第158話 移住




 水の2の月、3の週の陽の日。

 まだ夜も明けきらぬような早朝。

 第三街区にある、乗り合い馬車の停留所にミカたちは来ていた。


「ミカ君。 本当にありがとう。 キスティルのこと、どうかよろしくお願いします。」


 そう言って、キスティルの母親が頭を下げる。

 キスティルの弟もそんな母親を真似て、ミカに頭を下げる。


「そんな……、顔を上げてください。 僕ももう、ほとんど家族なんですから。 ねえ?」


 そうミカは横にいるキスティルに声をかけるが、キスティルは涙でくしゃくしゃになっている。


「……ミカくぅん……、ありがと……ありがとう……。」


 そんなキスティルに寄り添い、ネリスフィーネが背中を撫でる。

 ミカはキスティルを見て苦笑し、少し離れた所からこちらを窺うガエラスたちの所に行く。


 ガエラス、ケーリャ、サロムラッサ。

 ケーリャのパーティの三人。


「引き受けてくれてありがとうございます。 よろしくお願いします。」


 そう言ってミカが頭を下げると、サロムラッサが明るく声をかける。


「そんな畏まることないよ。 僕たちの仲じゃないか。」


 サロムラッサが笑うと、ケーリャが少し前屈みになりミカの頭を撫でる。


「心配しなくていい。 必ず送り届ける。」

「ありがとう、ケーリャ。」


 ミカが笑いかけると、ケーリャも笑顔になった。


「護衛の仕事も久しぶりですねえ。 まあ、いいチョイスですよ。 ケーリャこいつが居りゃあ、誰も寄ってきませんから。」


 そう言って、ガエラスがケーリャを指さす。

 筋骨隆々の巨漢。…………いや、漢じゃないけど。

 良からぬことを考えてる奴も、さすがに相手ターゲットは選ぶ。


 実力があっても、見た目のハッタリが効かなければ目をつけられることはある。

 だが、ケーリャの護衛する対象から「何か盗ってやろう」とは誰も思わないだろう。


「高額の報酬まで用意して僕たちに依頼したんだ。 期待には応えるよ。」

「あっしらが付いてるんですよ? 心配するだけ無駄ってもんです。」

「任せろ。」


 ケーリャたちの自信に溢れた言葉に、ミカは強く頷いた。







■■■■■■







 一カ月前。

 第三街区にある、とある空き家。

 情報屋の窓口を介して連絡を取ってきたミカを、ガエラスはこの空き家に呼び出した。


「夜逃げですかい!?」


 ミカのいきなりの話に、ガエラスが素っ頓狂な声を上げる。


「……坊ちゃんが夜逃げするんで?」

「僕じゃないよ。 ていうか、それで学院から逃げられるの?」


 ミカがそう言うと、ガエラスが微妙な顔をする。

 やれなくはないだろうが、おそらく日陰の道を歩むことになりそうだ。


「僕の婚約者の家族を、何とか父親ロクデナシから逃がしたいんだよ。」

「婚約者!?」


 今度はそっちかい!

 いちいち驚かれたら話が進まないよ。


「その父親ロクデナシをぶっ殺すことも考えたんだけどね。 さすがにそれは最終手段かなって。」

「……手段の中には入っているんですね。」


 まあ、一番手っ取り早いし。確実だし。


「余所に移り住む場合の、法律的な部分でよく分からないことも多いんで、その辺りも含めてガエラスさんに相談と準備をお願いしたいなって。」

「は、はあ……。」


 何だか、ガエラスが呆れた顔になっている。


「普通、余所の土地に引っ越す時はどうするの?」

「普通? 普通はそんなことしませんよ。」


 それはそうなんだろうけど、それでは話が進まない。


「引っ越す必要ができたら?」

「法律では、領主の許可を必要としますね。」

「やっぱり領主の許可が必要なんだ。」


 王都ではどうなるんだ?

 王様の許可が必要?

 まさか。


「第三街区に在住。 辺境の開拓村へのお引越しの場合は?」

「そのまま行くんじゃないですか?」

「そのまま?」


 そのままって何だ?


