第22話 皇帝と初めてのキス



 ……夢を見ていた。

 私が、まだ地球に居た頃の夢だ。


『…………ただいま』


 深夜2時。

 家に帰る。だが誰も、家の中にはいない。


 真っ暗な闇が私を出迎えてくる。

 ただいま、とつぶやくその声は、その闇のなかに消えていった。


 私は残業で疲れ切った体を引きずりながら、リビングへと向かう。

 ソファに、服のまま倒れ込む。化粧を落とさなきゃとか、風呂に入らなきゃ、とか。


 そういう【しなきゃ】という意識が頭の中にあれど、体が言うことを聞いてくれない。


 ただひたすらに、だるくて、動けない……。


 ピコンッ♪


『…………ラインだ』


 ラインを開く。グループラインには、赤ん坊の写真が送られてきた。


 私も3ぴー歳。

 友達は、もう結婚して、マイホームを建て、そして……子供を産んでいる。

 

 みんな当たり前のように、家族を作っている。

 そんな中で私は、いつまでも独りぼっちだ。


『……はは、可愛い赤ちゃんだね、っと……』


 思ってもいない言葉を、つい、ラインに流してしまう。


 独り身、そしてアラサー。そして社畜。

 そんな私のなかに芽生えた感情は……羨ましい? 妬ましい?


 いや、違う。

 ただただ、虚無だった……。


『私……なにやってんだろう……?』


 同級生はドンドン結婚していく。

 仕事を辞め、家庭に入り、子育てをする。


 そんな彼女らのほうが、私よりも上等に思える。

 金を稼ぐより、子供を産み、育てることのほうが、社会的な意義は大きい気がする。


 ……その一方で、私は。

 いつまでも、自分のために働いてる。


 残業で、遅くまで働いて……で?

 だから……?


 遅くまで働いてるから、なに?

 誰かが褒めてくれるの?


 そもそも……どうしてこんなに、一生懸命働くの?

 誰も褒めてくれないのに?


 誰も……側にいないのに?

