第75話 侯爵の指示と王都探索




 王都の魔法学院、三日目。

 ミカはいつも通りにレーヴタイン組の皆と登校していた。

 昨日に引き続き、やたらと注目を集めているが、気にしてもしょうがない。

 そのうち静まるだろうから、それまでは気にしないようにするか慣れるしかない。


「ミカ・ノイスハイム。」


 ミカたちが教室に向かっていると、不意に呼び止められた。

 振り向くと、そこにはピンクの髪をした女騎士が立っている。

 ヴィローネと呼ばれていた人で、昨日クレイリアと話している時に、やたらと刺すような気配を飛ばしていた人だ。


「少し、君に話がある。 時間を貰えないか?」


 刺すような気配はないが、替わりに有無を言わせない雰囲気がある。


「ミカ君……。」


 リムリーシェが不安そうな顔でミカを見る。

 ミカは微かに肩を竦め、リムリーシェに笑いかける。


「ちょっと行ってくるよ。 先に行っててくれる?」


 ムールトとツェシーリアに視線を送り、先に教室に行くように促す。

 皆は戸惑いながらも、先に教室に向かった。


「すまないね。」

「いえ。 それで、話というのはここで?」


 めっちゃ注目浴びてますけどね。

 廊下にいる学院生が「どうしたの?」「何事?」と少しざわついている。


「ここでは無理だろう。 ついて来てくれ。」


 そう言ってヴィローネは、踵を返してさっさと行ってしまう。

 ミカは溜息をついて、大人しくついて行く。


(頼むから、面倒事はやめてくれよ。)


 そう心の中でぼやきながら。







 ミカが連れて行かれたのは、男子寮の横。

 男子寮と第二校舎の間だった。

 校舎は二棟あり、ミカたちが普段通っているのは第一校舎。

 第二校舎の方には行ったことがない。

 教室に戻るのにもちょっと距離があるため、話の内容次第だが、遅刻はほぼ確定と思った方が良さそうだ。


「済まないね。 時間を取らせて。」

「いえ。」


 ヴィローネが振り向き、真っ直ぐにミカを見る。

 その目の真剣さに威圧されるようなものを感じるが、ミカも真っ直ぐにヴィローネを見た。


(もうね、嫌な予感しかしないんだけど……。 厄介事は本当に勘弁してくれ。)


 ヴィローネはクレイリアの護衛騎士だ。

 話の内容は十中八九、クレイリアのことで間違いない。

 どんな話になるのか、ミカは警戒しながらヴィローネと向き合う。


「クレイリア様のことなのだがね。」


 ヴィローネは、そう話を切り出す。


「とても君のことを気に入っているようなんだ。 分かるだろう?」

「ええ、それは、まあ……。」


 本人は隠そうともしていないからな。

 それは誰でも分かるだろう。

 ぶっちゃけ、クレイリアが教室でミカ以外に話しかけているところなど、見たことがない。

 さすがにこれで、「ええ、そうなんですか!?」などとは白々しくて言えない。


「だけど、今のような状態はさすがに困るのだよ。 クレイリア様のお立場を考えれば、一人の学院生にばかりあまり関わるのは好ましくない。」

「それはまあ、そうでしょうね。」


 侯爵家の人間が一学院生にばかり構っていれば、それを周りはどう受け止めるか。

 クレイリアの立場を考えれば、例え「友人」であってもその関係は決して対等ではない。

 今のクレイリアの態度は、そうしたことが考えられた上でのことだとは思えない。


「それでなんだがね、君にはクレイリア様と少し距離を置いてほしいんだ。」


 そう言ってヴィローネは少し表情を和らげる。

 あくまで威圧しての命令ではなく、であると言わんばかりに。


(おいおいおい、それで俺がクレイリアに恨まれたらどうすんだよ!)