「第三街区の住人の場合、下手をすると…………というか、割かし戸籍すら無い人もいますからね。」

「ほんとに!?」

「新しく家を建てたり商売する人は勝手にやるとしょっ引かれますけど、みたいなボロ屋に住んでる住人の場合、どっかから勝手にやって来て勝手に住み着いたなんてのも多いですよ。」


 ノイスハイム家やキスティルの家と、然程変わらないボロい家屋。

 もしかして、キスティルって無戸籍?


「戸籍の無い人って、結婚とかどうすんの?」

「どうするも何も、普通にしますよ?」

「無届けで?」


 事実婚ってやつ?


「いえいえ、普通に届けて受け付けてもらえますよ。」

「おいおい……。」


 いいのか、それで?

 なんか、戸籍管理がいい加減過ぎないか?

 ミカが呆れた顔をすると、ガエラスが苦笑する。


「前にサーベンジールにスラム街やバラック街があったのは知ってますよね?」

「それは知ってるけど。」

「そういう所の住人が、戸籍とかしっかりやってると思います?」

「それはまあ……、怪しいんじゃない?」


 ミカが難しい顔をして呟くと、ガエラスが頷く。


「要は、第三街区はそれがでっかくなったと思えば――――。」

「いやいやいや、でかすぎでしょ!」


 あまりの暴論に、思わず突っ込む。

 第三街区に何百万人いると思ってるんだ。


「国も第三街区に関しては困り果ててるんですよ。 どんどん流入してきて、どんどんでかくなっちまって。 スラム化しちゃ大変だって、一応は建築に許可を取らせたりしてますけど、人の出入りまではとてもとても……。」

「それでいいの……?」

「良かぁありませんが。 ただ、丸っきり把握できてない訳じゃないんですよ。」


 一応、住人の把握の努力はしているらしい。


「第三街区にも教会があるでしょう? 陽の日学校も勿論やってますんで、子供も含めておおよその住人は把握しているんです。 どこの家に子供が生まれた。 どこの家の誰が亡くなった。 どこそこの誰々と結婚したとかね。 すべて教会が絡みますから。」

「教会を通して、間接的に把握はしてるってことか。」


 戸籍として厳密な管理はできていないが、教会からの情報提供で何とか把握しようとしているようだ。

 リッシュ村では収穫祭に、その年に生まれた子供に何か儀式をしていた。

 同じような儀式ものがあれば、子供の年齢は把握できる。

 そうすれば七歳の魔力の測定も、やれることはやれる。


「でも、そんな勝手に移動して、勝手に住み着いて、平気なもんなの?」

「法律では勿論禁じてますよ。 鞭打ちの上で、元の領地に送られる、だったかな?」

「それじゃあ、戸籍のない人とか勝手に移ってきた人は、やっぱり結婚できないでしょ。 官所に届け出たらバレるじゃん。」

「まあ、法律ではそうなってますがね。」


 法律では?

 ミカが首を傾げると、ガエラスが苦笑する。


「法律そのものは古いもんですよ。 千年以上前に作られたりしたものが、そのまま残ったりしてね。 領地を跨いだ居住地の移動なんかも、そういう古い法律です。」


 それで問題がなければ、それでもいいのだろう。

 わざわざいじる必要はない。


「ですが、五十年以上前にそんなこと関係なくなっちまいましてね。」

「関係なくなった?」


 ミカが怪訝そうな顔をすると、ガエラスが大きく息をつく。


「五十年戦争ですよ。 あれの後はもう、ひっちゃかめっちゃかだったみたいで。」

「好き勝手に移動してたの?」

「する方も食って行けるかどうかですから、必死なもんです。 何より、取り締まる兵士が足りない。」


 授業で習った気がする。

 決戦だけで百万人近い死者を出したんだっけ?


 戦後の三十年くらいは、そうして無許可で動く人が多かったらしい。

 特に王都には仕事が沢山あったので、どんどん人が集まったようだ。

 使用人の呪いの時、戦中、戦後に女性使用人の需要が高まっていった話を聞いた。

 そうした人の中には、無許可で王都などの大都市に来ていた人も多くいたのだろう。


「そんなこんなしているうちに、一応それぞれの領地が落ち着いてきてからは、戸籍も調べ直してね。 以降の勝手な移住はまた取り締まるようになりました。 第三街区こことか、一部を除いてね。」

