第65話 秋の遠足




 風の2の月、2の週の月の日。

 雲一つない見事な秋晴れの行楽日和。

 …………太陽が出ていれば。


 まだ日も出ていない早朝から、学院の正門に2年生の子供たち全員が集められていた。

 ついに今日、待ちに待った?遠足の日を迎えた。

 迎えてしまった…………。


 日が出ていればそこそこ暖かい日も多いが、まだ夜も明けていない時間ではめちゃめちゃ寒い。

 たぶん、気温は10度もないだろう。

 運動着を着た子供たちは各々で準備運動をして身体を温める。


「いよいよだねー。」


 リムリーシェが身体を伸ばしながら話しかけてくる。

 聞くまでもなく、その表情や身体の動きからわくわくしているのが分かる。


(そんなに楽しみにしているのは、たぶん君だけだ。 リムリーシェよ……。)


 これから行われる死の行進を前に、クラスの子供たちの表情は暗い。

 道中の苦しみ、辿り着けるだろうかという不安。

 それらを考えれば、とてもわくわくなどしていられないだろう。


 去年、ミカたちがまだ1年生だった頃、当時の2年生たちもこんな早朝から集められてこの死の行進に挑んだ。

 普段ならまだぐーすか寝ている時間。

 その頃のミカは、まさか自分の寝ている間にこんな地獄の行事が行われていたなど想像だにしなかった。


(今何も知らずに寝ている1年生たちよ。 来年はお前たちだぞ。)


 くそぉ、呑気に寝やがって!お前たちも同じ目に遭いやがれちきしょー!

 と、少々八つ当たり気味に呪詛を送る。


 ミカは身体を解しながら、ちらりとリムリーシェを見る。

 リムリーシェは本当に楽しそうに、明るい表情をしながら準備運動をしていた。


 リムリーシェはこの遠足への参加を目標に、ずっと頑張ってきた。

 最後まで中々【身体強化】を発現できず、危うく遠足への参加を認められないところだった。

 それが、こうして参加できるようになって本当に嬉しいのだろう。

 ミカもそれについては心から良かったと思うし、嬉しく思う。

 …………自分が参加するのでなければ。


(国境まで五十キロメートルとか。 まじで頭おかしいだろ。 誰だよ、こんなの考えた奴は!)