 さすがにこれは簡単には「はい、分かりました。」とは言えない。

 ミカとしては、侯爵家の人間の機嫌を損ねてはまずいと考えて、これまで対応してきた。

 ミカの方から近づいている訳じゃない。

 クレイリアの方からやってくるのだ。

 極端な話、クレイリアの機嫌のことを考えなければ「話しかけないでくれる?」の一言でもぶつけてやればいい。

 その後のことを考えなければ、それで済んでしまう程度の話なのだ。

 だが、その後の影響を考えれば、そんなことをできる訳がない。

 だからこそ、ミカも対応に苦慮しているというのに。


 ミカは少しだけ考えるように目を閉じると、溜息をつく。


「なぜそれを僕に? 本人に言えばいいのでは?」


 そう。

 気をつけるべきはミカではない。

 クレイリアが自重すればいいのだ。

 それだけですべてが丸く収まる。

 ミカも変に恨みを買わないで済む。


 ミカにとっては当然の疑問だが、ヴィローネは一瞬だけ剣呑な空気を纏った。

 ほんの一瞬だけだが。

 再びヴィローネの表情が柔らかくなる


「クレイリア様にはすでに何度もご忠告申し上げているのだが…………、聞き入れてもらえなくてね。 それで、君にお願いすることにしたんだよ。」


 ヴィローネの表情は柔らかく、「お願い」などと言ってはいるが、先程の一瞬の空気でこれが実質「命令」なのだということは理解できた。


「それを決めたのはどなたですか? 貴女の考え? それとも侯爵家の意向?」

「……侯爵家の意向だ。」


 少しだけ躊躇うようにヴィローネが答える。

 なるべく言うなと口止めをされていたのか……?

 絶対に漏らすなと言われていたのだとしたら、ここで言ったりはしないだろう。


「侯爵はこのことをご存じなのですか? これは、レーヴタイン侯爵の判断?」


 あの侯爵おっさんの指示なのだと言うなら、それに逆らうつもりはない。

 ミカが続けて質問をすると、ヴィローネは一瞬だけ顔をしかめる。


「……あまり詳しくは言えないのだがね、当然閣下もご存じの話だ。」


 侯爵おっさんが承知の話なのであれば、否はない。


「分かりました。 しかし、距離を置くとしてもどの程度でしょう? 離れた席を探すくらいはできますが、話しかけられたらどの程度対応すればいいのか。」

「それでもすぐに距離を置いてくれ。」


 ちょっと待て。


「それは、クレイリア様を、と?」

「……そうだ。」


 そこまであからさまにやるのか?

