹敵する強さという事か……。

 ヴィオラ、この部屋から出ていきなさい。次に失敗したら、仕置きをする」


 そう独り言ちる公爵は、悩んでいる姿を見られまいとヴィオラに退室を指示する。

 脅しも忘れていない辺り、最低の父親であることは確かだ。


「しまった。これは遠見の魔法……」


 直後、誰かに今の様子を監視されていたことに気付く公爵。

 彼は遠見の魔法を阻害するために大慌てでカーテンを閉めていた。


 その結果、屋敷が冒険者達によって包囲されていることに気付くのが遅れ、やる気の無い衛兵によって報告が上がった時には、退路を完全に塞がれていた。


「何か用でしょうか?」


「スカーレット公爵様で間違いありませんか?」


「いかにも。私が……」


「そうですか。貴方には、我々の仲間を暗殺しようとした疑いがあります。

 疑いを晴らすためにも、是非捜査に協力して頂きたく思います」


 いくら冒険者ギルドといえ、何の証拠も無しに貴族の屋敷に押しかける事は無い。

 今回も、しっかりと皇帝から許可を得ての動きだ。


 ここで捜査を拒めば、今目の前に居るSランク冒険者の言葉を肯定することになる。

 それに、公爵には冒険者に手を出したという自覚が無かったから、怪しまれないうちにと即答した。


 もう証拠の片鱗を掴まれているのだから、どう答えても辿る道は同じなのにも関わらず。


「構いませんよ。何もやましいことはございません」


「では、二週間ほど、お時間を頂きます」


「ええ、構いません」


「ご協力に感謝します。では、早速失礼します」


 そう口にして、冒険者達が続々と中に入ってくる。


(証拠になる物は絨毯の下にある隠し収納の中だ。絶対に見つかることは無い)


 そんな様子を見て、公爵は勝ち誇ったような表情を浮かべている。

 けれど、彼が執務室に戻った時、その表情は一気に焦りへと変わった。


「旦那様、フィオナ・ファンルーシア男爵令嬢が拘束されました。これから拷問を含めた取り調べが行われるようです」


「不味い……あの娘が拷問に耐えられるとは思えん。すぐに消すように」


「無理ですよ。この監視された状態で動けば、すぐに明るみに出てしまいます」


「だが、裁判までに始末すれば……」


 焦りを隠しもせず、そんな言葉を絞り出す公爵。

 しかし、その案も執事によって否定されることになった。


「裁判は来週執り行われるようですから、間に合いません。諦めて下さい。

 それから、こちらも重要な連絡ですので、お受け取り下さい」


 そんな言葉と共に差し出される封筒……裏側に『辞表』と大きな文字で主張しているそれを疑うことなく公爵は受け取る。

 執事は晴れ晴れとした表情で一礼し、執務室を後にした。




 この日、スカーレット公爵の執務室から、獣のような声が聞こえたと冒険者の中で噂が流れたのは、また別のお話。

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