第71話 わからせる




 入寮した翌日。

 昨日の別れ際に約束した通り、朝食後に正門へ向かう。

 レーヴタイン組の男の子たち四人で向かうと、リムリーシェたち三人がすでに待っていた。


「おはよう、ミカ君。」


 リムリーシェが笑顔で挨拶をしてくる。

 昨日の捨てられた子犬のような感じは欠片もない。


「おはよう、よく休めた?」

「うん。」


 ミカが聞くと、リムリーシェはしっかりと頷く。


「ルームメイトの子とお友達になれたよ。」

「それは良かった。」


 何だか、お父さんの気分になってくるな。

 転校先で馴染めるか、娘を心配する父親の気持ちを疑似体験しているようだった。


 ツェシーリアとチャールも気力が回復したのか、すっきりした顔をしている。


「じゃあ、軽く見て回るか。」


 ミカはこっそりと”制限解除リミッターオフ”と”吸収アブソーブ”を使う。


「創造の火種たる火の大神。 ――――。」


 そうして【身体強化】の詠唱を始めると、皆が驚いた顔をする。


「どれだけ広いのか分からないんだぞ? 強化割合は低くてもいいから、使っときなよ。」


 せっかく便利なもんがあるんだ、使わなきゃ損だろ?

 ミカが言うと、皆も素直に従う。


「よし、じゃあ行くか。」


 小走りのようにミカが移動を始めると、皆もついてくる。

 まずは正門から真っ直ぐ正面に伸びる道を進む。

 おそらく、この道はグラウンドに続く道だろう。

 道の両側には建物があり、左側が五階建ての校舎、右側が体育館のようなものだと思われる。


 グラウンドに出ると、その広さはレーヴタイン侯爵領の魔法学院よりももっと広かった。

 八百メートルほどのトラック、その奥には広いアスレチックコースと、その横に森林もある。

 広くはなったが、内容にあまり違いはないようだ。


「とりあえず、あっちから見てみるか?」


 ミカがアスレチックを指さすと、皆も頷く。

 これから散々に往復させられることになるであろう、アスレチックの内容は皆も気になるようだ。

 ミカはグラウンドを周り込むように進み、アスレチックを目指す。

 学院の敷地の端を歩くと、ガヤガヤとした人の話し声が聞こえる。

 どうやら学院の壁の向こうに、沢山の人がいるみたいだった。


「なんか騒がしいわね。 何かしら?」


 ツェシーリアも気になるのか、何となく壁の方を見ながら走る。

 レーヴタイン侯爵領の魔法学院は、サーベンジールの街の端にあった。

 周りは高級住宅街だが、その中でも割と空き家や空き地の多い辺りだ。

 学院の外からの音というのは、聞こえてきたことがなかったような気がする。


「後で学院の外にも行ってみるか?」

「そうね。 ちょっと気になるかな。」


 とりあえず今日の見学コースに、学院の外も追加する。

 そんなことを話しながら走っていると、アスレチックのコースに着く。


「すごーい。」


 リムリーシェが目の前にある障害を見上げて呟く。

 同じ物はレーヴタイン侯爵領の魔法学院にもあった。

 だが、その大きさがたぶん倍くらいになってる。


 おそらく高さは十メートルほど。

 鉄骨を組んで、そこから網目状のロープを垂らしている。


「何でもでかくすりゃいいってもんじゃないだろうに……。」


 ミカがげんなりしてぼやくと、周りから乾いた笑いが起こった。

 眺めるだけでは済まないのだ。

 これから数年間、これらを乗り越えるために苦労させられることを思うと、せめて笑ってでもいないとやってられないのだろう。

 アスレチックコースは以前の四倍くらいの広さがあり、障害の数も多く、そのすべてが大きい。

 【身体強化】を使えば、それでも難なく乗り越えられると思う。

 だが、絶対に素の状態でもやらされる。

 全員が確信していた。


「ま、とりあえずどんなもんかは分かったし、向こうも見るか?」


 次にミカは森林を指さす。

 ただの森林であれば、わざわざ見るまでもないかもしれない。

 だが、一応皆は見ておきたいようだ。

 ミカが聞くと全員が頷いた。


 ミカは小走りで森林に向かう。


「何だこりゃ。 ……何でこんな物が。」


 森林の手前には草叢があるのだが、その草叢の端の方に塹壕のような物がいくつかあった。

 低いが土嚢袋を積み、浅い穴も掘ってある。

 学院を囲う壁の近くには、何に使うか分からない鉄パイプを組んだような物なんかも置いてある。

 ミカは思わず溜息が出る。


 なぜこんな所に塹壕などがあるのか?

