第4話 無詠唱のかませ犬

 シャイアはまっさきにお兄ちゃんのことが心配になって顔をあげたのですが、お兄ちゃんは何事も無かったような涼しい顔をして立っていました。


 イナズマ先生は足元に這いつくばっていて、腰を抜かしていました。

 その顔はガラス片が刺さって酷いことになっていましたけど、先生は開ききった瞳孔でお兄ちゃんを見つめるばかり。


「ばっ……ばばっ……ばかな……!? いまのは、【無詠唱】……!? それに測定装置の最大値は、1万……! でも測定装置は5万パワーの雷撃を受けてもびくともしないはずなのに……!? それを破壊する……なんて……!?」


 イナマズ先生やクラスメイトたちは、空から降り立った雷神を見るかのような表情でお兄ちゃんを見ています。

 そしてシャイアは、あることに気づきました。


 教壇の上はガラス片や瓦礫で埋め尽くされているというのに、お兄ちゃんとシャイアが立っている周囲にはカケラひとつ落ちていません。

 ほぼ爆心地のそばにいたというのに、シャイアたちの身体には土埃ひとつ付いていませんでした。


 さらにイナマズ先生や一部のクラスメイトはケガをしていたのですが、ケガ人の分布が明らかにおかしいのです。

 普通は窓際にいた生徒のほうが被害は大きいと思うのですが、窓際の生徒たちはシャイアと同じく無傷でした。


 それなのに、教室の奥にいてシャイアにヤジを飛ばしていた生徒たちには男女を問わずたんこぶができています。

 教室の真ん中にいる、シャイアにイタズラを仕掛けた女子生徒に至っては流血していました。


 ……まさか、お兄ちゃんは先生も驚くほどの雷撃魔術を使って、教室を破壊しただけじゃなく……。

 瓦礫までコントロールしたというのですか……!?


