第10話 富永由香の場合<3>

 お出かけの約束をして、数日。

 どこにいこうか、なにをしようか。

 考えなければいけないのに、今までそんな経験が一切ないものだから全く思いつかない。

 図書館にいき、雑誌をとにかく読み漁る。ふと目に付いた記事には『失敗しない初めてのデートプラン!』という大きな見出しがついていた。

 デート。流石に意味合いは知っていたが、そういえばあゆみちゃんは前もわたしを誘ってくれた時にデートと言っていた。つまり、あゆみちゃんはわたしのことが、……そこまで考えて、少し頭がフリーズする。けれど向けられた好意は決して嫌な感情ではなかった。


 結局、あゆみちゃんにメールをして行きたい場所を聞くことにした。

 あゆみちゃんは、最近オープンした遊園地に行かないかと提案してくる。

 遊園地だなんて、知識としてはあっても行ったことがない。それに、『事故』が万が一起こったら大惨事になりそうだ。

 けれどあゆみちゃんはわたしの思考を読んでいるのか、『ちなみに、事故は絶対起こらないから安心していいよ!』という一文が下の方に書いてあった。

 根拠も何もないのだろう言葉。けれど、確かにわたしの心を救ってくれる言葉。

 遊園地にしようか、という返事をしたときには胸がよくわからない高鳴りを覚えていた。


 お出かけ……デート、の約束の前日。まったく眠りにつけそうにない。

 よく遠足の日にクラスメイトが、今日が待ち遠しくて昨日眠れなかったと言っていたのを聞いてはいたが、こんな感覚だったのか。

 何のことを言っているのだろうとばかり当時は思っていたが、なるほどこういうことか。

 もう時刻は22時。あゆみちゃんはとっくに寝ているだろう。今連絡を取っても迷惑をかけるに違いない。

 けれど、もしかしたら。あゆみちゃんなら、笑いながら話を聞いてくれるのではないだろうか。

 淡い希望に、わがままだと自覚しながらも震える手で通話ボタンを押す。数コールの間が、永遠にも感じられた。

 時間にすると、ほんの数秒。5コールもしないうちに、電話がつながる。

『もしもし、由香ちゃん?』

 いつも通りの声に少しの安堵と、少しの胸の鼓動。

「夜遅くに、ごめんなさい。その……少しお話しできないかと、思って」

 自分でも何を言っているのかがよくわからないような混乱。もしかしたらわたしは軽くパニックになっているのかもしれない。

 自分のことなのに他人事のように感じながら、あゆみちゃんの返事を待つ。

 もし、怒られたら。愛想をつかされたらどうしよう。そんな恐怖も持ちながら。

 けれどそんな私のキモチは、あゆみちゃんのたった一言で解消されることとなる。

「もちろんいいよ! ちょうど私も、楽しみで眠れなかったからさ。お話ししよう?」

 今まで感じたことのない嬉しさに戸惑いながらも、わたしたちの話はどちらともなく寝てしまうまで続いた。


 初めての遊園地は、驚きと喜びでいっぱいだ。

 天気にも恵まれて、空には雲一つない。

 あちらこちらが眩しくて、とてもキラキラしていて。ふたりで歩いているだけで、まるで夢の中にいるみたい。

 露店に出ていた味の違うポップコーンやチュロスなどをふたりで買って、お互いのものを食べさせあう。

 カップ型の乗り物に乗って、景色がグルグルして瞬く間に目が回る。

 ゆっくりと回る馬車に二人で乗りながら、お姫様になったみたいだと話しかける。

 なにやら長いレールを動いている乗り物に行ったときには、最初ゆっくりだったものだから油断をしていたらあまりの落差に恐怖した。

 そんなことをしていたら、あっという間に一日は過ぎていってしまう。


 一日の最後にわたしたちが選んだ乗り物は、観覧車というゆっくりと昇り降りをするものだった。

 夕焼けは眩しいが、高いところから小さくなった街を見た時、わたしはなんとも言えないさみしさを感じる。

 こんなに広い街なのに、わたしの世界はこの中のほんの一部。そして、そんな世界でわたしはこんなにもすてきな人に出会えた。

「今日は、楽しかったわ」

 ぽつりとつぶやいた言葉に、そうだね、という言葉が返ってくる。

「ジェットコースターでの由香ちゃんの悲鳴、すごかった。あんな大声普段きいたことないんだけど!」

「もう。忘れてちょうだい」

 また少し、街が小さくなる。

「結局あのマスコット、何の生き物だったのかわからなかったわね」

「あぁ! あの……牛のような、馬のような……お土産売り場のやつだね」

 今日を振り返る度、街がどんどん小さくなる。

 わたしたちの一日が、終わってしまう。

「……また、一緒に遊んでくれる、かしら」

 勇気を出した、一言。

 あゆみちゃんの顔は逆光で見えない。

 乗り物の中に沈黙が流れる。

 けれどその沈黙は、朗らかな声で破られた。

「そんなに緊張しなくても、これからいくらでも時間はあるんだから」

 これから。

 そうか、今日が終わってもまた明日だってある。明後日だってある。

 今までのようなただ消費するだけの一日じゃあない。一日一日をかみしめて、楽しむことができる。

 そんな日が、毎日続く。

「えぇ。……ありがとう」

 ふと、風を感じる。

 目の前のあゆみちゃんの笑顔は輝いていた。


 帰り道、遊園地から出た時。あゆみちゃんは急に手を差し出してきた。

「ほら、えっと。その、最近物騒だから!」

 あまりにも言い訳じみた言葉に、クスリと笑ってしまう。

「ありがとう。それならよろしくね」

 手と手が重なり、そのままどちらともなく握りしめる。

 見慣れない道を、ふたりで歩く。

 時々ぽつりと何かを話したり、話さなかったり。けれど、気まずい空気はそこには流れない。

 誰かと一緒にいて、こんなにも安心することが、嬉しいと思うことがあるなんて。おばあちゃんが亡くなってからは想像もできないものだった。

 そして、あっという間に別れの時間はやってくる。

 家の前に着いて、名残惜しく思いながらも手を放す。

「またね」

「ええ。気を付けて帰ってちょうだい」

 お互いが見えなくなるまで、わたしたちは手を振っていた。

 あゆみちゃんが振り返る度に、彼女のカバンにつけられた遊園地のマスコットキャラクターが揺れている。

 またね、なんていう言葉がこんなに素敵だったなんて。

 カバンの中に入っているきれいな包装を少しだけ握りしめて、わたしは家の扉を開けた。

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