「除いて? 何で?」

「その頃にはもう、取り締まりもロクにできないくらい肥大化しちまったんですよ。 今じゃ戸籍の無い人は第三街区だけで推定で数万人。 あっしは十万人を軽く超えてると思ってますがね。 そのまま無戸籍でいられるよりは、結婚でも何でも届け出てくれた方が国としては助かるってもんでしょ。」


 そうした戸籍のない者は、得てして貧困の状態にある。

 魔力を持つ、騎士に志願するなどの利用価値の高い者以外に関しては、現状ほとんど放置になっているという。


(戦後五十年経っても…………と思ってしまうのは、俺が日本で生まれたからか。 普通は百年二百年経っても、壊れた瓦礫の上で足掻くように生きるだけか。)


 近現代以降でさえ、世界中で戦後の復興などほとんどされずに放置されることがあるのだ。

 その復興だって自力じゃない。

 遥か高みにあるような水準の国が、協力してやっとだ。


 そう考えると第三街区は、ある程度秩序は保ってるけど、実質スラムみたいなものである。

 大半はきちんと届け出た上で引っ越してきているようだが、巨大になりすぎた街はもはやコントロール不能に陥っているようだ。


(冒険者ギルドは第三街区には支部を出さないってチレンスタさんが言ってたけど、この辺が影響するのか?)


 何というか、王都の闇を見たような気持ちになった。






 話が大分脱線してしまった。


「じゃあ、引っ越す時は自分の荷物だけでいい?」

「それでもいいっちゃいいんですが、引っ越し先が開拓村となると、ちと困ったことになりますね。」


 移住先が第三街区と同じような、戸籍の管理が行き届いていない場所なら、自分の生活するための物だけあれば何とかなるらしい。

 だが、小さい村だとそうはいかない。

 リッシュ村でも村長が村の住人をしっかりと把握していた。

 いつの間にか住み着いた、というのでもやれなくはないだろうが、できればスムーズに受け入れられるようにしてあげたい。


「…………戸籍、作れる?」


 ミカがそう言うと、ガエラスが渋い顔になる。


「確かに、『どこどこから引っ越してきた。』『許可も得ている』という方が話は早いですがね。」


 そう、ガエラスは溜息まじりに呟く。


 元々ミカの考えていたプランでも、戸籍ロンダリングは案の一つにあった。

 父親ロクデナシが追跡できないように第三街区ここでは行方不明ということにさせ、引っ越し先では別の場所から引っ越してきた別人として処理する。

 ネットワークで即検索、電話でちょっと問い合わせ、なんてできるような時代ではない。

 誤魔化しようはあるだろうと考えていた。


「書類があればいいの?」

「…………ええ。」

「用意できる?」

「…………………………。」


 ミカがそう聞くと、ガエラスは目を瞑り少しの間悩む。

 が、やがて諦めたように頷いた。







■■■■■■







 キスティルの実家で、ミカとキスティルの母親は向かい合って座った。


「先日した件が、何とかなりそうです。」


 ミカは真剣な表情でキスティルの母親を見る。

 ガエラスと話したことで、計画の一応の目途は立った。


 ミカは婚約のことを報告した時、キスティルの母親に王都から出ることを勧めていた。

 キスティルのために、これ以上巻き込むまいと決別を決めた母親を、やはり見捨てられなかったのだ。

 ミカ自身、「他人の家のことだ」「仕方ないんだ」と何度も自分に言い聞かせ、目を逸らしていた。

 だが、正式にミカとキスティルが婚約することで、「身内のため」という大義名分を手に入れてしまった。

 これにより、それまで抑え込んでいた鬱屈したものが一気に噴き出したのだ。


「……ですが、こんなことをして本当に大丈夫なんでしょうか。」


 不安そうな顔で、母親は俯く。


(大丈夫かどうかなんて、俺にだって分からないよ。)