 そんなの、訓練で使っているからに決まっている。

 つまり、学院では塹壕を使った何かしらの訓練が行われているのだ。


「ミカ君。 これなに?」


 リムリーシェには、塹壕が何か分からないらしい。

 他の皆を見ると、皆もよく分からないようだ。

 だが、メサーライトだけ表情が冴えない。

 おそらく見当がついているのだろう。


「たぶん、塹壕だと思うよ。」

「ざんごう……?」


 皆に塹壕の用途を簡単に説明する。

 この世界には銃などないだろうから、たぶん弓を防ぐためだろう。

 あとは、【神の奇跡】でそういう攻撃があるのかもしれない。

 以前に学院の図書室で読んだ文献には、あまり攻撃に関する【神の奇跡】の例が載っていなかった。

 治療の【癒し】、不浄な者を払ったりする【清め】や【祓い】、そしてミカたちが習った【身体強化】などだ。

 おそらく検閲して、子供たちに知られたくない内容の含まれる文献は図書室に置かなかったのだろう。


 ミカの説明を聞き、女の子三人とポルナードの顔色が青くなる。

 メサーライトは前に魔法学院のことを調べたと言っていたので、分かっていたのだろう。

 ムールトも魔法士の存在理由に気づいていたのか、表情は冴えないが青くはなっていない。


 前にムールトと喧嘩した時、魔法士のことを少し話した。

 覚悟はしていたのかもしれない。


 ミカたちは森林の中にも入ってみた。

 結構広いが、特に森の中に何かがあるわけでないようだ。


「皆、ちょっと来て。」


 皆で適当にバラけて森の中を歩いていたが、ツェシーリアとチャールが何かを見つけたらしい。

 後ろをついて来たリムリーシェを見ると、ミカを見て頷く。

 とりあえず、ツェシーリアたちの方に行ってみる。


「……これはまた、何と言うか。」


 それは、木の間に張り巡らされたロープだった。

 高さは2種類。

 ミカの腰より少し低いロープを張った地帯と、ミカの頭より少しだけ低いロープを張った地帯。


「何なの、これ?」


 ツェシーリアは、その異様な光景に怯えているようだ。

 薄暗い森林の中に張り巡らされたロープ。不気味と言えば確かに不気味だ。

 先程の塹壕の説明で、このロープもロクでもない物だと思っているだろうし。


「ミカ、分かる?」


 メサーライトが聞いてくる。

 何となくの見当はつくが、ミカにも正解かは分からない。


「たぶん……、屈んで移動する訓練と、匍匐ほふくの訓練のためだと思う。」

「ほふく……?」


 ミカの身長は大変残念ながら、人より小さいので、屈んで移動する訓練のロープは少し頭を下げれば済む。

 だが、普通は大人がこの下を通るのはかなり苦労するはずだ。

 身体が成長した高等部になる頃には、ミカもこのロープに苦しめられることになるだろう。


 なってるよな?