 養う家族もいない私。


 いつまでも、一人の……私。


『…………』


 さみしい、という言葉は口にしたくなかった。

 それを口にしたら、余計にさみしく、むなしく感じるから。


 スマホをいじる以外に何もできない私。

 ラインやインスタには、楽しそうにしてる女の子たちの姿があった。

 SNSをやってない女性達も、その場にはカレシや、旦那、子供が居て……毎日楽しそうにしてるのだろう。


 ……それなのに。

 私は……。


『………………さみしい』


 ああ、言ってしまった。

 言うまい言うまいとしていたのに。


 そうだよ、さみしいに決まってるじゃ無いか。

 30を過ぎて、独りぼっちなのだから。

 さみしさを紛らわそうと、必死に働いても、この胸に開いた穴は塞がらない。

 でも……じゃあどうやって、家族を作れば良いのだろう。


 私は小中高大、とずっと真面目に勉強してきた。

 大学卒業後も、真面目に働き続けた。


 そんなツマラナイ私に……言い寄ってくる男は、いなかった。

 もう男なんてどうでもいい、結婚は諦めよう。


 3ぴー歳となった私は、そういう境地に達した。


 けど……だからといって、このさみしさが、消えることはないのだ。


『さみしい……さみしいよ……』


 弱々しくつぶやく、私……。

 その手を……。


 誰かが、ふわりと優しく掴んでくれる。

 ーー『大丈夫』


 声が聞こえた。

 優しい、けれど、力強い声だ。


 ーー『俺が、セイコの側にいます』


 そいつは、10以上も年下で、頼りなくて、バカで……。

 でも……。


 ーー『あなたを、決して一人にしませんから』


 私は、そんな彼の声に、心からの……安堵を覚えているのだ。


    ★


「ん………………ここは?」


 意識が覚醒する。

 知らない天井が、そこにあった。


「お目覚めですか、聖母様?」

「ユーノ……」


 有能執事ユーノが、私をのぞき込んできた。

 眼鏡の奥の赤い瞳に、少しだけ……涙が浮かぶ。


「おまえ……泣いてるのか?」

「すみません。嬉しくて……つい……」


 こいつでも嬉しくて泣くことってあるんだな。

 いつも表情を一切変えない、クールなやつだと思っていたから。


「心配させて悪かった」

「いえ……心配など。ただ、魔力を一時的に失ったことによる、意識障害だとわかっておりましたので」


 私は蘇生薬を作った際に、体の中の全魔力を一気に失った。

 魔力を一度に大量に失うと、気絶してしまう。これは生理現象だ。


 別に病気でもなんでもない。

 ユーノはわかってる。


「ただ……そちらの彼は、わかっていなかったようで」

「え……?」


 私の手を……。

 アスベルが、握っていた。


「んぐぅ~……うううぅん……」

「アスベル……」


 私はどうやらベッドで寝てることがわかった。

 その隣に椅子を置いて、アスベルが座っている。


 そして……ぎゅっ、と手をつないでくれていた。

 ……温かい。


「アスベル様はあなた様が倒れてから今までずっと、貴女の手を握っておりました」

「ずっと……?」


「はい。ずっと。片時も離れず」

「なんで……また……」

「目覚めたとき、貴女がひとりだと、可哀想だ……とおっしゃってましたよ」


 彼が側に居てくれた。

 私を、思って。


 ……なんだろう。

 胸の奥に、温かな感情が流れ込んでくる。


 現実にいるときには、決して、感じることの無かった暖かさ……。


「私は外に出ております」

「は? なんだよ急に……」


「二人きりになりたいかと思いまして」 

 ………………ちっ。

 有能すぎるのも、問題だな。


 私が倒れたと、多分サホのあたりから聞いたのだろう。通信機で。

 そして、ここへ飛んできて、村人たちの治療や、壊れた村の復興などを、指揮したのだ。


 アスベルの、代わりに。

 そうに、決まってる。


 アスベルは……。

 しなくちゃいけないことが、山ほどあったのに。


 したいと思ってることが、いっぱいあいったのに。


 他でもない……私を、優先してくれたのだ。

 私の側に……ずっと……居てくれたんだ。


「…………」


 胸に広がる、この気持ち。

 多分……愛おしい、っていう感情が、一番しっくりくる。


 子供に対して抱く愛おしさとは、また少し……違った、気持ち。

 それを口に出すのは、照れくさくて、はばかられた。


「んがー……ぐぅ~~~~~~~」


 ……あ゛ー、イライラしてきた。

 こいつ……。


 私がこんなに、心乱されてるっていうのに。

 なにのんきに眠ってやがるんだ。


 私はアスベルの鼻を摘まむ。


「ふがっ!」


 がばっとアスベルが目を覚ます。

 

「おう、アスベル。目ぇさめ……きゃっ!」

「セイコ様あああああああああああああああああああああ!」


 絶叫、そして……ハグ。 

 アスベルが私を、強く強く抱きしめてきた。


「おめざめになってぇえええええええ! うぉおおおおおおお! もう二度と目覚めないかと思っててぇえええええええええ!」

「わ、わかった……すまなかったって……泣くなよ……」


 アスベルが号泣していた。

 いつもみたいに、ガキとか、バカ……とか。


 そういう言葉は……出てこなかった。

 私のために、うれし涙を流してくれたことが……私にとって嬉しかった。


 いつまでもワンワンと泣いてる彼の背中を、知らず、よしよしとなでる。


「ごめんな」


 ……ごめん?

 何を謝る? いや……当然だろ。心配かけたんだから。


 いつもだったら、『何泣いてるんだい』とか『バカだねえ』とか、言うのが……私だぞ?


