第9話 お姫様の想い
ヒナタは無言で浴室に入ってくると、洗い場でかけ湯をした。
ふたたび振り向いたその頬は上気している。バスタオルが身体に貼り付いて、魅惑的なプロポーションがくっきりと浮かび上がるばかりか、白い肌が透けていた。
さすがのヴァイツも目のやり場に困ってしまう。
「おいおい、どうしたんだ?」
「ど……どうしたって……。よ……よくいっしょに入ってたじゃない」
「それはガキの頃の話だろ」
「もっ、ももも……もしかしてヴァイツくん、ききっ、緊張してるの?」
ヒナタは小悪魔的なヒロインのつもりでいたが、声は震え、動きはギクシャクしていた。
錆びたロボットのような動きで湯船に浸かると、ヴァイツと肩を並べる。
メーターが上昇するように顔色がどんどん赤くなっていき、入ったばかりだというのにヒナタはすっかりのぼせあがっていた。
ちらとヴァイツを見て、思わず二度見する。
「ヴァイツくん、その身体……!?」
その身体は筋肉美をたたえる彫刻のように鍛え上げられていたが、それ以上に深い傷跡がいくつも刻まれていた。
ヴァイツはカスリ傷であるかのように、傷跡を撫でる。
「俺のいた家はどこもタフだったからな、このくらいの傷は日常さ」
撫でた拍子に腕が上がり、湯船から拘束具のような腕輪が見える。
よく見たらそれは腕だけでなく、四肢を張り巡らせるように付けられていた。
ヒナタはまるで我が事のように、悲痛に顔を歪める。
「ひどい扱いを受けていたのね……。やっぱり、わたしのカマセになったほうが……」
「いや、もう決めたことだからな。それに、1日で挫折するなんてカッコ悪すぎるだろ」
「カッコ悪くなんかないよ」
ヒナタは祈るような眼差しを向ける。
「クラスの間でウワサになってるわ。多くの特待生たちがヴァイツくんを潰そうとしてるって……」
「まぁ、そうだろうな」
「だから、わたしのカマセになって。そうすれば、わたしが守ってあげられるから。……カマセのフリだけでもいいわ、お願い!」
ヒナタはヴァイツの腕をギュッと抱きしめてすがった。
こんな表情のヒナタを見たのは久しぶりで、ヴァイツはドキリとする。
自分に真剣になってくれることが、なによりも嬉しい。
しかしそれに甘えるわけにはいかなかった。
「フリだけでも、か……でもそれをやったら、俺の夢は終わっちまう気がするんだ」
「夢……? ヴァイツくんの夢って、なんなの……?」
「俺はカマセとして、さんざん殴られてきた。どんなに善戦しても苦戦しても、最終的にはやられる。それが、俺に望まれたことだった。でもすげぇ強いヤツに殴られるたび、いつも思ってたんだ。コイツに思いきりぶつかったらどうなるんだろう、って……」
「思いっきり……? でも、カマセはいくらがんばっても……」
「そうかもしれないな。でもガマンできなくなっちまった、どうしても抑えきれなくなっちまったんだよ」
ヴァイツは拳をつくると、その拳に語りかけるように続けた。
「だから俺はコイツに誓った、自分の力を試してやるって。カマセの将来がどうなっても、どんなタフな未来が待っていようとも、な……!」
カマセとして生まれた人間は、カマセとして死ぬ。それ以外の道はありえない。
幼い頃はどんな尖っていても、大人たちに叩きのめされて丸くなる。
芽生えかけた才能があったとしても、踏みつけられて平らにされる。
しかし少年の才能は、【雑草】であった。
どんなに虐げられて固い大地に埋められても、何度でもヒビ割って現れる。
その草は、世界になんの実りをもたらすことはない。
しかしどんな花を咲かせるのか、少年は確かめずにはいられなくなっていたのだ。
たとえ戦場のただ中に咲き、コンマ1秒後に踏みにじられたとしても……!
少年の横顔は決意に満ちていた。そして、少女は花開いていた。
「ならその夢、わたしが手伝ってあげる! それならいいでしょ!?」
「なんだと?」
「わたし、ヴァイツくんが戦いを手伝う! きーめた! 嫌だって言ってもするからね!」
「な……なんでだよ?」
まさかの申し出に、少年は虚を突かれた様子で少女を見る。
その顔は、まるで太陽のようにさんさんとしていた。
「家族って、助け合うものじゃなかったの?」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
それからヴァイツは先に風呂からあがる。
ヒナタは「深い意味なんてないんだから」と自分に言い聞かせながら、いつもより念入りに、すみずみまで身体を洗う。
ネグリジェに着替えたヒナタが寝室に向かうと、キングサイズのベッドにはタンクトップにトランクス一枚のヴァイツがいびきをかいていた。
「わたしのベッドで寝るなんて……中身は子供の頃のまんまなんだから」
ヒナタは大の字になっているヴァイツの腕を枕にすると、その横顔をじっと見つめる。
「外見は、男らしくなってるのにね……。今日一日、ずっとドキドキさせられっぱなしだったわ」
手を伸ばし、その頬をつねる。
「こっちは勇気を出して、お風呂にまで入ったっていうのに……」
鼻をつまむ。それでも起きないので、身体を起こした。
「それなにのに……わたしだけが好きになるなんて……不公平よ……」
鼻をつまんだまま、そっと唇を重ねる。
すると寝息が途絶え、沈黙が下りた。
そのままの体勢でいると、「むーっ!?」と暴れ出す。
しばらくそのままでいたあと、口を離した。
「これで許してあげる。わたしの苦しさが、少しはわかった?」
しかし応えはない。ふたたび安らかな寝息が返ってくるだけだった。
「まったく……いちど寝たら起きないのは、相変わらずね」
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