 なっててくれ。


 ミカが説明すると、また皆の顔がどんよりしてくる。


「ていうかさ、何でミカはそんなこと知ってるのよ。」


 ツェシーリアが見たこともない物を、あっさりと説明してみせるミカに疑問を持ったようだ。


「知ってるわけじゃないよ。 たぶんこうなんじゃない?って適当に想像してるだけ。」


 ミカの返事を聞いてもツェシーリアはあまり納得はしていないようだが、とりあえずはそれ以上の追及はして来なかった。


 森を抜けて学院の壁に沿ってぐるっと移動する。

 そうして、目の前に五階建ての二棟の建物。

 おそらく女子寮だろう。


「こーして見ると大きいね。」


 リムリーシェが口を半開きにして建物を見上げる。

 その表情に、少しだけほっこりした。

 建物の正面側に周る。


「あたしの部屋あそこだ。」


 ツェシーリアが四階の真ん中辺りの部屋を指さす。


「へぇ、あそこなんだ。」

「……覗きに来ないでよ、ミカ。」

「何だ? 行ってほしいのか?」

「そんな訳ないでしょ! 来たら突き落としてやるから!」


 行く訳がない。

 たぶん、それも、強制収容所行きだろう。

 俺だって命は惜しい。

 申し訳ないが、ツェシーリアの着替えにそんな価値は見いだせない。


「私の部屋はあそこだよ。」


 リムリーシェがにこにこしながら三階の端の方の部屋を指さす。

 なんか、「今度遊びに来てね。」とでも言いそうな感じの笑顔だ。

 行けないけど。


「…………三階……。」


 チャールがいつの間にか横に来て、ぼそっと呟く。

 ちょっとだけビビった。


「チャールも三階? リムリーシェと一緒なんだ。」


 ミカがそう言うと、二人は視線を合わせて頷き合う。


 ミカたちは正門に向かって歩き出す。

 すると、メサーライトとポルナードの二人が列の最後尾で何やらこそこそ話をしている。

 そこにツェシーリアも加わると、急にプッと噴き出した。


「ちょっとちょっと、リムリーシェ、チャール。」


 ツェシーリアが手招きしながら小声で二人を呼ぶ。

 いや、丸聞こえなんですけどね。


「おーい、何してんだー? 外行くぞー。」


 正門に着き、立ち話を始めた子供たちに呼びかける。

 ミカの後をついて来てたのはムールトだけだった。


「何やってんだ?」


 ミカが呟くのと同時に、子供たちが急に笑い出した。

 何やら盛り上がっているが、どうしたものか。

 ミカが首を傾げていると、ツェシーリアがにやにやしながらやってくる。


「そういうことなら言ってくれれば良かったのにー。」


 などと、よく分からない供述を――――。


「ミカちゃんのお部屋は女子寮の方だったのねー。 昨夜はどうしたのー? 野宿したのー?」


 どうやら、メサーライトとポルナードが昨日の寮母の悪戯を話したようだ。

 ムールトが昨日のことを思い出したのか、横を向いて笑いを必死に堪えている。

 ツェシーリアがにやにや顔で、ふふんと鼻を鳴らしてミカの前に来た。


(何だか、こいつのにやにや顔は無性に腹立つな……。)


 何と言うか、猛烈に衝動に駆られる。

 ミカの両手がすっと動き、ツェシーリアの頬をぐにーと引っ張る。


ひひゃぃいたいっ!?」

「ごめんなさいは?」

ひょっほちょっと! ひひゃひひゃはいいたいじゃない!」

「ごめんなさいは?」

ははひははいほはなしなさいよ!」

「ご め ん な さ い は?」


 ツェシーリアが何を言おうと、ミカはひたすら「ごめんなさいは?」と問い続け、顔を右へ左へと振る。


「ミカ君、ごめんなさい。 だからそんなに怒らないで。」


 リムリーシェが仲裁に入るが、気にせず制裁を続ける。

 そして――――。


「…………ほへんははいごめんなさい。」

「よし。」


 ミカは満足して手を離す。


(わからせ完了。)


 ツェシーリアは半泣きで頬を押さえ、リムリーシェが慰める。

 ミカは清々しい晴れ晴れとした気持ちで胸を張るが、皆からの視線がとても冷たいものになっていた。

 そしてなぜか、チャールの視線だけが熱く、何やらはぁはぁしてた。


 あれ、俺が悪いの?

 もしかして、やり過ぎた?







