第79話 女騎士の心は折るもの?
ヴィローネが連行された後、クレイリアに詳しい事情を聞きたいと、ミカは屋敷に招かれた。
豪華な調度品の並ぶ応接室のような部屋で、騎士隊長の主導でクレイリア立ち会いの下、ミカの事情聴取が行われた。
ヴィローネも別の場所で聴取を受けているようで、その一次報告書が先程クレイリアの元に届けられた。
これにより、またミカの話と合わせることで、だいたいの事情や経緯をクレイリアや隊長も把握することができたのだった。
ミカの隣に座るクレイリアは、ずっと悲し気な目でミカを見つめていた。
「そのようなことが……。」
ミカの話をじっと聞いていたクレイリアだったが、話が終わるとそう呟き、大きく息を吐き出す。
「まさか、ヴィローネがそんな馬鹿なことをするとは……。」
隊長も驚き、悩まし気な表情だった。
「本人を前に、このようなことを言うのもあれなのだが……。 確かに先日、ヴィローネがミカ君を『危険だ』と言っていたのは私も聞いております。 ですが、まさかそんなことを仕出かすなど……。」
「私も何度か、ヴィローネに同様の忠告を受けたことがありました……。 その時は、失礼なことを言うのは止めなさい、と取り合わなかったのですが……。」
周りがヴィローネの話にまったく取り合わないために思いつめ、今回の暴走に繋がったと考えれば、一応の筋は通る。
しかし――――。
「……そんなことで、ここまでするでしょうか? 閣下の名を持ち出すなど、バレれば首を斬られるのは当然。 それはヴィローネも分かっていたはず。」
隊長は悔しそうに顔を歪める。
ミカはヴィローネと話をした時のことを思い出す。
クレイリアと距離を置け、と言われた時にミカは「ヴィローネの判断なのか、侯爵家としての判断なのか」と確認した。
その時にヴィローネは「侯爵家の判断だ」とミカに言った。
もしかしたら、そこからすでにヴィローネの思惑からはズレていってしまったのではないだろうか。
ミカとしては侯爵家の人間に恨まれるようなことは避けたいから、そう簡単に「はい、分かりました」と言うことはできない。
そのため、その指示の出所を詳しく確認した。
侯爵家の判断なのだとしたら、それに逆らう気はない。
だが、そうでないなら従う気はない。
ミカのそんな考えを察し、咄嗟に「侯爵家の判断」ということにしてしまったのではないだろうか。
その後も、侯爵家のどこからの指示なのかを確認した。
侯爵本人の指示なのか、そうではないのか。
ミカとしては当然の自己保身のための確認だったが、ヴィローネはそこまで考えていなかったのかもしれない。
ミカに誘導される形で、つい「侯爵の指示」ということにしてしまった。
誤算だったのは、ミカのことだけではないだろう。
クレイリアのミカへのこだわりが想像以上に強く、今日は教室でミカを待ち構えるという強硬手段に出た。
ミカも突然のことに慌ててしまい、上手く対応することができず、無視するような形になってしまった。
それが引き金になり、屋敷を抜け出すというクレイリアの暴走に繋がった。
クレイリアは屋敷に戻るなり「気分が優れません。」と部屋に引き籠ったが、その時には屋敷を抜け出してミカと話し合おうと決意していたらしい。
自分の想いのすべてを、ミカに知って欲しい、と。
呼ぶまでは誰も入らないようにと強く言い含め、自室に籠るとバルコニーから隣室に移動。
さらに隣室から扉で繋がった別の部屋に移動するなどを駆使し、抜け道のある部屋まで警備の騎士に見つからないように移動した。
ミカが距離を置けばこれで一安心。
今日のミカの態度を見ればこれでもう大丈夫だろう。
そう安堵していたヴィローネは、クレイリアが部屋にいないと知り愕然となった。
自身の罪の発覚などは欠片も考えなかった。
なぜ?
どうして?