 そんな保証はミカにもできない。


「無理にそうしてくださいと言うつもりはありません。 ただ、もしも平穏に暮らしたいのであれば、ここよりはマシな環境だと思います。」


 キスティルの家族を何とかしてあげたいとは思う。

 だが、それはミカの一方的な考えだ。

 家族の意志を無視してできることではない。


「引っ越し先までは護衛を用意しますので安全に移動できると思います。 引っ越し先にも、僕の方からよく説明しておきますので。」


 ミカがそう言うが、母親は俯いたまま悩み込んでしまった。

 キスティルとネリスフィーネにはミカが飛べることは知られているが、さすがに母親にまでそれを知られたくはない。

 飛んで連れて行けば早いだろうが、その手は使いたくなかった。

 そうなると、かなりの負担がかかるだろうが、乗り合い馬車での移動を選ばざるを得ない。


 ミカはそっと息をつく。


「……答えは今すぐではなくても構いません。 どちらにしろ、決行は僕とキスティルが正式に契約を結んでからになりますから。」


 そう言って、ミカはガタリと椅子を鳴らして立ち上がる。


「こちらの準備は僕の方で進めておきます。 もしもその気になったら、いつでも行ける準備をしておいてください。 契約を結んだ翌日に決行ということもあり得ますので。 気取られないように、準備は細心の注意でお願いします。」


 ミカはぺこりと頭を下げると、そのまま背を向けて玄関の方に歩き出す。


「ミカ君!」


 そのミカの背中に、声がかけられる。

 ミカが振り返ると、母親が思い詰めたような、苦し気な表情でミカを見ていた。


「……あ、あの……。」


 だが、それ以上の言葉が続かない。


「まだ時間はあります。 ゆっくり考えてからでいいですから。」


 ミカがそう言うと、母親は口を引き結び、首を振る。

 そして、


「よろしくお願いします。」


 そう、丁寧に頭を下げた。







■■■■■■







 ミカは、キスティルと正式に婚約の契約を結ぶため、母親に署名してもらった。

 その時に「次の陽の日、決行です」と伝えた。


 そして、今日がその決行日。


 乗り合い馬車の出発の時間が迫り、泣きながら抱き合うキスティルと母親を眺める。

 これでいいのだろうかという思いが、ミカの中に燻っていた。


(こんなくそ面倒な手段で、大金はたいて、しかも結局非合法イリーガルな方法だし。 何がやりたいんだ、俺は?)


 さっさと父親ロクデナシをぶっ殺した方が遥かに楽だ。

 計画の準備を進めながら、ずっと感じていた。


(家族が王都を出る必要こともない。 いつか見つかるのでは、と怯えることもない。)


 だが、これが普通の対応なのだ。

 いや、普通よりは強引な部分もあるが。

 普通は、誰かを殺して「はい、解決」と手放しに喜ばない。

 …………と思う。


 ガエラスやサロムラッサに促され、母親と弟が乗り合い馬車に乗り込む。

 荷物はすべてサロムラッサの魔法具の袋に入れさせてもらった。

 ただし、家具などは基本的に置いて行くことになる。

 悠長に荷物を運び出している間に父親ロクデナシの耳に入り、見つかってしまえばかなり面倒なことになるからだ。


 ケーリャとサロムラッサで挟むように座り、向かいのガエラスが警戒する体制のようだ。


「キスティルも行って良かったんだよ?」


 ミカはキスティルの横に並び、声をかける。

 キスティルには、一緒にリッシュ村でしばらく暮らすことを提案していた。

 だが、キスティルは迷うことなくその提案に首を振る。


 そうして乗り合い馬車が出発し、丘の向こうに消えるまで、キスティルはその場で見送り続けた。







 さて、ここからがミカは大忙しである。

 キスティルとネリスフィーネを家まで送り、再び第三街区まで走って戻ってくる。

 そして第三街区を抜けてモデッセの森へ。

 モデッセの森で空に飛び立ったら、リッシュ村にひとっ飛びである。

 ”吸収翼アブソーブ・ウィング”でぶっ飛ばして、4時間かからないで飛んで来られた。

 これもう、時速百キロメートルは軽く超えてるね。

 上空なんで、あんまり速度の感覚はないのだけど。


「こちらをお願いします。」

「…………は?」


 突然現れたミカに、開いた口が塞がらない村長。

 それでも何とか、キスティルの家族のことを説明する。

 もう出発しちゃってるんで、受け入れ準備よろしく、と。

 そうして、ガエラスに用意してもらった移住の許可書も村長に渡す。


 この許可書。

 の偽造書類である。

 本物で使用される紙に、本物で使用されるインクを使い、本物の官吏の署名がされた、本物の官吏が用意した、偽造書類である。

 それもう、本物でよくね?


