第5話 バトルマラソン

 ヴァイツは次の授業に備えて体操服に着替えると、第1マラソンコースへと向かう。

 そこは学園の敷地内にある、小高い山の麓であった。


 真新しい体操服に身を包んだ生徒たちが整列するなか、台の上で大男が声を張り上げていた。


「うほっ! 私は体育を担当するバゴガリラだ! この学園は戦闘学園! 戦闘とは戦い闘う、すなわち戦い続けることを意味する! よって、私の授業では戦いのみしか行なわない! さっそく戦ってもらおう!」


 バゴガリラはゴリラがタンクトップを着ているようなビジュアルで、筋肉質の腕を見せびらかすように高らかにかざし、背後にある山の切りたった崖を示す。

 崖の頂上には、白い鐘つき堂が見えた。


「諸君らには、あの鐘つき堂を目指して【バトルマラソン】をしてもらう!」


 【バトルマラソン】とは、妨害ありのマラソンのことだ。

 ゴールが鐘つき堂と聞いて、ヴァイツの前にいた女子生徒たちがヒソヒソ話を始める。


「ねぇねぇ、あの鐘つき堂にまつわる伝説って知ってる?」


「もちろん! あの鐘を鳴らしたカップルは、永遠に結ばれるんだよね!」


「でもあの鐘って非常用だから、学園の許可がないと鳴らしちゃダメなんでしょ?」


「うん、だからこそ伝説なのよ! 学園が認めたカップルってことになるんだから!」


 まるでその話を受け取るかのように、バゴガリラは言う。


「うほっ! 1位になった者には10点やろう! さらに特別に、好きな相手を指名して鐘を鳴らしても良いものとする!」


 思いもよらぬご褒美、しかも伝説級のご褒美に生徒たちはみな色めき立つ。

 しかし、追加でいくつかのルールが課せられた。


 まず、今回の授業は格闘科との合同授業。

 山の麓の反対側にある第2マラソンコースには格闘科の生徒たちがいて、同時にスタートを切ることになっていた。


 第1と第2のマラソンコースは山の中腹あたりで合流するルートになっているので、今回のバトルマラソンは中腹からが本番ということになる。


「そしてさらなる鍛錬のために、参加者全員にランダムの重さのウエイトベストを着てもらう!」


 これには生徒たちから「ええーっ」と抗議の声があがったが、バゴガリラは問答無用とばかりにウエイトベストを配りはじめる。

 ウエイトベストの重さはランダムと言っていたが明らかに忖度がなされており、名門の生徒は100グラムの重量、一般の生徒には1キログラムの重量、カマセの生徒には10キログラムの重さのものが渡されていた。


 そして……最後のヴァイツには、地面に落とすとドスンと地響きが起こるほどのウエイトベストが渡される。


「うほっ! 100キログラムのウエイトベストが出てくるとは! ランダムとはいえ、なんと運が悪い! でもルールはルールだから、しょうがないよな!」


 バゴガリラはヴァイツを慰めるようにポンポンと肩を叩きながら、まわりには聞こえない声でささやきかけた。


「お前の話はいろいろ聞いているぞ……! 首輪の授与でインチキをするばかりか、自己紹介でもインチキをしてイナマズ先生を困らせたそうじゃないか……! 言っておくが、この私の授業ではインチキなど通用せんぞ……! カマセの身の程をたっぷりと思い知らせてやるから、覚悟するんだな……!」


 バゴガリラは顔をあげると、森のほうに向かって「ウホウホウホッ!」と叫んだ。

 すると森の暗闇から真っ赤な眼光が浮かび上がったかと思うと、「ブゴォォォォオ!」とライオンとブタを合せたような鳴き声とともに巨大な動物が飛びだしてくる。

 土煙をあげるほどに迫ってきたのは、全身を鎧で覆ったモンスター級のブタあった。


「コイツは私の愛獣【ブタイガー】! コイツには回収獣として走ってもらう!」


 【回収獣】とは、競争系の集団競技の最後尾を走り、遅れた選手に襲い掛かってリタイアさせる役割のモンスターである。

 その迫力にあとずさる生徒たちに、バゴガリラは気分を良くする。


「うほほほほほっ! このブタイガーにやられなくなければ、死ぬ気で走ることだ! やられたら保健室送りは間違いないからなぁ!」


 さぞやヴァイツは怯えているだろうと思い視線を移したが、ヴァイツはそしらぬ顔。

 バゴガリラは舌打ちをすると、よりいっそうすごんでヴァイツを睨み下ろしながら言った。


「特に出来の悪いカマセは、いちど保健室に入ったら最後……! 謎の奇病にかかって、二度と出られないというからなぁ……!」


 それから生徒たちはスタートに備え、ウォーミングアップをはじめる。

 おのおのがストレッチや軽いランニングをするなか、ヒナタは髪をポニーテールにまとめながらチラチラとヴァイツのほうを見ていた。

 しかし目が合うたび、ヒナタはツーンとそっぽを向く。


 ヴァイツが「なんだありゃ」と思っていると、いよいよスタートの瞬間がやってくる。


「それでは始めるぞ! バトルマラソン、よーい、スタートぉぉぉぉーーーーっ!」


「ブゴォォォォォォォォォーーーーーンッ!!」


 ブタイガーの遠吠えがこだまとして響き渡り、生徒たちは一斉に大地をけ蹴る。

 山の向こうからは、いかにも格闘科らしい雄叫びが聞こえてきていた。


 バトルマラソンとはいえ、すぐには戦いは始まらない。

 特待生はみな数人のカマセに周囲を守らせ、さながら自転車競技のチームのように個々の集団を作っている。


 最後尾にいたうえに、100キロものハンデキャップを与えられているヴァイツはあっという間に置き去りになっていた。



 ――脱カマセを宣言したら、嫌がらせをされるのはわかってたが……。

 さっそくタフなことになってきたな……!