 いや、いくらなんでもそんなことができるわけがありません。

 もしそんなことができるとしたら、神……。

 賢者のさらに上の職位である、【賢神】くらいしか……。


 まさかと思い、お兄ちゃんをふたたび見ました。

 お兄ちゃんは、人間に裁きの雷を降らせた大天使のようなアンニュイな表情。

 背後で舞い上がった瓦礫の煙がまるで翼のように渦を巻いていて、危険な美しさを醸し出していました。


「お……おにい……ちゃん……?」


 おそるおそる声を掛けると、お兄ちゃんはふと天使から人間に戻ったような素振りを見せます。

 そしてシャイアを抱いたまま、クラスメイトを見渡しながら告げました。


「自己紹介のかわりに、これだけ言っとく。シャイアは俺の妹だ」


 カッと稲光が差し込み、お兄ちゃんの形相に影が差します。


「もし妹をいじめたら、スクラップにしてやる。……こんなふうに、な……!」


 まるで計ったように、測定装置がボンッ! と爆発。

 シャイアはビックリしていましたが、クラスメイトたちはもっとビックリしていて全員が起立していました。


「わかったか……? わかったヤツは、席に着け……!」


 お兄ちゃんがドスの効いた声で問うと、みな大慌てで着席してピシッと姿勢を正します。

 シャイアをいじめていた女子生徒とイナズマ先生は、これは悪い夢だといわんばかりに頭を抱えて縮こまっていました。


「あ……ああっ……! 測定装置が壊れるなんて、ありえないのである……! 校長にバレたら、とんでもないことになるのは否めないのである……!」



 ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



 この学園においても、いじめは当然存在する。

 特待生たちは誰もが幼い頃からカマセをいじめているので、この世界ではカマセ以外の人間すべてがイジメっ子であると言っても過言ではない。


 カマセいじめに慣れた特待生たちは別腹とばかりに、もっといじめ甲斐のある獲物をハイエナのように探している。

 主に落ちこぼれの特待生がそのターゲットとなるので、弱味を見せてしまったシャイアは本来ならズタボロになっていたに違いない。


 空には暗雲がたちこめていたが、雲間からは光が差し、スポットライトのようにふたりを照らしている。

 教壇の上はふたりの世界、ふたりだけのステージであった。


「お兄ちゃん……同じクラスだったですね……」


「気づいてなかったのか、よっぽど緊張してたんだな」


「はい……自己紹介がうまくできるかって、ずっとドキドキしてたです……。でも、どうして助けてくれたですか……?」


「家族ってのは、助けあうもんだろ」


「えっ?」


「おいおい、俺はカマセを辞めるとは言ったが、お前のお兄ちゃんまでは辞めたつもりはないぞ」


 日差しのなかで、ヴァイツは目を細めていた。


「いままでは自己紹介でお辞儀なんてできなかったし、魔術も出せなかった。でも今日はその両方ともできたじゃないか」


「えっ……?」


「また、一歩前進したな」


 その一言は、シャイアの心臓をわし掴みにする。


 少女は座学でも実技でも右に出る者がおらず、神童ともてはやされるほどだった。

 しかし極度のあがり症だったので、本番ではいつもの力の10分の1も出せないほどであった。


 少女の脳裏に、家族の険しい顔が次々と浮かびあがる。


『シャイア! お前は神童なんだ! 誰よりも優秀な賢者になれる才能があるんだから、もっとがんばりなさい!』


『シャイア! どうしてあなたは、いつも肝心な時にかぎってヘマをするの!? ったく、グズねぇ!』


『練習じゃ100点でも、本番が0点なら意味ないな……』


『もう、練習しなくていいんじゃない?』


 両親から叱咤激励は、少女が大きなるにつれて罵りにかわり、最後は諦観となっていった。

 実の兄弟たちからも蔑まれていたのだが、ただひとり味方がいた。


『練習で100点取れないヤツが、本番で100点を取れるわけがないよな。だからお前はやれるんだ、自分のペースで一歩ずつゆっくりやっていけばいい。お前なら絶対やれる……やってやろうぜ!』


 血の繋がっていない兄のヴァイツだけは決して見捨てず、シャイアをいつも応援してくれた。


『練習でも本番でも0点のお兄ちゃん言われても、励みにならないのです……』


 シャイアはそう言ってスネていたのだが、それがどれだけ心の支えになっていたか……。

 少女はいまさらながらに痛感していた。


「偉かったぞ、シャイア」


 昔と変わらぬ微笑みを向けられ、シャイアはとうとう感情を抑えきれなくなってしまった。


「お……お兄ちゃんっ……! お兄ちゃんっ……!」


 胸板に顔を埋めて声を殺して泣くシャイア、その頭をヴァイツはやさしく撫でる。

 まわりの女子生徒たちは、まるで観劇に来たかのように教壇上のふたりに釘付けになっていた。


「なっ……なにアレ……! す……素敵……なんかじゃ……ない……!」


「あ……あの……ヴァイツとかいうカマセ……なんか、カッコ良……く……なっ、ないよね!」


 やがて1限目を終えるチャイムが鳴り、ヴァイツは抱っこしていたシャイアを降ろす。


「次は剣士科の体育だから、そろそろ行くよ」


「えっ……? お兄ちゃんは、魔術師科じゃないのです?」


「俺は全科目を選択してるんだ」


 一般の生徒はひとつの科目の授業だけを受ける決まりとなっているが、カマセは他の家との使い回しなどをしている場合があるので、複数科目を選択するのが普通であった。

 しかし多くても2科目までで、全科目を選択するカマセはヴァイツが初である。


「じゃ、またな」


「ま……待ってくださいです! お願いなのです、お兄ちゃん! 次の授業もいっしょに……!」


 服の袖をつまんで引き止めるシャイア。しゃがみこんで視線の高さを合せ、その頭にぽんと手を置くヴァイツ。


「心配するなって。いじめられそうになったら、飛んできて守ってやるから」


「で……でも……」


 不安そうなシャイアに向かって、ヴァイツは不敵さと無邪気さが合わさったような顔で言った。


「お前のためなら飛べる」


 『きみのためなら死ねる』ばりの一言。空はすっかり晴れ渡り、ヴァイツの歯はキラリ輝く。

 客席からは感嘆のため息が漏れていた。


「か……かっこ……いいっ……!」


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