第5話 篠崎あゆみの場合<3>

 先日から、由香ちゃんの様子がおかしい。

 話しかけに行っても避けられるというか、今までのことがなかったかのように少しずつ距離が空いていく感覚。

 この前の土曜日の事が原因だろうな、とわかってはいたけれど。

 それがどうして避けられることにつながるのかがわからない。

 結果的に私には何もなかったし、由香ちゃんは何を気にしているんだろう。

 少し、思い返してみる。


 この前の土曜日は勉強のためにと図書館に由香ちゃんを誘って、初めてのお出かけデートになるはずだった。

 けれどそこに現れたのが以前学校の玄関で絡まれた人————和泉くんはお姉さんと言っていたっけか。

 ものすごく激昂していて、意味の分からないことばかりわめいて、最後は暴力まで振るおうとしてきた。

 色々あって結局怪我をしたのは和泉くんのお姉さんではあったけれど、あそこまで暴力的な人もいるとなると本格的に由香ちゃんの身が心配になってしまう。

 由香ちゃんはあの時、必死に私に怪我がないかどうかを確認してくれて、けれどその後は押し込まれるように家に戻されてしまった。

 帰宅した私に母は、「家の前で騒ぐな」と窓を閉めながら言ってくる。

 窓際においてあった曾祖母が大切にしていた観葉植物がひとつ、なくなっていることに気が付いたのは、それから少ししてからのこと。

「あんたケガしてないの? 運がよかったのね」

 うすら笑いを浮かべる母に、その時感じることは何もなかった。


結局私には、由香ちゃんが気にしていることは判らなかった。

 隣の席の和泉くんはなぜか今回に限って何も教えてはくれない。

 由香ちゃんに少しでも近づこうと、放課後帰るところを狙っても、登校しているところを狙っても、どうしてか全く一緒になれない。

 最近ではいつもの早朝のクラスでもカバンは置いてあるものの本人には会えず、ホームルームが始まる直前に教室に入ってくるといったパターンになっている。

 これは放っておくと絶対にダメだ。

 そう思った私は、多少強引でも行動に移すことにした。


 あれから一週間後の放課後。

 さっさと帰ろうとしていた由香ちゃんの後を何人かの女子がつけていく。

 いつもなら心配という気持ちだけだったけれど、今回ばかりは少しだけ幸運だ、と感じてしまった。我ながら酷いやつだな。

 女子たちの後を更につけていって、結局校舎裏にたどり着いた。女子たちは由香ちゃんを囲んで罵詈雑言を浴びせている。

「あんた、またやったんだって? 人を傷つけるのがそんなに楽しい?」

「ねぇ、どうして? あんたが、あんたさえいなければ、うちらだって普通の生活を送れるのに!」

 前までの由香ちゃんだったら全く相手をしないで聞き流しているだけなのに、私の顔を見た瞬間、包囲網を強引に抜け出そうとしている。

 女子たちは私に気が付いていなかったからか、由香ちゃんの行動に少し驚いた感じの声を上げて逆に包囲網を狭める。

「逃げる気? 本当のこと言われて傷つきでもした?」

「あんたに傷つけられた人はね、こんな痛みじゃすまなかったんだよ。わかってるの」

「あなたたちに用事はないの」

「は? まじ、ふざけんなよ……」

 焦った様子の声だ、と私は分かったけれど女子たちは気が付かなかったようで、今にも殴り掛かりそうだ。

「ねぇ、なにしてるの」

 できるだけ静かに、でも周りによく通るように声をかける。

 由香ちゃんは静かに俯き、私がいるとは思っていなかった女子たちは、身体を震わせてこちらを見た。

「あなた、誰? この学校に通ってるなら別にうちらのやってることが普通だってわかるよね?」

「待って……この子、転校生だよ。あいつと同じクラスの」

「もしかして、いじめてると思われてる? 違うからね、これは当然のことなんだから」

 女子のひとりは、慌てた様子で弁明をし始める。けれど私にはそんなことは関係ない。

「私、用事があるの」

 きっぱりと言うと、女子たちはほっとしたような表情になる。

 大方、私も由香ちゃんに文句を言いに来たとでも思っているんだろう。

「それなら、あなたも一緒に」

「ううん、私用事があるの」

 相手の言葉をさえぎって、無理矢理包囲網を突破していく。

 目の前に、どこか泣き出しそうな顔をした由香ちゃんがいる。

 私はもしかすると、嫌われてしまっているのかもしれない。

 けれど、それならばそれをはっきりさせないといけない。

 私が一歩進むと、由香ちゃんは一歩下がる。

 けれどどのみち校舎裏、すぐに由香ちゃんの背は壁につくことになる。

 私は腕を壁につけて、由香ちゃんを逃げられないようにした。

 異様な雰囲気でも感じたのか、女子たちが去っていく気配を感じる。

 此処には私たち二人だけだ。


「どうして、最近避けるの?」

「……それだけを聞きにここまで来たの?」

「後をつけられていたから心配だったのもある。けど、聞きたかった」

「勝手なのね」

「勝手で良い。わがままでいい。ねぇ、どうして最近私のこと避けるの? お願い、由香ちゃんの言葉できちんと聞かせて」

 由香ちゃんは口を開こうとして、顔をしかめ口を閉じる。

 迷っているような、そんな雰囲気を感じた。

「私、ちゃんと聞くから。どんなものでも、どんなことでも、ちゃんと聞くから。お願い」

「……もう、わたしに関わらないで」

「どうして?」

「どうでもいいでしょう。関係ない」

 平坦な声を出そうとしているのがわかるけれど、由香ちゃんの声は震えている。

「関係ないわけない、だって由香ちゃんのこと、私大好きだから」

「……どうして? わたし、いるだけで人を不幸にするのよ。関わっていてもいいことなんてないでしょう」

「え、由香ちゃんっているだけで周りを不幸にするの? 危害を加えてきた相手にじゃなくて?」

「それは……」

「もしそうだとしたら、私、喜んで不幸になるよ」

「え?」

 由香ちゃんは目を見開く。口を開いては閉じ、開いては閉じ。彼女の口から言葉は出てこない。

「だって、由香ちゃんと一緒にいれることが私にとっての幸せだから。それだけで不幸なんて消し飛んじゃう」

 ずっと言えなかった本当の言葉を、本当の感情を、伝える。

 由香ちゃんの目が、更に見開かれる。

 それは勇気がいる事ではあったけれど、今この場で心から向き合わなければいけないと、そう思った。

「……わたし」

「うん」

 ゆっくりと、由香ちゃんが口を開く。

「この前の、土曜日。あの時あゆみちゃんが傷つくのが嫌で、わたし」

「うん」

「この人なんかいなければ、って思ったの。そしたら、アレが起きた」

「それは……由香ちゃんのせいじゃないよ」

「いいえ、わたしのせいよ。昔、似たようなことがあったもの」

 頭の中に浮かんだのは、先日言われた母からの言葉。私からしてみれば、あれはあきらかに母の所業で。でも由香ちゃんの言った昔あったという、似たようなことが気になった。

「わたし、あなたのことが好き、なのかもしれない。でもダメなの。これ以上は、いけないのよ」

「それは、どうして? 私だって由香ちゃんのこと好きだよ。避けられるのは嫌だよ」

 しばらくの沈黙。

 先に口を開いたのは由香ちゃんだった。

「この後、わたしの家来られるかしら。あゆみちゃんには話しておかないといけないことがあるの」

 由香ちゃんは覚悟の籠ったまなざしで、そう告げる。もちろん私に断る理由はない。

 久しぶりに、二人で一緒に下校した日だった。

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