 それはもう、距離を置くとかそんな程度の話じゃない。

 いくら侯爵おっさんの指示とはいえ、これはやりすぎだろう。

 クレイリアを傷つけることになる。

 だが――――。


「…………レーヴタイン侯爵の指示なのですね?」

「ああ、そうだ。」


 ミカはもう一度確認し、溜息をつく。


「分かりました。 指示に従います。」


 ミカはそれだけ答えると、胸の内に重い物を抱えながら、すでに授業の始まっている教室に戻るのだった。







 昼休みになり、食堂で昼食を平らげる。

 どれだけ疲れていても、心の中がもやもやしていても、食べることは別。

 レーヴタイン領の学院で身についただが、こういう時は有り難い。

 皆も、まずは食べることを優先。

 ミカに聞きたいことがあっても、それらはすべて後回しだ。


「じゃあミカ、説明してくれる?」


 皆が食べ終わり、ツェシーリアが口火を開く。

 こういう時に先頭を切って話を始めるのはツェシーリアが多い。

 レーヴタイン組の斬り込み隊長の称号を贈ってやろう。


「あたしたちには、ああいうのは良くないって言ってたくせに、自分がやってんじゃん。 どういうことよ。」


 ミカはヴィローネとの話が終わった後、真っ直ぐに教室に向かった。

 教室に入ったらクレイリアやレーヴタイン組の方を一切見ずに、まずは出入り口近くの席で空いている所がないかを探した。

 空いている席はいくつかあり、ミカは無言でその席に着いた。

 学院の教師から軽く注意が飛んできたが、それには素直に謝罪する。

 そして、授業が終わったらすぐに教室の外に出た。

 レーヴタイン組の子たちとも、こうして昼休みになるまで一切接触をして来なかったのだ。


「例の如く、詳しいことは一切言えない。 ……分かるだろ?」


 ミカは背もたれに寄りかかり、天井を仰ぎ見る。


「朝の、だよね?」


 リムリーシェが不安そうな顔でミカに尋ねた。

 クレイリアの護衛騎士との密談。

 ミカの態度の豹変の理由として、思いつくのはそれしかない。

 何を話していたのかは分からないが、侯爵家からの指示か圧力なのだとしたら、従うしかない。


「とりあえず、僕のことはしばらく放っておいてくれ。 皆だって、墓場まで持って行く秘密なんか抱えたくないだろ?」


 ミカがそう言うと、メサーライトとポルナードが青い顔になった。

 まあ、少々大袈裟なのだが、変に興味を持たれて首を突っ込まれてもいいことはないだろう。

 そろそろ単独行動に切り替えるのにも、いい頃合いだ。

 「仲良しレーヴタイン組」との距離も少し変え、自由に行動する時間を増やすことにする。


「……放っておくって、一緒にいたらだめなの?」


 リムリーシェが悲し気な目でミカを見つめる。


「そういう訳じゃないんだけど、動き易くしていたいんだ。 まあ、昼はいつも通り皆で食べよう。」


 そう言ってリムリーシェに笑いかけるが、リムリーシェの表情は晴れなかった。

 それは他の皆も同じで、何とも気の重い空気が漂う。


「こんなのがずっと続くって訳じゃないさ。 状況は常に変わる。 来週には、またいつも通りになってるかもよ?」


 ミカはあえて明るい声で言う。

 それでも、重い空気を変えることはできなかった。







 ミカは放課後、一人でさっさと寮に戻ってきた。

 自分から望んだ状況ではないが、どうせならこの状況の中でやれることをやっていこうと思う。


 ガチャ、と寮の居室のドアを開ける。


「ただいま。 行ってくる。」と言いながら、雑嚢をベッドの上段に放り投げた。


 バタン。


 部屋の中で、支給された運動着をタンスに仕舞っていたバザルが顔を上げる。

 だが、その時にはすでにミカの姿は部屋になかった。


「…………は? ミカ殿……?」


 バザルはしばらくの間、きょとんとしてドアを見つめていた。


「さて、とりあえずは王都の探索だな。」


 ミカは寮の階段を下りながら、”制限解除リミッターオフ”と”吸収アブソーブ”を行う。

 すぐに【身体強化】を発現し、一瞬の気持ち悪さに顔をしかめた。

 寮の玄関まで出ると、【身体強化】の出力を四倍に上げて一気に駆け出す。

 寮に戻る学院生の流れに逆らいながら、正門を飛び出した。

 学院の前には送迎の馬車が何台も来ていたが、その間を通り抜け、王都の第二街壁まで走り抜ける。


 学院の正門から第二街壁までは一キロメートルくらい。

 街道が繋がっていて、周りには住宅や飲食店、雑貨屋などが並ぶ。

 実はミカは王都のことを、ニネティアナから少しだけ聞いている。

 ニネティアナは何度か王都に行ったことがあるらしく、「全く知らないよりは……。」と予備知識を教えてもらっているのだ。


 王都は王城を中心に八方向に大通りが伸びている。

 東西南北とその間の四方向、つまりは北東、北西、南東、南西の方向に大通りがある。

 昔はギルドが、そのうちの西の大通りにあったらしいが、最近できたという支部については分からない。

 そして、魔法学院からもっとも近い大通りは南東の大通り。


 ミカは第二街壁に辿り着き、左手のブレスレットを検問の兵士に見せる。

 第二街壁の検問は然程厳しくなく、左手のブレスレットを顔の高さまで上げて見せながら歩けば、止められることなく通ることができた。


 ミカの左手には、プレートに「イストア 魔法学院マジックアカデミー」と刻まれたブレスレットがつけられている。

 レーヴタイン領の魔法学院でもつけていた、プラチナのような美しい光沢のあるブレスレットだ。

 入学の初日にクラスの子供たちに配られ、その場でつけさせられた魔法学院の学院生である証。


「おおー、これが王都かー。」


 ミカは門を潜り、王都の街並みを眺める。

 大通りがめっちゃ広い。

 そして、多くの人で賑わっているが、サーベンジールのように混雑しているという訳ではない。

 というか、サーベンジールの混雑具合は異常だ。

 街の面積に対して人口が多すぎるのだろうか?