 国境を見学して、国防意識を植え付けたいなら、馬車でも用意すればいい。

 というか、普通なら馬車を使う距離だ。

 子供に歩かせるような距離じゃない。

 ミカは今日何度目かの特大の溜息をつく。


「もう、ミカ君。 また溜息ついてる。 ……ミカ君が不安になると、皆も不安になっちゃうんだよ?」


 リムリーシェに叱られた。

 以前では、とても考えられないことだ。

 リムリーシェは【身体強化】を使えるようになってから、どんどん明るく、元気になっていった。

 たぶん、自分に自信がついてきて、本来の姿を取り戻したのだろう。


 家庭環境もあり、リムリーシェはいつも自信なさげに俯いていた。

 学院でも皆より魔力操作も【身体強化】も遅れ、「やっぱり自分なんか……」とますます落ち込む日々。


 だが、そのリムリーシェが変わった。

 【身体強化】を得たことで、自分でもできるのだと知った。

 そして、運動の時間ではこれまで先を進んでいたクラスメイトたちを正にごぼう抜きしてみせた。

 俯きがちだった視線は真っ直ぐに前を見るようになり、その目には少しずつ意志の光を宿すようになっていた。


 きっと、自分の中で何か次の目標を見つけたのだろう。

 誰かに言われてやるのではない。

 こうなりたい、という自分の中の目標を見つけ、それに向かって進む自分に誇りを持っているのだ。


「ふぅー……分かったよ。 いい加減覚悟を決めるよ。」

「うん。」


 ミカは諦めて腹をくくる。

 もはや嘆いてもどうにもならない。

 ”吸収アブソーブ”という反則のような手段を持つミカが嘆いていては、普通に挑戦する他の子供たちなどどうすればいいのか。


 そんな話をしていると、ダグニーとナポロがやって来た。


「準備運動はしっかりやったね。 それでは、改めて注意事項を伝えるぞ。」


 ナポロが子供たちに今日の注意事項を伝えていく。

 そして、全員で【身体強化】の呪文を詠唱し、【神の奇跡】を発現する。


「よし、出発だ。」


 子供たちは雑嚢と水筒を持ち、ナポロを先頭に正門からジョギングペースで出発する。

 殿しんがりはダグニーだ。

 まずはサーベンジールの街の外に出なくてはならない。

 ミカも行ったことのない東門に向けて、まだ薄暗いサーベンジールの街を子供たちが走る。

 少しずつ日が昇り、東の空が白み始めた。


(街を出るだけで五キロメートル……。 実質、これが準備運動みたいなものなんだよな。)


 、まずは五キロメートルのジョギング。

 ここからして、すでにおかしいと思うのは俺だけだろうか?


 学院から中央広場に向かい、そこから大通りを東門に向かう。

 大通りをジョギングしていると、店の準備をしているらしい人たちから、


「頑張れよー。」

「気をつけてなー。」


 といった声援がかかる。

 どうやら、魔法学院の秋の遠足はサーベンジールの街の風物詩となっているようだ。


 東門に着くと形だけの検問が行われ、兵士たちからも「頑張れよ。」と声をかけられる。

 そうして東門をくぐり街の外に出ると、騎士の一団がミカたちを待っていた。


「よし、止まれ。」


 ナポロの掛け声で、全員が騎士たちの前に並ぶ。

 十二人の騎士たちは全身鎧ではなく、上だけ金属の鎧を着て、剣も佩いている。

 騎士たちのうち四人が騎馬、残り八人は徒歩のようだ。


「これから2日間お世話になる騎士の方々だ。 敬礼。」


 ミカたちが敬礼すると、隊長らしい一人が満足そうに頷く。

 この騎士たちは学院生のだ。

 敵対関係にある国との国境に子供たちが行く。

 それも、将来を嘱望される未来の魔法士様が、だ。

 万一の事態に備え、毎年騎士の小隊が一隊同行するらしい。


 いきなり戦争勃発なんてことはないだろうが、それだって絶対にないと言える訳ではない。

 グローノワ帝国の工作員と遭遇なんてことも、可能性だけなら否定できない。

 他にも獣や魔獣、賊などがいるかもしれない。

 そうした事態に備え、騎士が一隊派遣されるのだ。


 無事に騎士たちと合流し、ようやくここからが秋の遠足の本番。

 騎士たちは子供たちの前後左右に二人ずつ付き、四頭の騎馬は最後尾に付く。


 早歩きのようなペースで街道を進む。

 とりあえず普段の運動の時間と同じように、歩いている間はきちんと並べとかの煩いことは言われない。

 毎週街の外に出ているミカだが、東門の外は初めてだ。

 西門の外は周りに何もないが、東門は外に出ても遠くにいろいろな建物が見える。

 そうした建物を眺めていると、整列してジョギングしている集団をいくつも見かける。

 隣を歩くリムリーシェも、物珍しそうにきょろきょろと周りを見ていた。


「こちら側は初めてかい?」


 ミカの近くにいた騎士が声をかけてきた。


「そうですね。 西門と違って、街の外なのにいろいろあるんですね。」

「これらは基本的には軍関連の施設だ。 いや、基本的にっていうか、軍の施設しかないか。」


 どうやら、街の東には軍の施設が沢山あるようだ。


「国境側だからですか?」

「そう。 あっちに演習場。 あれも演習場。 あの建物の向こうにも演習場がある。」


 演習場ばっかりだった。

 建物は、それぞれの演習場に付属する建物らしい。


「他にもあるんだけどね。 ここからは見えないな。」


 そんな話を聞きながら景色を眺め、それでもずんずん進む。

 悠長に歩いていては国境に着くのが深夜になってしまう。


 そうして2時間ほど歩き、初めての小休止。

 ダグニーとナポロが、”魔力の回復薬”を二本ずつ子供たちに配る。


 丸一日かけて国境まで【身体強化】を使って歩く。

 だが、当然そこまで魔力がもつ訳がない。

 そこで使うのがこの”魔力の回復薬”だ。

 一本使えば大体半分くらいの魔力が回復できる。

 これをがぶ飲みしながら国境を目指すのだ。

 …………そこまでしてやるなよ、こんな行事。


 学院でも、何度か午前の授業を潰して一日歩くというのをやらされた。

 ちなみに、魔法具屋で聞いた”魔力の回復薬”のお値段はなんと一本、大銀貨一枚。一万ラーツだった。

 要は、一万円のユンピールか?