 様々な経費込みで金貨八枚という少々高い買い物だが、七公国連邦の隣にある領地の許可書だ。

 北東の端の領地。

 ちなみに、リンペール男爵領は南東の端の領地。

 仮に問い合わされても、返答に二カ月はかかり、そして「許可書発行したよ」というお返事が返ってくる優れもの。

 いい買い物したね。


 …………どこにでも、腐った奴はいるものである。


 ミカは教会に行って、キフロドとラディにキスティルの家族のことを話す。

 母親が少し身体が弱いので、特にラディにはお願いしておく。

 リッシュ村なら定期的にラディの【癒し】を受けられるので、安心して住んでもらえる。

 そして、寄付もしておく。

 二カ月くらい前にも寄付をしたばかりなので中々受け取ってもらえなかったが、何とか押し付けてホレイシオの所へ。

 仕事の虫のホレイシオは、陽の日でも工場にいることが多い。

 実際は、仕事が積み上がってるだけだろうけど。


 ホレイシオには、母親と弟の仕事のことをお願いして来た。

 母親は身体が弱いので、負担の少ない仕事はないか、と。

 また、弟にも綿花畑の仕事などを何とかやらせて欲しいと頼み込む。


「それと、こちらを預かってもらいたいのですが。」


 ミカは金貨が入った袋と、大銀貨の入った袋をホレイシオに渡す。


「こんな大金を? どうするんだい?」

「毎月、生活できるくらいの金額になるように、調整して渡してほしいんです。」


 これまでと違う環境で、いきなり生活できるほどに稼ぐことはできない。

 母親は身体が弱く、弟もまだ子供だ。

 まあ、子供と言っても弟は今年十一歳になるはずだ。

 早い子なら見習いとして仕事に就き始める年齢ではある。

 それでも、弟が一人前の仕事ができるようになるまでの数年間は、ミカが援助する必要があると考えていた。


 本当ならホレイシオに頼むようなものではないだろう。

 だが、アマーリアは大金を預かるのを嫌がるだろうし、手紙で毎月送るというのも届かないリスクを考えると不安だ。

 毎月ミカが飛んできて渡すというのも考えたが、学院や冒険者の活動によっては、毎月同じ日にというのが難しいかもしれない。

 それならば、二人の給料を把握できる立場のホレイシオに頼めれば、と考えたのだ。


 ホレイシオは難しい顔をする。


「ミカ君がそこまでするのかい? ……あまり、良い方法ではないと思うぞ。」

「はい。 僕がもっと近くにいれば、違う方法も考えたんですが……。」


 ミカが項垂れると、ホレイシオが肩に手を置く。


「だが、頼ってくれて嬉しいよ。 二人のことは任せなさい。 いや、アマーリアさんたちもいるからな。 四人のことは私がよく見ておこう。」

「すいません。 ありがとうございます。」


 ミカは丁寧に頭を下げる。


 そしてミカは、最後に自宅に向かう。

 いつもアマーリアは、陽の日は家にいることが多い。

 居てくれるといいのだが。


「ただいまー。」

「「ミカッ!?」」


 普通に家に入って来たミカに、アマーリアとロレッタが目を丸くして驚く。

 どうやら、昼食の支度中だったようだ。


「どうしたの、ミカ? 学院は?」

「お母さんにちょっとサインして欲しい書類があって、急いで戻らないとなんだ。」

「急いで戻るって……。」


 訳が分からないと、茫然とした顔になっている。

 まあ、片道十一日の距離を、サインだけ貰いに来たと言っても意味不明だろう。


 そんな、茫然とした二人を放っておいて、ミカは婚約の契約書を二枚テーブルに用意する。


「これにサインして。 こことここね。」


 ミカはアマーリアの手を引いてテーブルに座ってもらう。

 そして、サインする場所をトントンと指さす。


「婚約契約書…………婚約っ!?」


 テーブルの反対側から契約書を見たロレッタが、驚いたように声を上げる。


「え!? キスティルと……こっちはネリスフィーネ!?」

「ちょっとミカ! どういうこと!?」


 どういうも何も、未来の嫁として扱ったのはこの二人が最初だろうに。

 何を驚いているのだろうか。


(あー、もー、何で説明が必要なんだよ!?)


 そう思わなくもないが、キスティルの家族のことも頼まなくてはならない。

 二人が納得するように説明して、急いで王都に戻って、明日も学院があるのに……。


 今日やらなければならないことを頭に思い浮かべ、少しばかり項垂れてしまうミカなのだった。




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