第4話 隣の席の和泉くんの場合<1>

 朝起きて毎日やることと言えば、家族全員分の朝食と弁当の用意だ。

 父さんは新聞を俺が淹れた珈琲を飲みつつソファでくつろぎながら見ているけれど、手伝ってはくれない。

 母さんは仕事に行く支度をしているため忙しい。

 姉さんはそもそもこの時間に起きてこない。

 よって必然的に、俺がやらなければ家の家事は回らない。

 そのくせ感謝してくれるのは母さんだけで、父さんは何も言わずに食べきるし、姉さんは冷めていると文句を言ってくる。

 まったく、土曜日だというのにいつも通りの日常だ。


 父さんから洗濯と掃除を頼まれたけれど、今日はバスケ部の練習試合の助っ人に行かなければいけないからと断った。

 どうせ父さんは俺が家事全般をやると思っているから、断ったところで自分ではしないのだろうけれど。

 家を出ようとするときに、姉さんがでかける支度をしているところを見かけた。珍しいな、と思いつつ、少し嫌な予感がする。

 姉さんの様子は、二年前のあの夜を思い出させた。

「どこか行くの、姉さん」

「んー? あぁ、ちょっと調べものにね。そうだ、あんたも手伝いなさいよ。どうせ人数合わせの助っ人でしょ」

「うちのバスケ部結構強豪なんだけど、そこに帰宅部を人数合わせで入れる? いやまあ、終わった後ならいいけれど」

「あーはいはい。俺は何でもできます、ってか。本当にむかつく、わざわざ家事やってますアピールも、毎日うぜえんだよ」

「はいはい、そうだね。じゃあ、気を付けて」

「言われなくても」

 結局姉さんは俺がでかけるまでずっと不機嫌だった。


「お疲れ和泉! やっぱお前バスケ部入るべきだよ、今からでもどう?」

「お疲れ。ごめん、明日はサッカー部の助っ人に行くって約束しているから」

「まぁ、お前はなんだかんだで帰宅部があってるよな~」

「俺たちはこの後ミーティングあるから、和泉は先帰ってていいぞ」

「ありがとう、じゃあお先に」

 着替えを終え、体育館から出たところで昨日教室に忘れ物をしていたのを思い出す。

 取りに行かないとな、と思い立ち教室に寄ると、なぜか姉さんがいた。

 教壇にあったのであろう資料を、片っ端から出しては読みふけっている。

「姉さん、何しているの」

「うわ、汗くさ。じゃなくて、あんたなんで教えなかったんだよ。あの女の友達、あんたの隣の席だったの」

「まさかとは思うけど」

「教えろよ、篠崎ってどんな奴だ? 何をしたら苦しむんだよ。家族と仲はいい? ああ、引っ越したばかりだったな、だったらそこ潰せば居場所もなくなるか?」

「姉さん」

「あーでも、クラスで孤立させんのが先か。そこらへんはあの女に付きまとってる時点で平気そうだけどな。あとは」

「姉さん、いい加減にして」

 思わず、姉さんの言葉をさえぎってしまう。

 もちろん姉さんがどう思うかはわかっていたけれど、今度こそ止めないといけない。

 これ以上姉さんを狂わせるわけにはいかない。

「姉さんさ、なんでこんなことするの? あの事件は富永さんと関係ないよね。それに、今だってそうだ。篠崎さんは本当の意味で何の関係もない」

「あんた、ふざけてんの?」

「ふざけているのは姉さんの方でしょ、第一」

「ふざけんな! あたしが正しくて、あの女が間違ってる。みんなだってそう言ってる!」

 頭を掻きむしり、憎悪に満ちた目をしながら姉さんは教室を飛び出していく。

 散らかった資料を一瞬見て、俺は姉さんを追う事を優先した。


 姉さんは、すぐに見つかった。

 悪い予感というのは嫌な時こそ当たるもので、姉さんは篠崎さんと富永さんの両名にはちあっていた。

「姉さん!」

 俺の言葉に姉さんは振り返らなかったが、篠崎さんは俺の姿を見つけたようでハッとする。

 篠崎さんは富永さんをかばうように前に出ていて、けれど同時に富永さんも篠崎さんの前に出ようと奮闘していた。篠崎さんの方が力は強いようで、抑え込まれてはいたが。

「あはは、本当に仲良しごっこしてるんだ、笑える! あたしをあんな目に合わせておいて、自分は幸せになりますって!? 許されるはずがないだろ!」

「この前からあなたは何を言ってるの? 由香ちゃん、早く行こう」

 篠崎さんは俺の方をちらと見た後、富永さんの背中を押して足早に去ろうとする。

 しかし、今の姉さんは止まらない。違う、止められなかった。

「ふざけんな、って、言ってるだろ!」

 姉さんは近くに合った植木鉢の木の部分をつかみ、振りかぶる。

 篠崎さんがとっさに富永さんを押し倒し、覆いかぶさった。

「やめて————やめて!」

 富永さんの泣き出すような悲鳴が、響いて。

 血が、飛び散った。



「また、事故か。なぜおまえはそこまで執着する? 自分から巻き込まれに行くなんて馬鹿としか言えないな」

 病院の個室で、包帯まみれの姉さんを侮蔑の表情で見ている父さん。

 母さんは取引先との重要会議があるからすぐには駆けつけられなかった。

「許さない、絶対に、絶対に許してなるものか。あいつが、あいつがいるから」

「ふん、またそれか。もう勝手にしろ」

 父さんは呆れて帰っていく。

 病室には、俺と姉さんが残された。

 あの時、どこからか別の植木鉢が飛んできて、姉さんの肩にぶつかり砕け散った。

 当然姉さんは即座に病院に運ばれ、今に至る。

 それからずっと姉さんは、富永さんへの恨み言を言い続けている。


 今日の出来事がいつもの『事故』であったのかどうかは、わからない。

 あの時姉が傷つけようとした相手は、篠崎さんだ。だから、『事故』ではないはず。

 けれど、あの場には富永さんもいた。そして、彼女は篠崎さんが危害を加えられそうになった瞬間に今までにないくらいに感情を爆発させている。

 昔の時みたいに、富永さんの体質に変化が生じたのか? それはまだわからない。

 でもそうだったなら、尚更周りにも気を付けないといけない。

 あんな事件をもう繰り返してはいけないのだと、皆にわかってもらうしかない。

 

 帰り際、富永さんの今にも泣き出しそうな顔が頭を離れなかった。

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