 体力の回復もしたい人は、普通の回復薬ポーションも合わせて飲む。

 疲労に関しては無くなるわけではないが、それでも飲んだ方が楽になるのは確かだ。

 …………ほんと、そんな薬漬けにしてまでやるなよな、こんな行事。


 ミカは”吸収アブソーブ”を使っていれば必要ないのだが、丸一日一切飲まないのでは不審に思われてしまう。

 なので、【身体強化】を発動したら適当なところで”吸収アブソーブ”を切り、魔力量を減らすようにしている。

 それでも”常時消費する魔力”を極小にしているため、あまり減らないが。


 皆は何とか【身体強化】の出力を1.7~2倍くらいまで引き上げている。

 それで、ぎりぎり2時間持つようになってきた。

 だが、子供の体力が2倍になったところで、しっかり鍛えている大人に敵う訳がない。

 その大人でさえ苦労する距離だ。

 1.7倍をやっとの思いで絞り出すポルナードは本当にきつそうだ。


 この「2時間【身体強化】をもたせる」というのが一つの目安になっているようで、楽をしようと強化しすぎれば2時間もたずに魔力がなくなる。

 そうするとめっちゃ怒られることになるので、皆魔力の消費ペースはすごく気をつけている。


 ちなみにリムリーシェは3倍近くまで増やしているらしい。

 そこまで引き上げて2時間持つのは、リムリーシェくらいのものだ。

 本当にこの子、規格外だね。


 小休止を終え、再び歩き始める。

 街道を歩きながら眺めていると、遠くの方にちらほらと建物とかが見える。

 だが、そうしたものを「あれは何?」と聞くと、すべてが演習場とその関連施設だった。

 本当に街の東側は演習場ばっかりだ。


 更に進むと、遠くにいくつもの建物が集まった場所が見えてきた。

 どうやらそこは演習場ではなく、王国軍の駐屯地なのだとか。

 領主軍の駐屯地は別にあり、もっと国境寄りの場所らしい。


 そこから更に進んで、最初の小休止から2時間くらいでようやく昼食になった。

 昼食は領主軍の差し入れだ。

 なんと予め軍の人が場所の確保、食事の準備と用意しておいてくれたのだ。

 この遠足、同行する騎士の派遣といい、領主軍の全面協力の下に開催されているようだ。


 時間としてはまだ昼には早いが、朝早くに起きてずっと歩きっ放しである。

 すでに二十五キロメートル以上を歩き、さすがにミカもバテてきた。

 しかし、これでようやく道程の半分ほどだ。

 本気で嫌になってくる。

 しかも何が嫌になるって、この遠足は明日も歩いて帰るのだ。

 まだ着いてもいないのに、明日の帰りのことを考えて更に憂鬱な気分になった。


「さすがに疲れたねー。」


 リムリーシェが笑顔で話しかけてくる。


(そんな笑顔でいるのは、君だけだぞ……。)