ここまでやっても、まだミカとクレイリアを引き離すことができないのか、と愕然としたらしい。
「でも、どうしてヴィローネはそこまでミカ様を……。」
クレイリアは一連の騒ぎに気が動転しているのだろう。
ミカの呼び方が元に戻っていることにまったく気づかない。
まあ、ミカとしても今はそれどころではないので、こんなことを今指摘するつもりはないが。
ヴィローネがミカを危険視する理由は、どうやら喧嘩騒ぎの時のミカが原因のようだ。
それは本人の供述でも言っているし、これまでもクレイリアや他の騎士にも言っていたことだった。
「あの少年をクレイリア様のお傍に置いてはいけない。」
ミカの内には『怪物』がいる、と。
どれほど凶悪な罪人を見ても、ヴィローネは今までそんなことは言わなかった。
ヴィローネも騎士としてそれなりに凄惨な現場を見てきた。
それでも、ここまでの危機感を露わにするのは初めて見せるらしい。
(……『怪物』か。)
ヴィローネの言葉がミカに突き刺さる。
確かにミカは見た目通りの子供ではない。
その内側には久橋律としての記憶があり、判断や行動の選択は、基本的にこの久橋律の価値観などが前面に出る。
八人の子供たちを叩きのめし、甚振っていた時に最初にミカを発見したのはヴィローネだ。
その姿に異様さを覚えたとしても不思議はない。
(あれは、自分でもひどいことしてるって自覚はあったしな。)
レーヴタイン組のことを考え、あの子供たちの心は折っておく必要があると判断した。
その判断に後悔はしていないし、間違っていたとも思わない。
だけど、普通の子供はそこまで考えないし、徹底しないだろう。
ミカがそんなことを考えていると、隣に座っていたクレイリアがそっと立ち上がる。
「如何なる理由があろうと、ヴィローネのしたことは許されることではありません。 そのせいでミカ様を苦しめ、つらい思いをさせてしまいました。」
クレイリアは唇を引き結び、真剣な表情でミカを真っ直ぐに見る。
「仕える騎士の罪は、主である私の罪でもあります。 心より、お詫び申し上げます。」
そう言って、クレイリアは頭を下げる。
「クレイリア様っ!?」
隊長が慌てたように立ち上がり、頭を下げるクレイリアに直るように促す。
「クレイリア様がそのように謝罪されることではありません! ヴィローネを監督しきれなかった私の不徳です! ですから、どうかそのようなことはっ!」
隊長が必死に説得するが、クレイリアは頭を下げ続ける。
クレイリアは、ミカの許しを待っているのだ。
ヴィローネは正確にはレーヴタイン侯爵に仕える騎士で、クレイリアの騎士ではない。
だけど、この二人の間にはそれ以上の絆があったのかもしれない。
ミカはそっと息を吐き出す。
「クレイリア、顔を上げて。 それじゃあ話もできないよ。」
ミカが声をかけてもクレイリアは顔を上げようとしなかった。
この程度では、クレイリアの気が済まないということだろう。
「クレイリア、お願いだよ。」
ミカがそう言って、初めてクレイリアはゆっくりと顔を上げる。
クレイリアは、必死に涙を堪えるような表情になっていた。
「……せっかく、ミカ様とお友達に……なれたと……思ったのに……。」
その頬に、すっと一筋の涙が流れた。
「……私には……ミカ様の、お友達になれる資格が……ありませんでした……。」
隊長はそんなクレイリアを見て、痛みを堪えるような顔になる。
クレイリアのこんな姿を見るのは初めてなのかもしれない。
「だから、『ミカ様』に戻っちゃったの?」
ミカも立ち上がり、クレイリアに笑いかける。
だが、その顔はどうやっても悲し気になってしまう。
「……だって……。」
クレイリアはもう、どうやっても涙を堪えることができないのか、大粒の涙をぽろぽろと零す。
