第3話 篠崎あゆみの場合<2>

「おはよう、由香ちゃん」

「おはよう……あ、あゆみちゃん」

 先日の一件以来、由香ちゃんはぎこちないながらも私の名前を呼んでくれる。

 本当は朝の時間以外にも話しかけたいのだけれど、クラスの女子が絶妙にブロックをきかせてくるから朝の時間しかまともに話もできやしない。

 だから私は、毎日必ず早めに登校する。

 曾祖母も慣れたのか、それとも母に言われたのか、心配してくることはなくなった。

「由香ちゃんのお弁当って、いつも凝ってておいしそうだよね」

「あ、ありがとう。昨日の夕飯の残り物とか使ってあるのだけれど……」

「えー! もしかして、自分で作ってるの?」

「そうよ、えっと……それなりに家事は得意だから」

「すごい! 私料理できないから、毎日コンビニのパンだよ」

 前と比べると、少しだけだけれど由香ちゃんは話を繋げてくれる。

 関係が進んでいる感じがして、とてもうれしかった。

「あ、よければ、今度……いえ、なんでもないわ」

「ん? なになに、聞かせてよ」

 珍しく由香ちゃんの方から話題を振ってくれたことに驚きを覚えながらも、先を促す。

「いえ、少し、その……本当になんでもないから」

 しかし、残念ながらその言葉の続きが出ることはなかった。彼女の顔も、少しそっぽを向いてしまった。

 沈黙が続くかと思われたそんな時。ちょうどいいことに、隣の席の和泉くんが登校してくる。

「おはよう、篠崎さん、富永さん」

「和泉くん。おはよう」

「おはよう」

 私たちの会話は、和泉くんが教室に入ってくるのを合図に終了する。

「それじゃあ由香ちゃん、今日はこの辺りで」

「ええ、それじゃあ」


 昼休み、いつも通り和泉くんと昼食を食べていると、急に彼はニヤっとして話し始める。

「そういえば、いつの間に名前で呼び合うようになったの」

「運命の日があったんですよ」

「運命の日があったんですか」

「うらやましい?」

「うらやましいって言ったらどうするの」

「嫉妬する」

「だめじゃん」

 ふたりして、笑いだす。和泉くんとは、もはや軽口をたたく仲になってきている。

 和泉くんは由香ちゃんに対して悪意というか、害意を持っていないから話しやすい。

 それになにより、由香ちゃんとの仲を邪魔してこないから、その点では好感を持てる。

「そういえば、ニュース見た? 住宅街の塀にトラック突っ込んだらしいよ」

「ニュースは見てないけど、知ってる。居合わせたから」

「あー、じゃあやっぱりあれ『事故』だったんだ。かなり派手な損傷だったのに運転手無傷って報道だったからなんとなくそうかとは思ったんだけどね。……運命の日ってまさかそれ?」