 ぶっちゃけ、皆「もう嫌だ」と思っているのがその顔を見れば分かる。

 勿論、俺も同じ気持ちだ。


「リムリーシェは元気そうだね。」

「そんなことないよ。 思ったより日差しが強くて、バテちゃった。」


 普通に話ができるだけ、元気な証拠だ。

 ミカとリムリーシェ以外のクラスメイトは口数が極端に減っていた。

 この調子で本当にもつのか?と心配になってくる。


 それでも用意された昼食は、皆すごい勢いで平らげていた。

 本当に逞しくなった。

 どんなに疲れてても「疲れすぎて食欲がない」なんてことにはならなくなったのだから。

 むしろ、どんなに疲れてても、とりあえず食べれば動けるようにはなるって感じだ。

 すっかり常在戦場の心得というか、学院の流儀が身についてきたようだ。


 食事を終えて休んでいると、ナポロとダグニーに、ミカとリムリーシェの二人が呼ばれた。

 ナポロたちは、同行してくれている騎士の一人と話をしているようだ。

 隊長っぽいその騎士は、ミカとリムリーシェを交互に見比べる。


「この子たちがか?」

「ええ、そうですよ。 見えませんか?」

「んー……、そうは見えんなぁ。」


 隊長らしき騎士は、何やら小難しい顔をしている。


「こっちのミカ君は【身体強化】を使わなくてもクラスで一番です。 ムールト君もいい勝負をしていますが、【身体強化】を使ったらもう差は開く一方ですよ。」


 どうやら、今年の学院生の品評会のようだ。


「リムリーシェさんは身体能力は然程ではないですけどね。 魔力の量がちょっと桁違いと言うか。 【身体強化】を使ったら、ミカ君に次ぐのがこの子です。」


 話題が自分のことになり、リムリーシェが少しだけミカの後ろに隠れるように動く。

 ナポロの話を聞いても隊長は納得いかないのか、難しい顔のままだ。


「……こう言っては何だが、今年は不作なのか?」

「そんなことありませんよ。 むしろ今年は稀に見る豊作です。 これだけ才能に恵まれた子たちは、初めて受け持ちましたよ。」

「うーー……ん。」

「ミカ君、リムリーシェさん。 もういいわよ。 もう少し休んだら出発するから、それまで休んでて。」


 ダグニーに言われ、リムリーシェとさっきまで休んでいた場所に戻る。


「……何だか、ちょっとヤだね。」

「うん。 まあ、そうだね。」


 リムリーシェが小声で話しかけてくるので、とりあえずミカも同意しておく。

 ミカとしてはあんな騎士の評価などどうでもいいが、あまり気持ちのいいものではない。


(マグヌスって言ったっけ? 侯爵の傍にいた騎士は。 あの人は本気で俺のこと警戒してたけど……。)


 侯爵の取り調べの時、ミカと侯爵を二人だけにすることに本気で反対していた。

 あの人はミカの年齢や見た目などはまったく無視し、ただ”魔法士”としてのみ警戒した。

 与えられた情報が違うのだろうが、あの隊長は普段からミカたちを見ているナポロの意見を聞かず、ミカやリムリーシェを見た目で判断したのだ。

 そう考えれば、あの隊長っぽい人が、小隊かそこらの隊長止まりなのも納得できる。


(あんなのが数万を束ねる将じゃ目も当てられないけど、隊長クラスじゃそういうのが紛れるのは仕方ないよね。)


 つまりは、気にするだけ無駄ということだ。

 あんな上司の下に配属されたらご愁傷様だが、そんなことを今考えてもしょうがない。

 気分を変えるために、隊長の評価ではなく、ナポロの評価を拾う。


「リムリーシェ、【身体強化】を使ったら二番だってさ。 そのうち僕も抜かれちゃうかな。」

「え、えへへ……、さすがにミカ君を抜かすのは無理だよぉ。」


 実際、ナポロの評価を聞くまでもなく、今のミカたち二人と、他の子供たちを見れば一目瞭然だ。

 皆は少しでも身体を休めようと、話もせずじっとしている。

 その差にも気づかず、ただ見た目だけで評価をするなら好きにすればいい。


「魔力量も桁違いだってさ。 僕もリムリーシェの魔力量は羨ましいよ。」

「も、もう、やだぁ……。 あんまり揶揄からかわないでよ、ミカ君。」


 リムリーシェは顔を真っ赤にして照れている。

 普段リムリーシェの頑張りを褒めることはあるが、さらっと言うことが多い。


(こんなに照れるリムリーシェも珍しいな。 ここはいっちょ褒め倒してみるか?)