今日のクレイリアは、もう一生分を泣いてしまったのではないかと思うほどに、よく涙を流す。
「クレイリアは、僕と友達になるのやめたい?」
ミカがそう言うと、クレイリアはぶんぶんと首を振る。
「じゃあ、友達だね。」
「……でもっ……。」
ミカが笑いかけるが、クレイリアは俯いて首を振る。
「こんなことをしてしまって……、どうして友達などと……。」
クレイリアはもはや、その場で泣き崩れてしまいそうだ。
なので――――。
むにっ。
その頬を摘まんでやった。
クレイリアは何が起きているのか分からず、目を見開いてきょとんとしている。
「なっ!?」
隊長は驚き過ぎて絶句していた。
ミカはぱっと手を離し、ニッと笑いかける。
「侯爵の娘にこんなことしたら、普通ならどうなります?」
ミカは驚いて固まる隊長に問いかける。
「そ、それは……。 クレイリア様にそんなことをすれば、その場で斬り捨てられても文句は言わせん。」
「だってさ。」
まだ驚いたままのクレイリアに笑いかける。
「このままじゃ僕、斬り捨てられちゃうかも。 でも、友達だったらただの冗談で許してもらえないかな?」
クレイリアが目をしばたたかせる。
「僕を助けると思ってさ。 友達になってくれないかな? ね、クレイリア。」
クレイリアは驚きはそのままに、ミカの無礼を怒ればいいのか、友達になれると喜べばいいのか、分からないような表情になる。
「…………悪いが、いくら友人だからといっても、許されることではないぞ?」
隊長が剣呑な空気を纏って、ゆっくりとミカの方を向く。
その手が、剣に伸びようとしていた。
「そういえば君は、先程からクレイリア様を何度も何度も呼び捨てにしていたな。 ……気にはなっていたのだが、もはや我慢ならん。」
「え、ちょっ!? た、助けてクレイリア! まじで!」
クレイリアを盾にして、ミカは隊長から逃れる。
そんなミカの様子が可笑しかったのか、クレイリアが思わず吹き出した。
「もうミカ様ったら……。 良いのです、彼は私の大切な友人です。 許します。」
「はっ!」
クレイリアの一言で隊長は剣から手を離し、軽く頭を下げる。
何とか命の危機は去った。
「『様』はもういいでしょ? クレイリア。」
「はい……、そうですね。 ミカ。」
そうして、ミカとクレイリアは笑い合った。
傍にいる隊長は、少しだけ複雑な表情をしていた。
■■■■■■
ギギィー……。
建付けの悪い鉄の扉が不快な音を立てて開く。
扉が開いたとたんにすえた臭いが襲い掛かり、ミカは思わず顔をしかめる。
一瞬”
そのまま石畳の敷かれた薄暗い部屋に入る。
ここはレーヴタイン侯爵家の別邸の地下にある牢屋。
もはやほとんど使われていない牢屋ではあるが、こびりつき、籠った臭いはそう簡単にはなくならないようだ。
鉄格子が二つ並び、手前の鉄格子に目的の人物を見つけた。
「よお、間抜け。」
ミカはあえて明るい声で呼びかけ、厭味ったらしいニヤついた顔を作る。
間抜けと呼びかけられた方は、手枷を嵌められ、床に座り込んでミカを憎悪の目で睨んだ。
「……ミカ・ノイスハイム……ッ!」
憎々し気にミカの名前を吐き捨てた。
ミカはにやにやしながら手枷を嵌められたヴィローネを眺める。
「いい恰好じゃねえか。 中々似合ってるぜぇ?」
「……何しに来たっ! 私を笑いに来たのか!」
「ああ、それも目的の一つだなぁ。」
ミカは愉快そうに肩を揺らし、ヴィローネを見下ろす。
「あんたの悔しがる姿を眺めて、少し留飲を下げようと思ってな。 面倒なことをしてくれたおかげで、こっちも苦労させられたからよぉ。」
そうして、醜く口の端が歪む。
「でも、結局は当初の計画通りだ。 何の問題もない。 ……つまり、あんたのやったことは丸っきりの無駄だったって訳だ。 ただ命を捨てただけさぁ。」