 肩に食い込むほどにずっしりくるウエイトベストは、気を抜くとヒザから崩れ落ちそうになる。

 ヴァイツは頬を叩いて気合いを入れ直し、みなからだいぶ遅れて険しい山道へのアタックを開始した。


 最後尾のヴァイツが山に入ったと同時に、回収獣のブタイガーもスタートを切る。

 その後ろからバゴガリラがまさにゴリラといった四つ足で、おどけながらついてきていた。


「うほほほほほ! 逃げろや逃げろ、ヴァイツ! へばって動けなくなったところをゆっくりと轢き潰して、この山にお前の悲鳴を轟かせてやる!」


 こんなのにまとわり付かれてはたまらないと、ヴァイツはペースを上げてブタイガーとバゴガリラを引き離した。


「うほっ! もうビビっちまったか! でもそんなにペースを上げると早々にへばっちまうぞぉ! それじゃつまらんから、中腹くらいまでは持ってくれよぉ!」


 バゴガリラの煽りがじょじょに小さくなっていくのを励みにして、ヴァイツはひたすら足を動かす。

 それからしばらくして、陽が傾きかけた頃にようやく中腹まで登りつめたのだが、そこでひとりの女子生徒が岩壁に寄りかかっているのが目に入る。

 休んでいるだけなのに、高嶺に咲く花のような美しさと存在感を放っていたのは、


「ヒナタか。ウサギのマネでもしてるのか?」


 ヒナタはうつむいていたが、声を掛けられたキッとヴァイツを睨み返す。

 その顔は土埃にまみれ、よく見ると向こうずねは腫れあがっていた。


「そんなわけないでしょ。ずっと1位だったのに、格闘科の子たちから4人掛かりで攻撃されたのよ。リーダーの女子生徒がすごく強くて、ハイキックからのローキックをくらって、それで……」


「お前でも、武器なしじゃ4人相手は厳しそうだな。でも、お前のカマセがいたんだろ?」


「そんなの、最初からいないわよ」


「なんで? お前なら、カマセなんていくらでも飼えるだろ」


「親イヌがいないのに、子イヌは飼えないでしょう」


「なんで? 親イヌだろうがお前なら何匹でも……」


「誰のせいだと思ってるの!」


 ヒナタはじれったそうに歯噛みをしていたが、「もういい!」とそっぽを向いて歩きだす。

 しかし数歩歩いたところで、「ううっ!」とスネを押えてしゃがみこんでしまった。


 間を置かず、麓のほうから重低音が迫ってくる。

 音のほうに視線を移すと、ブタイガーが足音高らかにこちらに迫ってくるのが見えた。

 ついにその時が来てしまったかと、ヒナタは目を伏せて震える。


「か……回収獣にやられたら、こんなケガどころじゃすまないわ……! 保健室送りになって、わたしは落第生に……! 悔しい……! 悔しいよぉっ……!」


 水の中の太陽のような瞳から、光るものが落ちたのを目にした途端、ヴァイツは動く。

 ヒナタに駆け寄ると、流れるような動きで彼女の身体を持ち上げ、さらなる急勾配の坂道を上りはじめた。


「まさか、1日にふたりもお姫様を抱っこするとはな」


 ヒナタは剣士なので、不用意に身体に触れてくるような狼藉者の反撃にも慣れていた。

 しかしヴァイツのそれはあまりにスムーズなエスコートだったので、されるがままになってしまう。

 ヒナタは濡れた瞳をこれでもかと見開いてヴァイツを見つめていた。


「な……なにをしてるの……?」


「見ればわかるだろう、いっしょにゴールするんだ」


 それは待ち望んでいたことだったので、思わずポッと頬を染めてしまうヒナタ。

 しかしすぐに現実を思いだし、ヴァイツにもそれを言葉で突きつけた。


「そ……そんなの無理に決まってるでしょ! ヴァイツくんはすでに100キロの重りを付けてるんでしょ!? それなのに、わたしまで抱えたりしたら……!」


「お前は何キロだ?」


「えっ」


 不意を突かれ、ヒナタは思わず体重を告げそうになった。

 しかし「よん……」と言いかけた時点で、ボンッと顔を赤くする。


「そ、そんなこと、教えられるわけがないでしょう! 女の子に体重を聞くだなんて、最低っ!」


「そのくらい元気があれば大丈夫だな。よし、いくぞ」


 ヒナタをお姫様抱っこしたまま、ぐんっ! とスピードをあげるヴァイツ。

 それはヒナタも「はやっ!?」と口にしてしまうほどだった。


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