「めっちゃ住みやすいんじゃない、ここ。」


 ミカはきょろきょろと周りを見回す。

 ただし、家賃はバカ高いらしい。

 第二街壁の内と外で、家賃が倍くらい違うという。


 とりあえず、ミカの直近の目標はこの南東の大通りのある程度の把握と、冒険者ギルドを見つけること。

 この目標の次に、南東の大通りに接する二つの区画を把握する。

 当面は、これを目標に王都の探索をしていくつもりだ。

 サーベンジールでも、すべての区画を把握していたわけではない。

 まずは自分の活動の範囲を大雑把に決めて、その周辺の把握からやっていくつもりだ。


「まずは、軽く大通りを突っ切るか。」


 第二街壁から第一街壁まではおおよそ三キロメートル。

 往復で六キロメートル。

 この距離を「軽く走るか」と言えてしまう自分にびっくりだ。


 ミカは大通りに面した店などを見ながら、まずは軽く流す。

 そして、半分も行かない所で冒険者ギルドを発見した。


「意外に近かったな。 この通り沿いにあったのはラッキーだね。」


 南東の大通りに冒険者ギルドがあったのは幸運だった。

 これなら、武器屋などの店もこの通り沿いで行きつけを作れば良さそうだ。

 中を軽く覗くと、サーベンジールの冒険者ギルドよりもフロアが広い。

 新しくできた支部と言っていた通り、床なども傷も少なく、非常に綺麗だ。

 ただし、前情報通りかなり混んでいる。

 ギルドの外まで長蛇の列という訳ではないが、並ぶのにうんざりするくらいには混んでいた。

 並んでいる冒険者たちも待たされることにイライラしているのか、あまり空気がよろしくない。

 人手が足りないからとユンレッサたちが引き抜かれたようだが、これなら毎日大変なことになっていそうだ。


「顔を出すのは陽の日にしようかな。」


 ちょっと顔を見に来たよ、なんて声をかけられるような状態ではない。

 仕事の邪魔をするのも気が引けるので、顔を出すのは今度にすることにした。


「俺は俺で、さっさと足場を固めないとね。」


 今のミカはちょっと金欠だ。

 里帰りのお土産でお金を使ってしまったし、家族にも渡してきたからだ。

 すぐにどうこうなるようなことはないが、余裕という部分が丸っきりない。

 なるべく早くに定額でも何でもクエストをこなして、稼いでおかないと心許ない。


 そして、武器屋や防具屋、道具屋なども把握しておかないと、いざという時に困ることになる。

 サーベンジールから王都に拠点が変わったことで、様々なことを一からやり直さなければならない。


「……嫌いじゃないけどね。 というか、割と好きだったり。」


 仕事の転勤で、知らない土地に引っ越したことが何度かある。

 温泉街が近くにあるような田舎に飛ばされたこともあるが、そうした知らない土地を車で走り回り、飲食店などを探して回るのが結構好きだった。

 美味しい店に出会って嬉しかったり、不味い店で後悔したり、そうして新たな生活を築くのが楽しかった。

 社内でも、「転勤好き」としてそこそこ有名だった。

 ……普通は転勤って嫌がるらしいからね。


 ミカはとりあえず南東の大通りを第一街壁まで進んでみた。

 第一街壁には門が無く、ここからは第一街区には入れないようだ。


「この中はどうなってるんだろうな?」


 ミカはあんぐりと口を開けて上を見上げる。

 第一外壁は十メートルを超える高さで、サーベンジールの街壁と同じかそれよりも高そうだ。

 ちなみに、第二街壁の高さは七~八メートルくらいだった。


「第二街壁が七メートル、第一街壁が十メートル。 城壁はどのくらいの高さなんだ?」


 残念ながら、王城や城壁は見たことがない。

 今度、こっそり飛んで見てこようか。


「見つかったら洒落にならんか。 やめておこう。」


 まだ領空侵犯の概念すらないだろうが、撃ち落とされても文句は言えん。

 対空ミサイルは無くとも、どんな【神の奇跡】があるか分からん。

 危険を冒すだけの意味があるならやぶさかではないが、お遊びでやるには危険すぎる。


 ミカは第一街壁まで着いたことで、再び南東の大通りを戻って行く。

 今度は来た時よりも少しゆっくり移動し、武器屋や防具屋などを見つけたら軽く中を見ていく。

 どこも値段は似たり寄ったりで、特別安い店があるわけではなかった。

 おそらく質についても同程度だと思うが、さすがに物の良し悪しはミカには判断がつかない。

 値段もサーベンジールと然程違いはないので、ギルド近くの店を選んでおけば安牌だろう。

 今はとりあえず、ハズレの店だけ避けられればいい。


「まあ、初日としては上出来かな。」


 第二街壁まで戻り、一息つく。

 ギルドも見つかり、各店もだいたい把握した。


「明日は大通りから少し入ってみようかな。」


 サーベンジールでは結局、鍛冶屋街というのを見つけられなかった。

 質の良い武器や防具が欲しければ鍛冶屋街に行けとのアドバイスが、今のところ活かせていない。

 王都では六年も暮らすことになるので、これまでできなかったことにも少しずつチャレンジしてみたい。


「やりたいことはいっぱいあるんだけどなあ。」


 学院中心の生活が面倒すぎる。

 寝床に食事、お小遣いつきという破格の条件だが、さっさと自立して何とか冒険者一本に絞れないものだろうか。

 それでも、こうして平日の放課後も行動できるようになってきたことで、少しずつ自由度は上がっている。

 焦らずじっくりと足場を固めて行けば、きっと道は拓ける。


「それじゃ、腹も減ったし帰るか。」


 ミカはそう呟くと夕暮れの王都の街に背を向け、第二街壁の門を潜った。




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