「貴様ぁ! やっぱり、それが本性だったのか……っ!」
ヴィローネがミカを睨みながら、ゆっくりと立ち上がる。
「そうそう、事情聴取では無いこと無いこといっぱい言っといたから。 あははは、あんたの間の抜けた嘘なんか比べものにならない、ちゃんとしたシナリオに合わせたやつさ。 頑張って不名誉な誤解を解いてみなよ。」
そう言って、怪しい光が目に宿る。
「どうせ誤解が解けたところで、あんたの斬首は変わらないけどなっ! あははははっ!」
「貴様ぁーーーーーーーーー……っ!!!」
ヴィローネは、ミカに掴みかからんばかりに襲い掛かるが、鉄格子に阻まれる。
「クレイリア様に指一本触れてみろっ! 必ずっ! 必ずその首をへし折ってやるぞっ!!!」
「やれるもんならやってみろよぉ、ほらぁ!」
ミカは顎を上げ、自分の首をヴィローネに見せつける。
その首をぺしぺし叩き、小馬鹿にしたように挑発する。
ヴィローネは髪を振り乱し、掴んだ鉄格子を壊しかねないほどに力を籠めて揺する。
だが、一人の力でそう簡単に壊れるようでは牢屋として用を成さない。
いくらヴィローネが揺すろうと、鉄格子はビクともしなかった。
そうして一頻り鉄格子を揺すっていたヴィローネだが、無駄だと気づいたのか項垂れる。
力なくずるずると床にへたり込むと、手枷を力いっぱい石畳に叩きつける。
そんなことで壊れるような手枷ではないが、代わりにヴィローネの手首から血が流れた。
手枷で擦れる箇所が裂けてしまったようだ。
「………………しわけ……ま……せん……。」
ヴィローネの唇が震え、微かに声が漏れる。
「……申し訳、ありません……クレイリア様……閣下。 ……申し訳ありません…………申し訳、ありま……ん……っ。」
石畳に、ぽたぽたと涙が落ちる。
悔しさに顔を歪め、ヴィローネは涙を流す。
「……私がもっと、慎重に……やっていれば……、こんな”魔”の者を……のさばらせたりはっ……!」
「”魔”の者って、ひどくない、それ? こーんなにも可愛いお顔なのに!」
ミカは無邪気に笑いかける。
ポートレートにすれば、タイトルは「エンジェルスマイル」といったところであろうか。
だが、ヴィローネはそんなミカには目もくれず、ただただクレイリアと侯爵への謝罪を繰り返す。
そんなヴィローネの姿を見て、ミカはそっと溜息をつくのだった。
■■■■■■
「助命嘆願?」
驚いた顔をするクレイリアに、ミカはこくりと頷く。
無事にクレイリアとの友達関係が結ばれた後、ミカはクレイリアと隊長に相談を持ち掛けた。
「ヴィローネはやり方を致命的に間違えた。 それはどうしたって償わなきゃいけないだろうけど、これで命まで奪うのは重すぎるよ。」
「ですが、お父様の命令のように偽って、ミカに嘘の指示を出したのですよ? 爵位の詐称に準じる重罪には変わりありません。」
クレイリアの言葉に、隊長も重く頷く。
この国では貴族の権限が物凄く大きい。
その代わり重い責任も背負っている訳だが、その貴族の名前を勝手に名乗るのは、当然重罪だ。
そして、自らを貴族だと偽らなくても、これは貴族の命令だ、と嘘をつくのも非常に重い罪に問われる。
どちらも基本は斬首。
なぜなら、そんなことを許していては王国の根幹が崩壊しかねないからだ。
重い責任を背負い、その責任を果たすために、またその責任を果たしているからこそ許されている権限を、勝手に濫用する者を王国は決して許さない。
ちなみに、この王国の法というのは王族やすべての貴族にも適用されるが、実は法が適用されない者が存在する。
国王陛下、王妃殿下、王太子殿下。
この三名は王国の法の適用外。
憲法の存在しないこの国で、家臣を気まぐれで殺そうが、民を虐殺しようが、一切罪にならないらしい。
(それ、王太子が王を暗殺しても罪に問われないってこと……?)