 そんな私が謝るなんて……。

 こりゃあ……いよいよもって、【そう】なんだろうなぁ。

  

「ううぅ……セイコ様が謝る必要なんてないですよぉ……」

「かもな。心配するほどじゃないって、普通わかるだろうし。ただ魔力を使い尽くして気絶しただけだし。病気でもなんでもないし。それを知らなかったおまえがちょっと勉強不足なとこあるし。」


「はぃいいい……」

「けどな……アスベル」


 私は……言う。


「嬉しかった」

「え……?」


「私のこと心配して、泣いてくれたこと。倒れた私のそばにずっといてくれたこと。起きた私に……良かったって、泣いてくれたこと……嬉しかった」

「セイコ様……」


 私は彼の頬に手を置く。

 

「アスベル。ありがとう」


 私がお礼を言うと……。

 かぁ……とアスベルが顔を真っ赤にした。


 そして、ずさささっ! 後ずさりし、尻餅をつく。


「何やってんだい……」

「す、すみません……! あの……その……つい……照れてしまって……つい……うう……」


 アスベルは顔を、湯気が出るんじゃないかってくらい、真っ赤にしていた。

 それが……かわいらしくて、笑ってしまう。


「これくらいで何照れてるんだい。ええ、旦那様よ」

「や、いや……だって……セイコ様は、その……う、美しすぎますし……そんな綺麗なお顔を、近づけられたら……だ、誰だってこうなりますよっ!」


 美しいだろうか。

 まあ、こっち来てから睡眠と栄養をたっぷり取るようにしたから、現実世界にいたころよりは若く見えるかもだが。


「セイコ様はもっと、自分が美しいことを自覚なさってください!」

「はは、すまないねえ……」


 なんだろう。

 彼にキレイだと言われると、うれしい。

 それと同時に、つい……からかいたくなる。


「ところでアスベルよぉ。セイコ様、なんだな」

「え?」


「おまえ、私が気を失う前、セイコって呼んだろ?」

「あ! あ、いや……それはその……す、すす、すみません! 不敬でしたね! セイコ様」


 慌てふためく彼が、実に面白い。


「また、セイコって言ってくれないのかい?」

「え……?」


「嬉しかったんだけどね」

「あ、え? ほ、ほんと……ですか?」


「ああ。なぁ……アスベル。呼んでおくれよ。セイコって」

「あ、いや……で、でも……」


「アスベル」


 年下のガキに、呼び捨てにされたら、ぶん殴ってるとこだ。

 でも……こいつにならいいんだ。


 こいつだけになら……。


 そんな私の胸の内を、悟ったのかどうか知らないが……。


「わ、わかりました……。せ、セイコ」


 胸の奥に、また温かな感情が流れてくる。

 名前をただ、呼んでくれただけなのに、愛おしさがあふれてくる。


 ああ、やっぱり私は……。


「アスベル。おまえ、私が好きか?」

「うぇえええ!? ななな、なんですかぁ!?」


「いいから。ほら、答えろよ」

「そりゃ……その……」


 アスベルが動揺しまくったあと、こくんとうなずく。

 そして私の目を真っ直ぐに見て。


「はい! 好きです! 大好きです! この世界で、アンチと、あなたが、ツートップで大事です!」

「ふっ……合格だよ」


 私が一番なんてぬかしたら、ぶっ飛ばしてるところだった。

 私はベッドから下りて、アスベルの顎をくいっ、と持ち上げる。


 そして……唇を重ねた。

 

「私も好きだよ、アスベル」

「…………………………きゅう」


 ばたん!


「お、おいおい……おまえ……キスくらいで気絶するなよ……」


 アスベルはもう、めちゃくちゃ幸せそうな顔で、気ぃうしなっていた。

 ったく、大げさなやつだ……。


 でも……嫌いじゃ無いよ。

 おまえの、ウブなとこも。


 私は倒れてるアスベルをお姫様抱っこして、ベッドに寝かせる。

 その隣に座って、彼の手を握ってやる。

 私に、そうしてくれたように。


 彼の手を、ぎゅっと……。

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