「まあ、そこらへんはね、ほら。記念日ってあまり人に話すことないじゃん?」

「被害者の心配しないとか、篠崎さんもだいぶ慣れてきたね?」

「見知らぬ他人より、由香ちゃんが心配なだけですー」

 苦笑する和泉くんに、言葉を返す。

 被害者の心配、か。

 そういえばあの時も私は一番に由香ちゃんの心配をしていたっけ。

 どうやら私は相当由香ちゃんにぞっこんらしい。


 放課後帰ろうとしたところ、突然外玄関前で知らない女の人に呼び止められた。見た感じ、先輩のようだ。

 強気な印象を覚えるが、「私は今不機嫌です」というオーラを隠そうともしていない。

 どこかで見たことがあるような、なんて考えていると、その先輩はイライラとした口調で話し始める。

「ねえあんた、あの女と仲いいんだって?」

「えっと、どちらさまでし」

「質問に答えろよ、質問に質問で返すとか馬鹿なの?」

 思い切りかぶせてこられた。苦手なタイプだ。

「すみません。何のことかわかりかねます」

「そんな返事で満足すると思ってんの? ハッキリ言えよ、それもできないくらい頭空っぽなのか?」

 あの女、というのはこの学校なら間違いなく由香ちゃんのことだろう。

 けれど明言もされていないし、それなら正直に答える必要はない。

「あ、はい。すみません、私頭空っぽなのでそろそろ下校しますね」

「ふざけるんじゃねえよ」

 そそくさと帰ろうとしたが許してくれるはずもなく、腕を強くつかまれる。

 女子にしてはかなり強い力で、思わず顔をしかめてしまう。

「なに? 痛いの? 放してほしかったらさっさと答えろってんだ」

「何のことかわからないので答えられません」

 正直掴まれている腕はかなり痛い。

 けれど、ここで話してしまうと由香ちゃんに何か悪いことが起こるような、そんな気がするから絶対に言うわけにはいかない。

「そもそも、あの女って誰ですか」

 相手をにらみつけると更に不機嫌度が増したらしく、もうひとつの手で胸ぐらをつかまれる。

 周りも少しざわついてきたが、誰も止めようとしない。

 この人はそっち方面で有名人なのだろうか、それとも私の隠そうともしない由香ちゃんへの好意がそうさせているのだろうか。

そんな時だった。

「あゆみちゃん……?」

 その声は、騒がしい中で静かに響いた。

 声がしたほうを見ると、由香ちゃんが少しだけ目を見開いていた。

「なにしてるの」

 今度は、はっきりとした声で。

 周りも先輩も由香ちゃんに気が付いたのか、周囲のざわつきは止まり、野次馬は散り散りになっていく。

 先輩も私から手を離し、舌打ちをして去っていった。


「由香ちゃん!」

 あの後由香ちゃんは何事もなかったかのように、速足でその場を後にしてしまった。

 慌てて後を追って、ようやく見つけた背中に声をかける。

「なんで追ってくるの。わかるでしょ、わかってよ」

足は止まったけれど私に対して背中を向けたまま、由香ちゃんは言葉を発する。

いつもより少し、声が震えている気がした。

「わかんないし、わかりたくだってない」

 由香ちゃんは私の返答に対し、ほんの少し俯く。

「私と一緒にいるとああいう事になるのよ。あなたは不幸になりたいの?」

「由香ちゃんと一緒にいれるなら不幸になってもいいよ」

 振り返った由香ちゃんの目には、涙が浮かんでいた。

「怪我じゃすまない、あなたも死んじゃうかもしれない」

 全身から振り絞るように出された言葉は、今にも泣き出しそうな声だった。

 そんな由香ちゃんの手を、両手で握りしめる。

「大丈夫。私は何があっても、由香ちゃんのそばにいるから」

 少しだけ俯いていた顔が、上がる。

「だからさ、遠慮とかしないでよ。友達なんだから」

 彼女の目が、大きく見開かれる。しかしその顔は、すぐにそっぽを向いてしまった。

「……まだ知り合って間もないのに、よくそんなこと恥ずかしげもなく言えるわね」

 由香ちゃんの声はもう、震えていない。私の気のせいかもしれないけれど、少しだけ嬉しそうだった。

「一緒に帰ろう」

 そう言って、私は由香ちゃんの隣を歩く。

 お互いの微笑みは、別れるまで結局消えなかった。




 二人の少女が共に歩き去った道を、一人の少女がにらみつけている。

「友達、ね。本当に忌々しい」

 親の仇でも見るかのように、いや、実際彼女には二人のことがそう見えている。

「どうやったら苦しむ? 誰か教えてよ、どうやったらあたしにやった時みたいにあの女は苦しんでくれる?」

 彼女はぶつぶつと呟き、そうして、笑みをこぼす。

「やっぱり仕返しだよな。『友達』を苦しめれば、あの女だって苦しむ。そうだ、あの時みたいに苦しめばいいんだ。あたしの苦しみは、こんなものじゃ癒せない」

 彼女は歩き出す。その顔に笑みをたたえたまま。

「本当に、あの子には感謝しないと」


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