と、ミカは恐ろしい想像をしてしまうが、この辺は王族内のルールのような物があるらしい。
王太子が王を堂々と殺して即位されたら、とてもじゃないが示しがつかないだろう。
そのため、法ではないが王族にのみ課せられるルールがあるのだとか。
法として明文化すればいいのにと思うが、きっと明文化したくない理由があるんだろうな、うん。
恐ろしいので、それ以上深くは知りたくもないが。
そういう訳で、法に照らせばヴィローネはほぼ斬首一択。
だが、今回の件でさすがにこれは重すぎる。
「私利私欲のために貴族の名前を持ち出した者と、誤解とはいえ主のために貴族の名前を持ち出してしまったヴィローネを同列に扱うのは違うと思うよ。 情状酌量があってもいいと思う。」
「そう言われても……。」
クレイリアは困り顔だ。
「クレイリアもヴィローネを助けたいでしょ?」
「それは勿論です! …………ですが、やはりお父様の名前を持ち出したのは、許されることではありません。」
侯爵家の人間だからこそ、これを見逃すわけにはいかないのだろう。
だが、クレイリアにとってヴィローネは小さい頃から傍にいた、もっとも信頼している騎士だったという。
(誘拐された時も、ヴィローネに駆け寄って泣きじゃくっていたしな。)
ミカの脳裏に、あの時の光景が浮かぶ。
重罪だと分かっていながら、それでもクレイリアのためにと暴走してしまった忠臣を、何とかして助けることができないかとミカは懸命に考える。
「どちらにしても、今のままのヴィローネでは、例え助かったとしても同じことを繰り返すと思う。 ヴィローネには変わってもらわないと。」
「変わるって、どうするのですか?」
クレイリアが不思議そうな顔をしてミカを見る。
そんなクレイリアに、ミカは優しく囁くように伝える。
「心を折る。」
■■■■■■
石畳にへたり込み、ぶつぶつと謝罪の言葉を繰り返すヴィローネを見下ろし、ミカはそっと溜息をつく。
(……女騎士の心を折るとか、そういう
だが、ここは心を鬼にして挑まなくてはならない。
思い込みから暴走しても何も得ることなどないと、心の奥底にまで刻み込む必要がある。
そうでなければ、侯爵の裁定次第ではあるのだが、もし助かってもまた暴走する危険がある。
さて、次はどうやって追い詰めようかと考えていると、横から声をかけられた。
「……もう、その辺りでよろしいでしょう、ミカ。」
悲し気な表情のクレイリアが、ヴィローネの入れられた牢の前にやってくる。
その声に気づいたヴィローネが、愕然とした顔でクレイリアを見た。
「……ク、クレイリア様、いけません! このような場所に足を運ばれるなど!」
ヴィローネはひどく取り乱して、どうすればいいのかとオロオロする。
「間抜けな家臣の尻拭いで、クレイリアがこんな所に来ることになったんだけど? 自覚してんの? お前のせいなんだけど?」
ミカは狼狽えるヴィローネに容赦なく事実を叩きつける。
「クレイリアは、我が儘でこんな所に来た訳じゃない。 お前のせいでこんな所に足を運ぶことになったんだよ。 分かってんのか?」
「ミカ……。」
畳みかけるミカに、クレイリアが力なく首を振る。
これ以上は必要ない、ということだろう。
ミカは一歩下がり、クレイリアに任せることにした。
「クレイリア様! その少年は危険なのです! 先程も――――っ!」
「ええ、聞いていましたよ。」
ヴィローネの顔に、一瞬喜色が浮ぶ。
ミカの正体を、クレイリアにも分かってもらえた。
これでクレイリアを守ることができる。
そう思ったのだろう。
「最初から、すべて聞いていました。 ミカに言われて、私はずっと控えていたのですから。」
クレイリアの言葉の意味が分からず、ヴィローネの表情が固まる。
最初から?