 気を取り直し、学院の外に出る。

 正門を出てすぐはロータリーのようになっていて、昨日馬車を降りたのもここだ。

 そして、周囲には様々な建物が並んでいる。

 住宅もあれば、飲食店や雑貨屋などの店舗もある。

 魔法学院のある場所は、所謂第三街区と言われる場所だ。

 第二街壁の外にある。

 つまり、ここは厳密には王都の外、ということになる。

 広い敷地が必要だったので、何もない所にでーんと建てたら、その後周囲にいろいろ建った。

 ということらしい。


 魔法学院を建てた後、元々あった騎士学院も老朽化してたので「どうせなら近くに建てるか」と街道を挟んだ向かいに騎士学院もある。

 そして、学院生をアテにして店ができ、更に人が集まるようになり、今は完全に第三街区の中に組み込まれた、ということだ。

 学院の前の道を真っ直ぐに進むと、すぐに街道にぶつかり、斜め向かいに騎士学院が見えた。

 ここからは見えないが、騎士学院の向こうに共同で使う演習場もある。

 実際には騎士学院のための演習場で、合同で訓練をする時にちょっとお邪魔することになるらしい。


 ミカたちは来た道を引き返し、学院の正門に戻る。

 今度は学院の周囲をぐるっと歩いてみる。

 壁沿いに道があり、その周りに普通に建物が並ぶ。


「ここ、本当に王都の外なの?」

「厳密にはそういうことになってるらしいけどね。 普通に街だよな。」


 リムリーシェが横で、きょろきょろ周りを見回して聞いてくる。

 街並みを眺める限り、サーベンジールの街を歩いているのと大して変わりがない。

 むしろ、人が多すぎるサーベンジールよりも、ミカからすれば余程住みやすいと思う。


 王都の人口の実に七割が、この第三街区に居住していると言われている。

 学院の周囲は段階的に建築制限が設けられ、ぱっと見には二階建て以上の建物はないが、一キロも離れると五階建ての建物も普通に立ち並ぶらしい。

 見た感じそこまでごみごみした印象は受けないし、サーベンジールほど人が過密ではない。

 しかし、これで「ここは王都の外」と言われてもちょっと信じ難い。


(……だけど、街壁も何もないこんな所じゃ、もし侵攻されたらただやられるだけだろうな。)


 公式に王都と認めない理由は、その辺にもありそうだ。

 いざとなれば切り捨てる。そう宣言しているように感じる。

 もっとも、こんな所まで侵攻されている状況なら、すでに王都内についても時間の問題だろう。

 単に早いか遅いかの違いしかない。


(そういう兆しでもあるのか? だから、切り捨てるための理由を残している?)


 考えすぎだろうか。

 この国の中枢は、グローノワ帝国といつ戦争になってもいいように、準備をしているように見える。

 平和ボケして「攻めて来るわけがない。」と根拠もなく言い放つ能天気な連中ばかりじゃ困るが、あまりに周到に準備をされるとそれはそれで不安になる。


 いつ開戦してもおかしくない。

 そう、国の首脳陣は考えているのだろうか?


 ミカはそっと溜息をつく。

 丁度一年前、侯爵の娘を誘拐する事件が起こった。

 実行した賊は雇われていた。

 ――――誰に?

 国境防衛のトップと思われる侯爵の娘を誘拐したのだ。

 誘拐に営利目的以外の陰謀を感じるのは考えすぎだろうか?


(考えても分かる訳がない……。 ただ、営利目的だとすると、賊への報酬が莫大過ぎだ。)


 大金貨五十枚。

 無傷なら倍額。


 ここまで大きな金額を提示されれば、反って空手形を疑わないだろうか?

 営利目的ならそれ以上を侯爵から引っ張り出さないと採算が取れない。

 しかし、賊は依頼人クライアントの支払いを疑っていない。

 疑うような用心深さがなかったのか、疑う必要のない相手だったのか。


(皆殺しにしたのは失敗だったか?)


 あの時はミカにも余裕がなかった。

 半殺しで済ませて、情報を引き出すなんて思いつきもしなかったのだ。


(状況だけを見ると、裏で絵図を描いたのはグローノワ帝国になるだろうな。)


 まあ、貴族同士の権勢争いなんて線も無くはないが、それで国境防衛のトップの娘を狙うのは危険すぎないか?

 ミカがそんなことを考えていると、袖を引っ張られた。


「ん?」

「まだ怒ってる、ミカ君?」


 リムリーシェが不安そうに聞いてくる。


「怒ってないよ? 何で?」

「ちょっと、……怖い顔してる。」


 どうやら、考えが顔に出てしまったようだ。

 ミカは努めて、笑顔を作る。


「ちょっと考え事してた。 元々怒ってなんかいないよ。」


 わからせただけです。


「それなら、いいけど……。」


 だが、リムリーシェの表情は晴れない。

 どうも納得していないようだ。

 ミカは苦笑する。


「本当に怒ってないんだけどなあ。」


 そうして、リムリーシェの目を真っ直ぐ見る。


「心配かけてごめんね。 大丈夫だよ?」


 それから、リムリーシェの機嫌を直すために、ミカはあれこれ頭を悩ませるのだった。




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