 ミカの悪戯心が頭をもたげ、残りの休憩時間いっぱいを使い、リムリーシェを褒めて褒めて褒め倒した。


 そうして休憩が終わり、再び地獄の行進が始まった訳だが、リムリーシェが恥ずかしがってツェシーリアたちの所に行ってしまった。

 どうやらやり過ぎてしまったらしい。


「どうしたんだい? 喧嘩でもしたの?」

「いえ、そういう訳ではないんですが……。」


 午前中にいろいろ教えてくれた騎士が、リムリーシェがミカの傍にいないことを心配してくれた。







■■■■■■







 ミカたちは夕方に国境の防護壁に着き、その長大な石造りの壁を見上げて圧倒された。

 高さは五メートルを超えるくらいか。

 そんな壁が平原に延々と横たわる。


 子供たちはぼろぼろだ。

 何とか辿り着きはしたが、大の字で寝っ転がっている子もいる。

 途中から皆は【身体強化】の出力を上げざるを得なくなり、魔力が2時間もたなくなるが、魔力の回復薬をがぶ飲みしながらもなんとか乗り切った。

 それでもポルナードは少しだけ遅れたが、何とか自力でここまで歩ききった。

 嬉しさか、つらさのあまりかは分からないが、今は大声を上げて泣いている。


 既定の2時間毎の魔力回復でここまで辿り着いたのは、ミカとリムリーシェだけだった。

 毎年、最終的には皆ががぶ飲みしながらになるらしく、追加なしで歩ききれたことにはあの騎士隊長も驚いていた。


「北西で切れる山脈がエックトレーム王国とグローノワを分断している。 南東で切れる山脈はアム・タスト通商連合との境界。 その山脈と山脈を繋ぐ形でこの防護壁が築かれ、以降はグローノワとの戦争は起きていない。」


 ナポロが説明しながら、防護壁の階段を上がる。

 ミカたちはナポロのあとに続いて階段を上がり、防護壁の上に出た。

 そこから見えるのは、枯れ草が点在し、土が剥き出しになった何もない平原。

 グローノワ帝国との戦争の舞台である、ダブランドル平原が広がっていた。

 この平原の先、1キロメートルほど行った所が実際の国境らしい。


「長さは三十キロメートルを超え、十六年もの歳月をかけてこの防護壁を築いた。 五十年戦争が終わった後にね。」

「防護壁建設時の、グローノワからの数々の妨害は本当にひどいものだったと聞きます。 それでも当時のレーヴタイン辺境伯の下で多くの者たちが一丸になり、ついにこの偉業を成し遂げたのです。」


 ナポロの説明を、ダグニーが引き継ぐ。


 当時、戦争による痛手から復興するために王国は内政に注力した。

 そのため国境の防護壁の必要性は認めたが、建設にまでは手が回らなかった。

 しかし、当時の辺境伯は並みの胆力ではなかったようだ。

 ならば「自分がやろう。」と、戦争が終結したばかりだというのに単独で防護壁建設に着手した。

 もっとも苦しかったのは他ならぬレーヴタイン辺境伯領のはずなのに。

 辺境伯領こそが戦地、こそが最前線だったのだから。


 辺境伯は戦後もエックトレーム王国の盾であろうとし続けた。

 防護壁を築き上げれば、グローノワ帝国の脅威を排除できる。

 戦争中では無理だが、戦後ならば可能だと私財と領地からの収入を投じて、親子二代に渡って防護壁建設に心血を注いだ。

 レーヴタイン辺境伯軍単独で防護壁の防衛を行い、グローノワ帝国からの妨害を阻止するために多くの血を流した。

 すでに戦争は終わっているというのに。


 防護壁建設に着手してから十六年。

 ついに防護壁が完成すると、辺境伯は侯爵へと陞爵しょうしゃくした。

 実際の権限と言う意味では、辺境伯も侯爵もあまり変わりはないらしい。

 だが、長年の功績に報いたいという王の意向により、レーヴタイン辺境伯はレーヴタイン侯爵へと陞爵しょうしゃくしたのだ。


「……でも、これにはちょっといろいろあってねえ。」


 ダグニーの説明の途中で、急にナポロが口を挟んだ。

 話の腰を折られたダグニーだが、なぜか苦笑している。


「辺境伯は、陞爵しょうしゃくの話を蹴ったんだよね。」

「は?」


 なにそれ?

 王の意向で陞爵しょうしゃくって話だったよね?