なぜ?
なぜ自分から正体をバラすような真似をする?
ヴィローネには、ミカの考えていることが一欠片も理解できなかった。
「ヴィローネ、ミカは貴方が思うような”魔”の者ではないのですよ。」
「ち、違います! クレイリア様! この少年は――――!」
「ミカが”魔”の者だというなら、なぜ貴女の助命嘆願などするのです?」
クレイリアのその言葉に、ヴィローネはいよいよ混乱が頂点に達したのか、強張った顔のまま固まってしまった。
「……助命、嘆願?」
「そうです。」
ヴィローネの呟きに、クレイリアが頷く。
「私たちがどれほどお父様に言っても無駄かもしれません。 ですが、それでも何とか貴女を助けてあげたいと、ミカから言ってくれたのです。 これでも貴女は、ミカを”魔”の者だと言うのですか?」
クレイリアは、真っ白になるほど強く手を握り締め、その紫の瞳で真っ直ぐにヴィローネを見る。
妄執に取りつかれてしまった、哀れな忠臣に声を絞り出すように訴える。
「これでもまだミカを”魔”の者だと言うのなら、それは貴女の方こそ人の心の分からない”魔”の者だからです! いい加減目を覚ましなさい、ヴィーネッ!」
クレイリアは涙を流して叱りつける。
声を震わせ、肩を震わせ、堪えきれぬ悲しみを必死に堪える。
ミカはその姿を少し下がって見守る。
(……クレイリアのこの姿を見て、それでも変われないなら、もうだめだろうな。)
自ら牢屋まで足を運び、涙ながらに訴える主の声さえ届かないのなら、もはや救っても仕方ない。
きっとまた同じことを繰り返す。
ならば、冷たい言い方にはなるが、今回の件で処断された方が後々のことを考えればいいだろう。
クレイリアのためにも、ヴィローネのためにも。
心を折るというプランとは少し違うが、こちらの方がよりヴィローネには有効だろう。
これでもだめなら心を折っても結局は無駄になる。
クレイリアが振り返り、ミカに部屋を出るように促す。
「一晩、よく考えなさい。」
俯き、動かなくなったヴィローネに声をかけ、クレイリアも部屋を出る。
不快な音を立てる鉄の扉を閉め、そのまま黙って階段を二人で上がった。
地下牢に続く階段の入り口では、隊長が心配そうな顔をして立っていた。
クレイリアの表情を見て、隊長は何も言わずに、ただ頭を軽く下げてクレイリアを通す。
応接室に戻ったところで、ようやくクレイリアは大きく息を吐き出した。
クレイリアはミカの方に向き直ると、頭を下げる。
「ミカには本当にご迷惑をおかけしました。 本来なら、レーヴタイン家で片付けるべき問題にまで巻き込んでしまって……。」
「ヴィローネのことは僕が自分から言い出したんだから、クレイリアが頭を下げるようなことじゃないよ。」
「ですが……。」
それでも気が済まないのか、クレイリアの表情は冴えない。
「それに、友達ならいちいちつまらないことを気にしないんだよ。 それでいいじゃない。」
ミカがそう言ってニカッと笑うと、クレイリアもつられて笑顔になる。
だが、すぐに眉を顰める。
「でも、ミカ様があのようなことを考えていらしたとは思いもしませんでしたわ。 先程の聴取の報告書も、精査し直さなくてはならないかしら。 『無いこと無いこといっぱい言った』らしいですからね。」
「えっ!?」
クレイリアが、突然そんなことを言い出した。
「これは、友人というのもよく考えた方が良いかもしれませんわ。 ねえ、ミカ様?」
「ク、クレイリア?」
ミカが恐るおそる呼びかける。
「勿論冗談ですよ、ミカ。」
クレイリアはぺろっと舌を出し、少し寂しそうな笑顔でそう答えるのだった。
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