「それ……、まずいんじゃないですか?」


 ミカは何だか聞いてはいけないことを聞くような気がして、恐るおそるナポロに尋ねる。


「まずいなんてもんじゃないよ。 当時はまだ前王の時代なんだけど、前王が激怒しちゃって国中がひっくり返るような大問題になったよ。」


 レーヴタイン辺境伯は、防護壁建設の功は自分ではなく、自分の家臣たちにこそあると主張したらしい。

 そして、自らの領地を割譲する形でいいので、特に功の大きい数名の家臣たちを叙爵して欲しいと頼んだそうだ。


「いくら功績ある辺境伯とはいえ、一貴族の家臣たちを叙爵ですか?」


 無理でしょ、そんなの。

 貴族とは当然ながら国王に忠誠を誓うものだ。

 それをこんな形で認めたら、その大前提を覆す前例を作ることになる。

 そして、今は大丈夫でも将来の反乱の可能性を考えたら、辺境伯に忠誠を誓っているであろう家臣たちを一斉に叙爵させるなど絶対に認められない。


 家臣に功があるというなら、それは主君である辺境伯が褒賞を与えればいい話だ。

 いくら王国のためになる大事業とはいえ、それで「叙爵を。」と言う方がどうかしている。

 前王が激怒するのも分かる。


「まあ、それでいろいろあったんだけどね。 結局は当時王太子だった現王が説得して、レーヴタイン辺境伯の侯爵への陞爵しょうしゃくと、家臣たちの子爵や男爵への叙爵を認めさせたんだ。 かなり危ないところだったみたいだけど。」


 果たしてそれでいいのだろうか?

 一応は丸く収まったようだが、下手したら「二心ふたごころあり」と看做されて王国軍を差し向けられてもおかしくない。

 そして、その火種はずっと燻り続ける。

 何十年何百年経とうが、その火種が消えることはないだろう。


「ヘイルホード地方の貴族は、皆その時に叙爵された貴族なんだ。 オールコサ子爵、ブライコスロア子爵、ミュレーアオル子爵。 ……ミカ君は確か、リンペール男爵領出身だったかな? リンペール男爵もその時に叙爵された一人だよ。」


 リッシュ村のあるリンペール男爵領も、その時の騒動で新しくできた領地らしい。


 もしも、の話にはなるが――――。

 リッシュ村の開拓がリンペール男爵の叙爵以降に行われたのだとしたら、それまで騎士としてしか務めたことのない男爵がいきなり領地経営をすることになり、思いつきで始まったという可能性がある。

 ロクに入植者の目途も立っていないのに、いきなり大風呂敷を広げて広大な土地を確保。

 「門は村の顔だ。 立派にしろ!」とか言い出して、丼勘定で門だけ先に作り、最終的に壁を作る予算がなくなった。

 沢山生産すれば儲かる、と考え「生糸と織物をばんばん作れ!」と無駄に工場を大きく作った。

 そんな光景が、ふと目に浮んだ。

 あの村のちぐはぐさの理由を垣間見たような気がした。


(川の反対側に村を作らなかった理由も、もしかしたらグローノワ帝国の侵攻を考えてか……?)


 終戦後も十六年も戦い続けた騎士なら、森の獣など恐れる必要がない。

 何よりも恐れたのは、おそらく帝国の再侵攻ではないだろうか。


 まあ、これはあくまで聞いた話を元にストーリーを作ると、ではあるが。

 叙爵が三十年以上前のことだとすると、今のリンペール男爵ではなく、先代、先々代の頃の話かもしれない。

 少々気になることもあるが、わざわざ自分で調べてまで知りたいわけではない。


 しかし、陞爵しょうしゃくや叙爵の経緯を聞くと、胸にもやもやしたものを感じる。


(なんだか、お隣の国だけじゃなくて、足元にも地雷が埋まってそうで怖いのは俺だけか?)


 なんか、すごく危ういバランスの上に成り立っているのが今のレーヴタイン侯爵領であり、ヘイルホード地方のような気がする。

 そして、それはエックトレーム王国という国自体の危うさでもあるように思う。


(……本当に大丈夫か、この国?)


 歩き疲れ、少々痛む足をさすりながら、そんなことを思うミカなのだった。




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